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横須賀のデジタルスタンプラリー やってみた

こんにちは。スタンプラリーで運動不足解消を目論んでいる自称アラ還横須賀インフルエンサーのホタテマンです。

さて、今回は先日紹介したエキタグを使った「F・マリノスビンゴdeラリー」の時に訪問した横須賀のヴェルニー公園にあるティボディエ邸で知ったもう一つのスタンプラリーの紹介記事である。

スマートフォンでお手軽に楽しめるデジタルスタンプラリーです!
デジタルマップを片手に、日本遺産構成文化財と
ルートミュージアムを巡って日本近代化の足跡を体感。

歴史と文化が息づくスポットを訪れ、
スタンプを集めて豪華プレゼントをゲットしよう!

2025年 2月7日 > 3月23日

横須賀市観光情報サイト

この日本遺産よこすかスタンプラリーと前回のマリノススタンプラリーの違いはそのスタンプの集め方。マリノスの場合は既存のエキタグアプリを使い、各タグポイントにてお財布携帯やモバイルSUICA等で使用するNFC (Near-field Communication)にてタグを触ってスタンプを集める方法。この場合、物理的にタグの場所まで行かないとスタンプは獲得できない。

かわってこの日本遺産よこすかスタンプラリーの場合はウェブサイトからポイントを指定し、近くに来たらスタンプ獲得ボタンを押すとGPSにて位置確認を行い範囲内だとスタンプがゲット出来る。この場合、タグと違って近づけない場所でない限り24時間スタンプ獲得が可能。前述のティボディエ邸の場合、タグは施設内にあるので閉館後はスタンプ獲得が不可能だが、GPSの場合は夜中でも施設の近くまで行けばスタンプ獲得が可能となる。

さて、スポットを獲得順に紹介したいと思う。

① スチームハンマー(ヴェルニー記念館内)

ヴェルニー記念館

先ずはヴェルニーさんの紹介。

フランソワ・レオンス・ヴェルニー(François Léonce Verny 、1837年12月2日 - 1908年5月2日)は、フランス技術者1865年から1876年にかけて横須賀造兵廠横須賀海軍施設ドック灯台、その他の近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援した。

Wikipedia

私の記事でも何回となく登場している人物。灯台巡りの時にも紹介した。そしてこの記念館にある最大の展示品がスチームハンマー。

ヴェルニー記念館
フランス・ブルターニュ地方の住宅を模した急傾斜の屋根と石の壁が特徴で、ヴェルニーの功績を紹介している。また、旧横須賀製鉄所(横須賀造船所を経て横須賀造兵廠)で使用されていた3トンと0.5トンの鍛造圧延蒸気ハンマー(スチームハンマー)が移設保存されている(1865年オランダ製。0.5トン機、3トン機ともに国の重要文化財に指定)。2013年7月24日、両スチームハンマーは機械遺産に認定された。記念館前に戦艦陸奥主砲がある(2016年、船の科学館から移設された)[4]

Wikipedia
横須賀市観光情報サイトから拝借


逸見波止場衛門

軍港逸見門(裏側から撮影)

旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所。左右2棟あり、左側は「逸見上陸場」、右側は「軍港逸見門」と表示されています。
高さ約4m、屋根は銅板ぶきドーム型。本体は八角形の鉄筋コンクリート造りで、外壁はタイル張りです。
建築年代は昭和4年から5年ごろと推定され、当時の珍しい建築物の面影があります。

横須賀市のサイト

続いて何度も出てきている ティボディエ邸

閉館時間中なのでとてもひっそり佇んでいる

ティボディエ邸は、横須賀製鉄所副首長であったジュール・セザール・クロード・ティボディエの官舎として、明治2年(1869)頃に建築された本州最古級の西洋館で、壁は木骨煉瓦造り、屋根はキングポストトラスによる平屋建てです。
その当時の外観を再現するとともに、館内では、ティボディエ邸から移設した実物の木骨煉瓦造りの壁とトラスをご覧いただけます。

横須賀市観光情報サイト


お次は YOKOSUKA軍港めぐり (桟橋入口)

業務終了後の桟橋

横須賀ならではの「ご当地」クルーズ
横須賀港は今から約160年前に米国ペリー艦隊が上陸して以来、海軍港として発展してきました。アメリカ海軍施設(横須賀本港)と海上自衛隊の司令部(長浦港)が置かれた港として広く知られており、トライアングルでは、これらの港を船でめぐるご当地クルーズ「YOKOSUKA軍港めぐり」を毎日運航しています。
YOKOSUKA軍港めぐりは、アメリカ海軍や海上自衛隊の艦船を間近で見ることができる、日本で唯一のクルージングツアーです。

軍港めぐりのサイト

実はまだ、乗ったことがないホタテマンである。ツアーの詳細はこちら。


どんどん行こう!


⑤ ドブ板通り
(ドブイタステーション)

Kanagawa Travel Infoより拝借

どぶ板通り(どぶいたどおり)は、神奈川県横須賀市中心部にある全長300メートルほどの通り・商店街である。スカジャンの発祥地として有名。アメリカ日本の文化が融合した独特の雰囲気を持つ商店街で、市内の代表的な観光地のひとつ。
第二次大戦前、この通りには道の中央にどぶ川が流れていたが、人や車の通行の邪魔になるため海軍工廠より厚い鉄板を提供してもらい、どぶ川に蓋をしたことから「どぶ板通り」と呼ばれるようになった。その後どぶ川・鉄板ともに撤去された。

Wikipedia

私がまだ学生だったころはかなりディープな雰囲気が残っていたが、今では米兵相手よりも、日本人やアジア系インバウンド客相手の商売が目立つようになったと思う。


⑥ 三笠公園
(世界三大記念艦「三笠」)

東郷平八郎と戦艦三笠

三笠公園(みかさこうえん)は、神奈川県横須賀市にある都市公園(歴史公園)である[2]横須賀新港に面しており、大日本帝国海軍戦艦「三笠」が保存・公開されている。

Wikipedia

三笠公園もぶらり横須賀散歩で紹介しているので、是非読んで欲しい。


⑦ いちご よこすかポートマーケット

What is “Food Experience” ?

海に向かい合うようにしてそびえたつ建物は、かつて巨大な冷凍倉庫として利用されていました。さまざまな食材が行き交う拠点となっていたこの空間をリノベーションして「いちご よこすかポートマーケット」は生まれました。
三浦半島の新鮮な食材と食文化が交わりあう。ここでのフードエクスペリエンスは、ただ「食べる」だけではありません。横須賀や三浦半島の野菜や魚の旬を知ること。生産者や料理人の知識と技術に触れること。心地いい環境に身を置いて「いただきます」をいうこと。廃棄される食材を無駄にせずに、循環させること。
自然への感謝がおのずと湧いてくるような、食の未来を描きました。港を眺めながら美味い料理に舌鼓を打てば、大人も小人も思わず笑顔が溢れるはず。横須賀の味も歴史も風景も、どうぞまるごと召し上がれ。

YOKOSUKA PORT MARKETのサイト

ここも最近リニューアルした観光客相手の商業施設。ここで地元民が買い物をしている風景は想像できないかな。


⑧ 横須賀市自然・人文博物館(「ヨコスカ製銕所」「ヨコスカ造舩所」刻印れんが・近代造船所建築図面資料・横須賀港周辺の絵図)

正面入り口
ナウマンゾウ

横須賀市自然・人文博物館は三浦半島を中心とした自然と歴史の博物館です。市民文化の創造と発展に寄与する地域の博物館として次のような目標のもとに運営しています。
● 三浦半島の自然の歴史と人の歴史をわかりやすく展示すること。
● 資料を収集して分類整理し、学術資料として活用するとともに永久に保管すること。
● 研究機関としての役割をになうこと。
● 生涯学習の場と機会を市民に提供すること。
● 学校教育に役立てること。
● 自然と文化の遺産を保護する立場にたつこと。

横須賀市自然・人文博物館のサイト

ここは丘の上なので徒歩だとアクセスが大変だが、内容はかなり充実しており、更に入場無料なので横須賀観光のおすすめスポットである。行きは上町までバスで移動し、帰りは公園からテクテク下り坂を京急に横須賀中央駅まで歩くのも良いかも。


⑨ 平和中央公園
(米ヶ濱砲台跡)

公園入口

横須賀のまちと東京湾が広がる景観を一望できる開放感に溢れた公園です。現在、園内には円形のモニュメントが設置され、毎月1日と2月15日、8月6、9、15日には6基のライトが上空に「平和の光」を照射し、中心部では12か国語の「平和」を意味する言葉が毎日、足元に照らし出されます。 1891(明治24)年当時は、東京湾要塞を構成する砲台の一つ、米ヶ浜砲台が陸軍によって設置され、28㎝榴弾砲6門からなる砲台と24㎝加農砲2門からなる砲台で構成されていましたが、日露戦争時には、28㎝榴弾砲が旅順要塞攻略のため大陸へ移送されました。1923(大正12)年、米ヶ浜砲台は演習砲台に改築され、1945(昭和20)年の終戦まで使用されました。

横須賀ルート・ミュージアムのサイト

晴れた日の丘の上にある公園からの展望は最高!


⑩ 走水低砲台跡

幕末に築かれた旗山崎台場跡地に1886(明治19)年に陸軍によって建設されました。東京湾要塞を構成する砲台の1つとして、富津岬と観音崎を結ぶ東京湾防衛ラインの一翼を担うため、4門の大砲が配備されました。関東大震災の被害と火砲の進化から1934(昭和9)年に陸軍の防御施設から除外された後、陸軍重砲兵学校の演習砲台として終戦まで使用されました。 4つの砲座は南北に一列に並び、地下には煉瓦で造られた砲側弾薬庫などが良好な状態で残っています。日本遺産の構成文化財の1つにも認定され、見学ができます。旗山崎の地名は、古事記・日本書紀に伝わる日本武尊(ルビ:やまとたけるのみこと)と妻の弟橘姫(ルビ:おとたちばなひめ)の伝説に由来しています。

横須賀ルート・ミュージアムのサイト

走水海岸方面からよこすか海岸通りの坂を降りきった所の急カーブにある旗山崎公園の奥(海側)が走水低砲台跡。

⑪ 横須賀美術館

横須賀美術館は、市制100周年を記念し、2007年に開館しました。建物は、県立観音崎公園の豊かな緑が三方を囲み、目の前には東京湾が広がる恵まれた環境の中にあります。館内でも常に周囲の自然が感じられるよう、天井や壁面に大小の丸穴が開けられ、開放的な空間となっています。 海側からと山側からのどちらからもアプローチでき、通り抜けできるようにすることで、周辺散策と展覧会観覧のどちらも楽しめるのが特長です。観音埼灯台や砲台跡などをめぐりながら、 自然と歴史と美術の深いつながりが感じられる美術館で、ゆったりとした時間をお過ごしください。

横須賀美術館のサイト

1~2回、訪問経験あり。ここには幼少のころ父が読んでいた週刊新潮の表紙画を描いていた谷内六郎の常設展示館がある。

谷内六郎(1921-81)は家族と共にたびたび横須賀を訪れ、1975年には観音崎公園にほど近い場所にアトリエを構えました。そうした縁から、1998年に遺族から『週刊新潮』の表紙原画約1300点をはじめとする膨大な数の作品や関連資料が寄贈されました。当館では年4回開催するテーマ展示を通じ、谷内六郎の作品をさまざまな視点から紹介しています。

横須賀美術館のサイト


⑫ 観音埼燈台

観音埼灯台(かんのんさきとうだい)は、日本灯台。日本最古[1]の洋式灯台として神奈川県横須賀市三浦半島東端の観音崎に立っている。白色八角形の中型灯台で、日本の灯台50選に選ばれている。

東京湾浦賀水道を照らし、東京湾海上交通センターとあわせ海上交通が輻輳する浦賀水道航路の安全に寄与している。また日本初の洋式灯台であり、この灯台の着工日を記念して11月1日灯台記念日に指定された。初代の設計はレオンス・ヴェルニー等が担当したが、大正時代の地震により2度再建され、現在の灯台は3代目にあたる。周辺は県立観音崎公園となっており、自然環境が保護されている。

Wikipedia

この灯台についても灯台巡りの記事で詳しく触れているのでまだの方はご一読頂きたい。


⑬ 郷土資料館

正面入口
浦賀奉行所の模型
江戸に向う船舶の船改めを行っていた桟橋の模型
幕末の浦賀奉行所と言えば中島三郎助
勝海舟が渡米した際に乗船した咸臨丸の模型

浦賀コミュニティセンター分館((愛称)浦賀文化センター)は展示室と3つの学習室(一般用貸室)から構成されます。
まず、展示室には、浦賀奉行所関係の模型、中島三郎助関係の資料、鳳凰丸・咸臨丸・ペリー艦隊の船舶の模型等の展示がなされています。地元の郷土史家等が特別展示等を企画するときもあります。

横須賀市のサイト

ここは初めての訪問。浦賀奉行所関連の展示が充実している。


⑭ 愛宕山公園

入口
階段
横須賀市環境情報サイトから借用

愛宕山公園は、1891(明治24)年に開園した市内で一番古い公園です。この山のすそには、江戸幕府が開かれた1603年(慶長8)から三浦半島を治めた、初代代官の陣屋が置かれていたといわれ「陣屋山」とも呼ばれてきました。 ペリーの浦賀来航の際に交渉に当たった浦賀奉行組与力・中島三郎助の招魂碑を建立した時に、公園として整備され、咸臨丸出港の碑も建てられています。碑の裏には、艦長の勝海舟をはじめ、福沢諭吉、ジョン万次郎などの乗組員の名が刻まれています。公園内には与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑もあり、園内からは浦賀港をはじめ、房総の山々が一望できます。

横須賀ルート・ミュージアムのサイト

何回か散歩で訪問したことがあるが、山の中腹なので登るのが面倒な為、今回は入口の写真でお茶を濁す感じになった。ラッキーにも階段を一段も登らずにスタンプがゲットできた。


⑮ 燈明堂

オリジナルは1648年に築造
北側の浦賀港入口方面にある小さな砂浜

燈明堂は東京湾の入り口に位置する西浦賀の小さな岬にあり、港に出入りする船にとって灯台の役目をしていました。1648(慶安元)年、幕府の命により造られた瓦葺きの2階建てで、1階には2畳敷の部屋がありました。菜種油や魚油を用いて灯された光は、海上4海里(7.4km)を照らしたといわれています。東浦賀の干鰯問屋が維持費を負担し、1872(明治5)年に廃止されるまでの約220年間、航路の安全を守っていました。建物は明治20年代まで残っていたといわれていますが、風雨で崩壊し石垣だけが残りました。1988(昭和63)年、残った石垣の上に当時の外観を復元した現在の燈明堂が造られました。 現在も、燈明堂の沖合いには多くの船が行き交い、当時の浦賀の湊の様子に思いを馳せることができます。

横須賀ルート・ミュージアムのサイト

こちらも前に記事で触れているので良かったらどうぞ。



⑯ 千代ヶ崎砲台跡

沢山ある三浦半島の砲台跡の一つ。2015年まで一般公開されていなかったので今回が個人的には初訪問。

入口
ポスター

千代ヶ崎砲台は、江戸時代後期に会津藩により造られた平根山台場跡地に隣接し、1892(明治25)年から1895(明治28)年にかけて陸軍が建設した西洋式の砲台です。 標高約65mの山の上には、3つの砲座が南北に並び、1砲座に2門ずつ榴弾砲が設置されていました。砲座はすり鉢状で、地下には煉瓦の壁とコンクリートの天井を持つ掩蔽部(ルビ:えんぺいぶ)や弾薬庫が造られました。弾薬庫に残る砲弾を供給するための揚弾井や、砲台内部に造られた給排水のシステムなどが残っています。 築造当初の姿を良好に留めていること、日本の近代の軍事や築城技術を理解するうえで重要であることから、2015(平成27)年に国の史跡に指定されました。日本遺産の構成文化財にも認定されています。

横須賀ルート・ミュージアムのサイト



⑰ ぺリー上陸紀念碑

ペリー上陸記念碑があるペリー公園は、1853年(嘉永6)、アメリカ東インド艦隊の司令長官マシュー・カルブレイス・ペリーが、浦賀奉行所に大統領親書を受け渡した場所です。

1900年(明治33)に、ペリー艦隊乗組員だったレスター・ビアズリーが久里浜を訪れ、ペリー上陸を標す事物がないことに落胆しました。これを受け、金子堅太郎を会長とし、日米友好親善の活動を行う米友協会により、高さ約10mの記念碑が建立されました。碑には、伊藤博文の筆により「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」と刻まれ、1901年(明治34)7月14日に除幕式が行われました。

太平洋戦争末期にペリー上陸紀念碑への批判的意見が強くなり、1945(昭和20)年2月に引き倒されますが、終戦を8月に迎え、11月に再建されました。

横須賀ルート・ミュージアムのサイト
ペリー上陸記念碑
ペリー記念館
ペリー提督
ペリーと交渉した戸田伊豆の守
黒船艦隊

ぺリー記念公園に関しては「ぶらり久里浜散歩」の記事内で触れている。


⑱ 第三海堡(夏島都市緑地内)

東京湾にあった三つの海堡(海上の人工要塞)の内の一つ。残り二つは今なお東京湾にて健在。

「海堡」とは海中の人工島に造られた砲台のことで、日本では東京湾のみ海堡が築かれました。 第三海堡は横須賀市の海域に位置し、3つの海堡の中でも水深は約39mと最も深く、その建設工事は困難を極めました。1892(明治25)年から建設開始、1921(大正10)年に完成と工期は29年間を要しましたが、完成からわずか2年後に起きた関東大震災で甚大な被害を受け人工島が暗礁と化しました。東京湾の航行の難所となってしまったため2000(平成12)年から撤去作業が行われ、引き揚げられた構造物の一部は、平成町と夏島町に保存展示され見学することができます。2018(平成30)年に神奈川県指定重要文化財に指定されました。日本遺産の構成文化財の一つにも認定されています。

横須賀ルート・ミュージアムのサイト
移築された第三海堡遺構


⑲ 猿島(砲台跡)

猿島だけは渡船代がかかるので今回はパス。過去に数回渡島したことがあるが、直近でたぶん30年近く前だと思う。

トラベルjp 旅行ガイドより借用

三笠桟橋から東の海上1.7㎞先に東京湾唯一の自然島、猿島があり、片道約10分で渡ることが出来ます。島の歴史は古く、縄文時代・弥生時代から古墳時代の石器や土器などが出土しています。幕末には外国船の来航に備えて島内3か所に台場が築かれました。 明治時代になると1881(明治14)年から1884(明治17)年にかけて陸軍により西洋式の砲台が建設されました。島内には明治時代の煉瓦造の掩蔽部(ルビ:えんぺいぶ)や弾薬庫、隧道などが良好に残っており、東京湾要塞跡として国の史跡に指定、日本遺産の構成文化財にも認定されています。現在は、海水浴やバーベキュー、音楽やアートのイベントなど、豊かな自然と歴史の中でプラスαの体験が楽しめる無人島として多くの人が訪れ賑わっています。

横須賀ルート・ミュージアムのサイト


以上、全19スタンプスポットの紹介である。


スタンプラリーのスクショはこちら。

19ヵ所中、猿島を除く18ヵ所ゲット!



これにて「開国と日本近代化の歴史をだとる デジタルスタンプラリー」の紹介は終了となります。長くなってしまいましたが、少しは横須賀に興味を持って頂けましたでしょうか?今回紹介した場所以外にも砲台はあちらこちらにあり、どれも興味深いです。観音埼灯台のある神奈川県立観音埼公園にも数か所あり、三浦富士と武山の間にも砲台山があったり、更に三浦の方には畑の真ん中に「大浦探照灯格納庫」や「剱崎砲台跡」等があったりするので、興味ある方は是非訪問してみてください。アップダウンもあるので良いハイキングになります。そういえば、逗子の披露山公園にあるサル舎はもともとあった砲台跡に円形の金網を乗っけたものでしたね。


最後までお読み頂きありがとうございました。質問等があればご遠慮なくコメント欄までどうぞ。

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