青春18きっぷの旅 2024年7月 会津若松〜長岡 編
こんにちは。夏の18きっぷシーズ到来でワクワクが止まらないアラ還18きっぱーのホタテマンです。
さて、今回は恒例のご近所アラフィフパパ友との18きっぷの旅。函館出身の彼の希望で戊辰戦争を巡る旅を計画し、2泊3日で巡ってきた内容を紹介する。
今回は戊辰戦争と言うことで、福島県の会津若松と新潟県の長岡に一泊づつ宿泊するメニュー。先ずは横須賀線、東海道線、東北本線と乗り継いで福島を目指す。
1日目
出発はいつものJR久里浜駅の始発、04:31 東京行きからスタート。
今回はE217系ではなくE235系だった。
05:09 戸塚着。05:15発の東海道線・上野東京ライン高崎行きに乗車。
新幹線等への乗り換えと思われる乗客が東京駅でどっと降り、06:09に赤羽到着。今度は宇都宮線の宇都宮行に乗り換え。
07:51 宇都宮到着。宇都宮線の黒磯行に乗り換え。
08:58 黒磯到着。東北本線を新白河行のE531系に乗り換える。この区間に直流と交流の切り替えポイントがあるので常磐線でお馴染みのE531系なのである。
09:32 新白河到着。とうとう白河の関を超えて東北入りとなり、本日東北本線ラストランの郡山行に乗車。701系に乗ると東北感が出てくるのは私だけ?
10:31 郡山到着。ここから磐越西線なのだが、乗り継ぎ時間が44分程あったのでここで朝食とする。今回も前回同様、「立ちそば処 鷹」で美味しいお蕎麦を頂戴する。
今回注文したのはエビ天そば。ここはつゆが私好み。
駅のお土産屋さんで大好きな薄皮饅頭等は購入し、磐越西線ホームへ移動。
猪苗代湖の横を走りつつ、12:31 会津若松到着。
到着したら、生憎の雨。荷物をホテルに預け、傘を借りてさっき朝食のそばを食べたばかりだが、さっそく昼食を食べにラーメン屋さんへ。
注文したのはこちら。
麺は喜多方ラーメンの特徴である平打ち縮れ太麺。透明感のある豚骨醤油スープにとても美味しいチャーシューと、文句無しの味。
それでは観光である。先ずは駅前から周遊バスに乗り飯盛山下バス停まで移動。
飯盛山下バス停から徒歩2分の所にある白虎隊記念館を訪問。ご存知、白虎隊は戊辰戦争の一環である会津戦争の際、会津藩が組織した少年武家男子で構成された戦闘隊。館内の資料を拝見し、更に係りの方と話した結果、私が持っていたイメージとは大分違う印象となった。
どうやら白虎隊は戦闘員不足を補う為に会津藩が少年たちを招集したのではなく、自分達から家老を介して藩主に志願し、西軍(官軍)との戦闘で苦戦し、城まで戻る判断をした大人の隊長を臆病者呼ばわりし、喧嘩別れとなったあと少年たちのみで再度西軍と戦ったが案の定大敗。飯岡山まで撤退した所城下町が燃えているのを鶴ヶ城が燃えていると勘違いし、自刃してしまったそうである。今風に言うと「イキって参戦した中二病ボーイズが最後は勘違いから将来を悲観し、自害してしまった」ようなのである。
このように書くと白虎隊ファンからは怒られそうだが、どうやら真実はこんな感じだそう。その後、先の大戦ではドイツやイタリアから白虎隊のことを称賛するムーブメントがあったりと、色んな要素が絡み合い、今日のイメージに繋がっているらしい。
白虎隊記念館の裏から飯盛山に昇ると途中に現れる、ご神木が見事な「飯盛山厳島神社」。
更にその上に登ると現れるのが国指定重要文化財の「さざえ堂」。
そして頂上付近には白虎隊十九士の墓
墓から少し横に進むと白虎隊自刃の地がある。ここからは鶴ヶ城が正面に見えるので、ここで城が燃えていると勘違いしたらしい。
飯盛山の主要ポイントは抑えられたので、周遊バスで駅前に戻る。天気が怪しかったので、鶴ヶ城はパス。
駅前まで戻り、駅前にあるホテルにチェックインし、今朝は早かったので数時間仮眠を取る。午後7時頃に起きて、ホテルでもらった無料入浴券を使って「富士の湯」で汗を流す。
帰りにホテルと駅の間にあるスーパー「PIVOT」で夕飯を購入し、ホテルで晩酌と洒落込む。
晩酌開始!
程よく酔っ払い、この日は就寝。
2日目
翌朝は会津若松から磐越西線で新潟へ。
05:28 会津若松発 磐越西線 新潟行
GV-E400系はご存知ハイブリッド車両。ディーゼルエンジンで発電機を回し、バッテリーに蓄電して電気モーターで動く。従来の気動車に比べ、こちらの方がエコなのだろう。
会津若松を出てからしばらくは順調だったが、大都駅手前でけたたましい汽笛音と車両の下をゴリゴリゴリっと大きな音がして急停車。列車は猪と接触したとのアナウンス。先ほどのゴリゴリ音は猪が車両の下でミンチになった音。場所が山間部で車両確認が出来ないので、一旦そのまま山都駅まで移動。ホームに入線すると車両の下が良く見えないので、駅ホームの手前で停車。運転手さんと車掌さんが4両全ての台車を目視検査し、猪の破片は見つからなかったので約30分遅れで山都駅に到着。その後、単線なので反対方向の列車とのすれ違いを全て我々の列車を待たせるかたちで優遇され、信越本線との合流駅である新津に着くころには10分程度まで遅れを取り返していたが、ここで更なる問題発生。
先日、山形県と秋田県で甚大な被害をもたらした雨の影響は新潟にも発生しており、新津駅の3つ先の亀田で電車が止まってしまった。
8時半には新潟駅に着いている予定だったが、10時半になっても動かず、やっと伝えられた復旧予定時刻のアナウンスでは12時半とあったので、混みこみの路線バスで新潟駅まで移動することに。新潟駅の先の万代シティバスセンター行だったので終点まで乗る。
11時過ぎに到着。早速、目的の万代そばを目指し、お目当てのカレーを食す。
黄色味の強い、少し辛めのカレーは懐かしさと旨さが絡み合う、とても美味しいカレーライス。大満足である!
食後は折角なので信濃川を見に行く。
流石は日本三大河川であり、日本一長い信濃川。大迫力!!
新潟駅まで戻る。
私にとって、新潟駅と言えば「ぽんしゅ館」。早速コイン5枚を500円で購入し、試飲開始。
「ぽんしゅ館」の試飲イベントもクリアし、駅改札口に行ってみると13:09発の信越本線 長岡行が運転再開予定とのこと。ホームに移動して電車に乗って出発を待っていると出発は20分過ぎだった。
10数分遅れで出発した長岡行きだが、途中で線路確認等が数回発生し、結果的に長岡には1時間遅れで到着。
ホテルに荷物を置いて長岡での訪問予定先である河井継之助記念館を訪問。
河井継之助は長岡藩の家臣。幕末の頃、京都詰・江戸詰や、長崎等への遊歴を通じて見分を広め、戊辰戦争の一環である北越戦争の際には小千谷談判では官軍相手に交渉したり、一度落城した長岡城を奪還したりと奮闘した。
司馬遼太郎の小説「峠」の主人公として世間に紹介され、一躍有名になった。
河井継之助記念館の次は徒歩5分程の所にある山本五十六記念館を訪問。こちらは完全撮影禁止。中には五十六が搭乗し、米陸軍航空隊のP-38に墜落された一式陸上攻撃機の左主翼が展示されていた。
両記念館訪問後はスーパーで今夜の酒と肴を調達し、夜遅くまで部屋飲みで盛り上がった。
3日目
最終日も早朝から活動開始。上越線で群馬県の水上駅に向かう。
越後湯沢で20分程の停車時間があったので駅近辺を散策してみると、苗場で開催のフジロックフェスの参加者が沢山、送迎バスに乗り込んでいた。
08:54水上到着。谷川ラーメンに寄りたかったが、開店までまだ2時間以上あるので今回はパス。
10:03高崎到着。
1時間弱程時間があったので、高崎駅では一番好きな0番線ホーム近くにある駅そば・うどんの「八起屋」で朝食とする。
お腹も落ち着いたので旅を続ける。
高崎10:54発 上野東京ライン 小田原行
12:56 品川到着。京浜東北線に乗り換え。
3分後の13:04に隣駅の大井町に到着。目的は13:00に開店した「立呑み晩杯屋 ゼームス坂上」店。
この日も暑かったので、結果的にジョッキサイズの酎ハイ6杯を飲み干す。同行者も緑茶ハイを5杯飲んでた。
たらふく飲んで食べたので帰路に着く。
無事、今回の旅行を完遂。雨や猪のトラブル等はあったが、当初予定していたイベントは全てクリア。
今回の戦利品
総括
今回の旅は函館出身で新選組(佐幕派)にシンパシーがある同行者のリクエストで戊辰戦争の跡地を巡ってみた。(私はどちらかと言うと攘夷派)。会津はまだ鶴ヶ城に行ってないので次回は街並みをゆっくり巡る旅を計画したい。長岡は城址が思いっきり現長岡駅なので城跡はほとんどないが、河井継之助や山本五十六の記念館に行けたのでとても勉強になった。同行者とも話していたのだが、やはり実際に現地に行き、自分の五感を使って体験するこで理解できることが多いことから、このような旅はとても有意義である。
また、山本五十六記念館では青いパッケージの「海軍さんカレー」なるものを販売しており、本家「海軍カレー」の横須賀民としては気になってしまいパッケージを確認した所、製造は広島県の呉市だったので係りの人に聞いてみた所、どうやら呉にある「大和ミュージアム」と提携してるとのこと。大和ミュージアムは近々に訪問したい場所なので現地で同じ「海軍さんカレー」を発見するのが楽しみである。因みに、長崎県の佐世保市には海自の「護衛艦カレー」なるものがある。
以上、戊辰戦争巡りツアーでした。
次は何処に行こうかな。。。
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