セーブするということ
仕事を始めて25年経った。
右も左も分からない私も、それなりに経験を積み、自分で言うのも何だが、ありがたいことに後輩や上司にも頼ってもらえていると肌で感じている。
コミュニケーション能力も人より長けている方だ。
もちろん、そんなこと口には出さんし、周りの人たちに助けられて今日があるわけだが。
そんな私が、50歳になって思ったこと。50近くになってから感じ続けていること。
記憶力の衰え、踏ん張りの利かなさ、体力的な不安、世代間ギャップ、人間関係の煩わしさ、そして認めたくないが、傲慢さ。
誰にも注意をしてもらえない、出来て当たり前の私にも、今までやらなかったような小さなミスがちょこちょこ出てきている。
これが更年期なのか?
これは、年上の同期をずっと観察し続けたことで感じたことだが、天真爛漫な彼女が私より一足お先に、小さなことで人に対してよく不満を漏らすようになった。
常にイライラして些細なことで、仲の良い私にさえ時々牙を剥く。
すごく悲しかったが、一方で客観的な題材としても参考にさせてもらっている。
彼女のおかげで、私は他人に牙を剥かずに淡々として、自分を保っていられる。
今、私に出来ることは何なのだろう?と数年考え続けてきた結果、今の私は、
「セーブする」
ことを選択中だ。
仕事も、もちろんやらなきゃならんことはやるわけだが、今までなら、上司に言われる前に気を回してやっていたこと、後輩に任せずに先回りしてフォローしていたことも、気にはなるが口を出せずに、見ているだけに留めている。
ホントはもっと出来るのにな、なんて時々思ったりもするが、余力は残しておいた方が良い。
人間関係の交流も、ホントに一緒にいたい、話したい、と思える人とだけ会うようにして、無理をして年1回集まっていた中学校の頃の友達とは距離を置き、ちょくちょくセッティングしていた飲み会も、気乗りがしなければやらなくなった。
家事も最低限のことと、子どものことはやるが、体がしんどければ、食事は作らずにコンビニやテイクアウトで済ませることもしばしば。
洗濯は苦じゃない。
あ、ということは、ご飯を作るのは割と苦だったのかもな。
自分を甘やかすことは惜しみなく。好奇心すら失ったら、生きることが辛くなりそうなので。
洋服などはもう十分持っているので、そんなに必要ない。
でも、マッサージやエステ、50歳にして初めてまつ毛パーマなんてやっちゃったりしてる。
自分時間を生み出すことで、本も読める。
時々、お財布は大丈夫だろうか?と思ったりもするが、そこはスケジュールをギュウギュウに詰めないことと、洋服を買わなくなったことでバランスが取れている。
この先まだ、ガツン!とした体調不良や気分に振り回されるのだろうが、このセーブ期を乗り越えた後に、この上ないハッピーな毎日が待っていますように。
そう思ってこの三連休もノースケジュールでダラダラと過ごしている。