自然との関わり方と消えてゆくもの
お疲れ様です。
気がつくと年が明けてから結構時間が経っていました。
年明けから職場が異動になり作業の時間が取れてません。余りにも突発な異動だったので予定が狂ってしまいましたが、引き続き頑張ります。小説は相変わらず完成を急がず書いています。
世の中は誰かが不利益を被っているから回っていて、きっと、皆がやりたい事やったら人間社会は回らないんだろうな、と思ったりしていました。
私の今年のテーマは「自然」を掲げています。
前々からずっと「水」という存在に興味があって、川や海、それらを取り巻く環境や生物について勉強をしていて、自分の小説の中にも取り入れてましたが、昨年は少し裾を広げて「植物」の勉強をしていました。今年はこれ以上は広げる予定はありませんが、今まで学んできたことをもっと深堀して創作にも生活にも役立てたいと思います。
植物は勉強し始めると本当に面白くて、身近な植物にも色んな生態があり、意外と食べられる草がたくさん生えていたり、見えないところで自分たちの生活の役に立ってくれているなど、思いがけないことばかり知ることが出来ました。創作の中で取り扱う植物たちを描く表現力も上がったと思います。
「桜が舞い散る様子が綺麗だった」みたいなありきたりな表現から脱却したかったこともあり、やっぱりちゃんと勉強してよかったなと感じています。今年はフィールドワークも積極的に行って実際に手に触れて勉強していきたいです。
言葉を扱うからには「何となく」という感覚で形に出来る内容はたかが知れてしまうことを痛感したと思います。表現も感覚も誰かが作ったものを流用するのではなく、自分の中でしっかりと作り上げていくものなんだと再認識しました。
そういえば皆様は普段何げなく道端で見かける植物が一体どういう名前で、どういう植物なのか気にした事はありますか?
いざ調べてみると面白いんです。よく注意して観察すると本当に沢山の種類の植物があるし、生態もまばらなことが分かります。つい最近まで毎日見ている雑草などの名前すら知らなかったことは、あまりにも身近な存在を軽視していたなと反省することがありました。
ほとんどの人は普段、コンクリートの合間から生えている植物のことは気にしないし、なんだったら踏みつけています。多くの人にとってはどんな植物も『植物』という一括りなのでしょう。
それくらい、彼ら植物は人間生活の中では蚊帳の外扱いをされていますが、元々彼らが住んでいた場所を埋めて作ったのが我々の家が立っているところです。
そんな環境下でも頑張って生きようとしている植物はとても我慢強く生きているし、これがまさに『雑草魂』という言葉の所以なんですね。
さて、日本は国土に対して森林面積が多い国として知られていて、これは先刻どこかで記事にしてお話しした水資源の件と併せても、恵まれた環境下にあると言えます。
豊かな自然に囲まれている国と言えるでしょう。
ただ、実はありのままの自然が残っている地域は少なく、約67%近いと言われる森林面積割合に対して、手付かずの森林は20%を切っています。
それ以外は、雑木林やマツ林のような産業利用により生じた林やスギ、ヒノキ、カラマツなどの植林による森林地帯が多くの部分を占めていて、ほとんどが人の手が加わった場所ばかりです。
多くの人が見ている『自然』という場所にも多くの手が加えられていることを認識し、どれだけ人間は自分たちが生きるために環境に手を加えているのか。しっかりと認識することは大切だと思います。何となく、見ていて綺麗だと思っている山の景色も誰かの手が加わっているものである可能性が高いのです。
そして、我々は多くの命を足元に踏みつけながら生きている紛れもない「生物」です。
多くの植物を消費している中で、ただの一本の植物すら育てたことがない人はとても多いと思います。小学校などの授業で体験してもその経験は少しすれば忘れ去られるでしょう。
毎日が秒速で過ぎていく現代では、自然が形を成していくスピードは遅すぎて、誰しもが彼らと同じ時を過ごすことに耐えられないのかもしれません。
彼らが形を成すには今の人間が待つには長い時間が掛かります。
故に、人間が自分たちの発展を止めて彼らを待つという選択肢は基本的には優先されません。
『自然』はとても長い時間を掛けて形成されてきた地球の形です。けれども、長い時間作って形にしてきたものを壊すことはこれ以上ないくらい簡単な行為で、生きる上で無意識に行われています。
数万年、数億年かけて作られた化石燃料は数百年で使い切られようとしています。同じくらい長い時間をかけて作られてきた森林や河川はあっという間にその形を変えられています。
自分たちがどれくらい形を変えたのか、どれくらい消費してきたのかはもはや誰も把握していないでしょう。
自分たちが生きていく過程で消えていくものは数多く存在しますが、皆さんは立ち止まってそれが何かを考えたことはありますか。振り返る時間はあまりないと思います。
基本的に、人はあまり『後ろを振り返る』という行為をしません。すればするほど前に進むスピードが遅くなるからです。
どんどん加速する現代において、時代の流れに置いていかれ、振り向きもせず消えていくものは多くなっていくでしょう。
昔見たことのある映画で、現実はもはや住める環境ではないため、ほとんどの時間を仮想の空間で生活するようになったという趣旨の作品がありました。
仮装の空間の中は昔のままで、自然も溢れ、街並みも何もかも綺麗なままです。最後はそんな風に仮初めの世界でしか生きていく無くなるぞ、という問題提起をされたような作品でしたが、あるいはこのままいけば遠くない未来にはそういう状況になることもあると思います。
本当にそうなるかはまだ分かりませんが、自然を蔑ろにし続けてなお、人間が増え続ければそういう未来も訪れるでしょう。
自然を崇拝していた頃の人間はとにかく自然があることに感謝していました。彼らがあるから自分たちが存在すると。
それらは現代では失われています。彼らがあるから自分たちが存在しているという考え方は既に希薄です。無いものは作り出し、使えばいい。そんな考えが現代の象徴かもしれません。
人は自然とどう歩んでいくべきか。立ち止まって考えることは本当に必要ないのか。
今一度、考える時が来ているのではないでしょうか。
枯木 蛍🍂