シャチと国後島、黒いリュック①
クルーズ船が動き出した時、目の前に座っていた彼は、いつの間にか船外にいて、リュックは置き去りになっていた。
初めての道東一人旅。
一番の目的は野生のシャチに会うことだった。
幼い頃から父の影響で海洋生物が好きになった私。水族館でシャチに会うことはできたけど、海を悠々と泳ぐ、自然でのシャチをいつかこの目で見たいと思っていた。
予定の時間に、私は緊張しながら一人船に乗り込んだ。
どの位置がベストなのかわからない。
「とりあえず2階に行こう」
そう思って階段をのぼった。
何となく良さそうな席に着き、出航を待った。
野生動物に必ず出会える保証はない。ドキドキワクワク。そんな単純な感情ではなかったと思うが、緊張していた。
船内に人が溢れてきた頃に、その人は来た。
目の前に一人分あった空間に、リュックを床に置いて座った。
「あ、やっちに似てるな」
と、思った。
20年以上前の元彼。
同い年くらいに見えるその彼も、一人だった。
黒いリュックにはバンドのピンバッチが複数付けられていて、高そうな一眼レフを首にぶら下げていた。
少し経つと、どこかに消えた。
すると、船内アナウンスがあった。
他の船を着岸させるので、一旦移動するという趣旨。
陸から離れて動く船。
ふと岸を見ると、彼がいた。
船は戻るとわかってはいたけれど、少しでも海に向かう船に、目の前のリュックが心配になった。
何となく、「リュックは私が見張っておこう」と思った。
船がまた着岸すると、彼は戻ってきた。
私の物ではないそれは、持ち主の元へ無事帰った。
その安堵が思わず表に出た時、彼と目が合った。
「忘れたのかと思っちゃいました」
と声に出すと、
「一瞬焦りました」
と、笑顔が返ってきた。
やがて船は予定通り、出航した。
スタッフの女性が船首に立ち、双眼鏡で動物を探している。
カッコイイ。
割とすぐに会えたことには拍子抜けするほど驚いた。
目の前に、シャチたちがいた。
背びれがまっすぐ上を向いている、オスのシャチ。
知床連山をバックに、いや、国後島を横目に泳ぐ、シャチの家族。
「すごい!!」
思わず叫んだ。
その時彼は、構えていた一眼レフを夢中でシャチに向けていた。
また、目が合った。
彼は言った。
「夢が叶いました」
私もそう思っていた。
第二話
シャチと国後島、黒いリュック②|AH (note.com)
第三話
シャチと国後島、黒いリュック③|AH (note.com)
第四話
シャチと国後島、黒いリュック④|AH (note.com)
第五話
シャチと国後島、黒いリュック⑤|AH (note.com)