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【随筆】ルッキズムとポリコレ、時々コンプレックス

久しぶりに長文を書いてみたら、なんかちょっと楽しくなっちゃって2投稿目が鬼早い。
前の投稿では、我らがインターネット老人会の仲間たちが嬉々として連絡をくれて、プチ同窓会みたいで楽しかった。
書いてみるもんだね。

逆にその時代を知らない方々は用語含めて超置いてけぼりになっていたと思う。ごめんね。
ただ老人会の人たちこういうの大好きだから、知らない世代はまだお若いと思うし、これを機に調べてみるといいと思う。
他にも、昭和歌謡を歌える若者はおぢ達に溺愛されるよ。
生きやすい世渡りを少し知っておくといいよ。

なんの話??


それはそれとして、投稿頻度については最初にエンジンふかしすぎるとどんどんズボラになっていくので、ブレーキかけつつのんびりいこうと思う。

さて、前置きが長くなってしまった。
皆さんこんばんは。

気温が下がってきて、外出た瞬間に頬がひやりとなる私の大好きな季節!!
気づけば一瞬で過ぎ去る秋、噛み締めていきたい。できれば踏み止まってほしい。
ずっと秋でいいのに。

皆さん、今夜は何を食べますか。
わたしは地元の百貨店の催事で食事の調達をしようと思っていたのに、今日が最終日だったらしく現地へ行くと早仕舞いとかで催事自体が終わっていました。

憤慨!!

お腹すいてるから許さない。
誰が悪いかと言えば、満場一致で私だ。
下調べしない私をゆるさない。うわーん!


そして突然の本題。
憤慨ついでに(ついでに)、最近見たモヤモヤする広告を見てほしい。

https://www.dove.com/jp/home.html

Xの記事からの引用だ。
こちらはユニリーバ、Doveの広告。
駅構内に貼り出されたこちらには、美の基準となりうる言葉とその説明。
ただ基準の言葉には取り消し線がつけてある。



遠心顔/求心顔】黄金比に対して顔のパーツがずれていることを表す言葉

【中顔面 6.5cm】目の下から唇までの長さのこと。小顔かどうかを判断する基準

目】眼球の位置が比較的前にある目のこと


「カワイイに正解なんてない」がキャッチコピーで、広告としては今世間に蔓延している"美の基準"にノーを突きつけているようだ。

「SNSにあふれる、画一的な美しさやカワイイの基準に異を唱える広告」なのだそうだ。
(公式HPより)

ただ、この広告は物議を醸している。
美容業界などでは美の基準は当たり前に存在しているが、それを知らなかった人たちが改めて認識し、自分があてはまるかどうかを考えてしまうためこの広告は逆効果だというのだ。 

「カワイイに正解なんてない!」
気持ちはわかる。言ってることはわかる。
どう伝わってほしいかもわかる。

ただ一方で、この広告のターゲットとなる子たちはその言葉を求めているのだろうか。
画一的なメイク、周囲と馴染むようなファッション、いわゆる量産型といわれるものを作り上げる彼ら/彼女らが、求めている言葉はそれなのか?
(量産型の子ばかりでないのは承知だよ)

カワイイ基準をつくりあげて、自分を寄せていくことで安心する彼らのスタイルでは、基準に外れることを恐れているからこそルッキズムに対してむしろシビアになるのではないか。
その基準を取り上げられて、カワイイから自由になれるのかといえばいささか疑問だ。

フィルターで磨き上げられた自分をネットに載せて、その反応を見ながら現実の鏡を見ると理想とは離れた自分が存在している。
そこに絶望するから美の基準を使って整形を望むようになる。
めっちゃわかる〜〜!!それな〜〜!!!


カワイイや美しいは明確な基準は知らなくとも、人間は本能で見た目の判断をしてしまう。
そこは避けられない現実であり、理性でポリコレを振りかざしても、変えられるものではない。

好みの人は好みだし、遺伝子レベルでときめくのは仕方ない。
そして何を隠そう、わたしは男性の腕の血管とこめかみフェチです(ニッチ)

ただ、それらを表現として外に出すか留めるかの差である。(出しちゃったが)

個人的には、大人がやるべきことはカワイイの基準をなくすということではなく、造形美に限らないカワイイを提示することなのではないかと思う。
それこそ、カワイイはつくれる!と思えるほうが何倍も健全だ。

たとえば、ない人も存在するかもしれないが、皆さんお持ちのコンプレックス。
コンプレックスないです!俺/わたしって完璧!って方がいたら、今回はお呼びでないのでブラウザーを閉じてほしい。
恵まれてて羨ましいよ。もしくはおめでたいよ。
どうぞそのままで生きてくれ。人生楽しそう。



ちなみにわたしはコンプレックスの塊なんだけど、大人になった今では、あってよかったなーって思うものもあった。
繰り返すけど今だから思うこと。
当時は本当に嫌だったし泣いてたし、整形がもっと身近だったら真剣に考えていたかもしれない。
チキンだから実行したかどうかはわからないが。

一例を挙げるとすると

出目すぎる
目の大きさが左右差ある
鼻が低い
ニキビ跡が消えない肌
毛穴が目立つ肌
膝下短い
手指太い
DEBU
お酒飲むと世界地図が身体に浮かぶ

ちょっとだけ挙げたつもりがアホほど出てきてキリがなくて泣きそう…。うう…

でも、例えば目の左右差や肌へのコンプレックスがあったおかげで、私は美容業界に飛び込んでスキンケアやメイク、エステの技術を習得することができた。
知識と技術を身につけて努力してきたからか、今では昔ほどコンプレックスを感じることはないし、むしろ肌については褒められることのほうが増えたように思う。

その努力の過程には、肌について色々言われて傷ついた経験もあったし、毎夜お風呂に入る前メイクの練習をして、お風呂から上がったらスキンケアの研究をした努力もあった。
すなわち、傷ついても努力して乗り越えた経験があるからこそ自信を持つことができたのだ。

何が言いたいかというと、コンプレックスは努力の原動力になるということ。
そして自分を簡単に諦めないその気持ちは、心の鍛錬にもなっていく。

そしてなにより、コンプレックスを気にしてる人、人間くさくて他人からみればカワイイのだ。
世の中とはなんて理不尽なんだろうね。


題すれば「妹たちへ」とでも言おうか。
歳を重ねたかつての若者だった大人が今の若い子たちに伝えられることは、カワイイに正解なんてない!って言うよりもほかに沢山あるはずなのだ。

今でこそわかることがある。
心、内面はいずれ容姿に面白いほど反映される。
人それぞれ年齢差はあるだろうけれど、30代半ばを過ぎたあたりからその人の人生が容姿に刻まれるようになる。
これは女性に限ったことではない。

姿勢、表情、言葉選び…
造形だけでなく、その人自身を表現する方法が多岐に渡ってくるし、それが主な印象になる。
習慣が表に出てくると言ってもいい。
生き方がその人の顔や体全体に出てくる。

その中には、10代20代の頃には天使のように可愛かった、カッコよかったのに、なんか老けたな…って人も少なからず存在している。
体型や姿勢や話す言葉が生活を物語っている。

当たり前に逆もいる。
昔はパッとしなかったのに、なんかすごく綺麗になったなあ!シュッとしたなあ!って人もいる。
例えば、華やかなオーラや知性、包み込むような柔らかさのある女性は同性から見ても憧れる。


残酷なようだが、はっきり言ってルッキズムの概念から人間は逃れることはできない。
本能で受ける印象を理性で覆すことは大変難しい。

ポリコレで叫ばれ、世界で基準になるのは「容姿で差別してはだめ!」ってことだけ。
表現としてそれを出さないってことだけ。
本心は各人の中にそれぞれ存在している。
ポリコレが根本的な解決になるわけではないことは、皆もうなんとなくわかっていると思う。

ただ、自分の可愛さや美しさをコントロールすることはできるかもしれない。
造形美にこだわるのもわかるけれど、物理的な整形はリスクも多いし金銭負担も大きい。
しかも今施した整形で、20年後も美しさの基準が変わらずに担保されるかというと、そんな保証はない。メンテナンスもこまめに必要だろう。
これからも世間の美を基準として、自分の顔を変え続けなければならなくなってしまう。

どうしても治したい部分があるのなら、物理的に手を出す前に、いずれ容姿を輝かせるであろう内面をまず磨いてみるのはどうだろう。

内面を磨くにはどうすればいいか?と言われると
自分をひたすら見つめて、理想の自分に矯正していくこと、と私なら答える。
みなさんはどうだろう。
良かったらコメントで教えてほしい。

自分と向き合うのは、何よりもキツイ作業だ。
なにが得意で、どんなものが苦手で、
どんな思考をして、何が好きで、嫌いか。
人と比較することも必要になってくる。
何があっても人のせいにせず、起きたことは全て自分由来だと自覚する。
(人のせいにする人、全部人相に出るからね)

そしてそこから少しずつ、理想の自分に矯正していくのだ。
この理想は自分基準であるべきだと思う。
どう在りたいか、が全ての根源。
できてないものをできるようにすることがメインだから、整形ばりにキツイし痛みがあると思う。でもそこでの自分への厳しさと結果は、後々必ず自信に繋がる。
嫌いだった自分がベストパートナーになる日が訪れる。


ルッキズム社会で生きていくために必要なものはずばり自信だと思っている。

それは造形美や人と比較する相対的な自信ではなく、文字通り自分のことを信じられる絶対的な自信。
自分を味方にする力はとても心が強くなる。


大人になった私がそれらを全てできているかと問われれば、と、途中でーす!と言わざるを得ないんだけれども、その過程を少しずつ重ねて経てきている今、20代の時より今の自分のほうがはるかに好きだ。

シワが増えても、怒りでできた眉間のシワでなく笑顔でできた目尻のシワならそれを劣化とは思わない。


可愛さや美しさの基準は、時代が移り変わろうとも最後まで自分自身で持っていたい。


あなたはカワイイし、カッコいい。
それは絶対に間違いない。

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女将かなこの日常
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