1988 鈍行列車のわずかな記憶
1988年、大阪神戸を観光した帰途、天王寺から長距離夜行に乗り、紀勢本線経由で横浜まで帰るつもりだった。
天王寺から和歌山までの記憶はあまりないが、和歌山を過ぎて車中は空席が目立ち、私のボックス席も私だけとなった。
さあ、寝ようと目をつぶるも、夜行慣れしていないからなかなか寝つけない。
ましてや、リクライニング席でもなく、背もたれはほぼ直角に近い座席。
寝ようにも眠れない。
それでも、目をつぶってじっとしていた。
しばらくすると、私のボックスに一人の男が座った。
他に誰もいないボックスがいくつもあるのにだ。
これにはピンときた。
私が寝ついた暁に、金目の物を抜き取るつもりなのだろう。
これは眠ったらヤバいと思い寝たふりだけしていた。
男は、私が寝入るのを待っていたのだろうが、寝入りそうもないと判断したのか、数分後、私の前から消えた。
もはやこうなると絶対に眠れないなと、結局貫徹して終点の新宮に着いた。
今なら、もうフラフラだが当時は若いから、多少の眠気はあっても割としゃきっとしていたのだろう。
眠いと記憶は残っていない。
新宮では浮島や速玉神社を見学して熊野市へと向かい、獅子岩を見学。
もうこの後の記憶はほとんどない。
記憶はないが、写真という記録は残っている。
ただ、横浜への帰途、何本も鈍行列車を乗り換えたのだが、天王寺からずっと同じ列車に乗ってくる人がいたのだ。
なんと横浜市内に入って私鉄の電車に乗り換えてもついてくる。
そして、私の自宅の最寄り駅の一つ手前で降りていったのだ。
なんという偶然だろう。
さっさと声をかけていたら、道中楽しかったかもしれないと思った。
ハコ師と、この同じ列車にずっと乗ってきた人のことは、鮮明な記憶となって残っている。
この旅では18きっぷを利用した。
これほど18きっぷを有効的に使用したのは、後にも先にもこの時だけだと思う。
20代だからできた、大阪天王寺からの鈍行乗り継ぎの旅だった。