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阪神大震災三十年。地震への対応が空振りに終わっても素振りと思い、躊躇ない対応を。
本日は、阪神・淡路大震災から30年という節目を迎えるにあたり、改めて当時のことを振り返っております。私が住んでいる地域では、幸いなことに地震の被害はそれほど多くはなかったのですが、テレビの画面を通して目にした関西の街が破壊されていく光景は、今でも脳裏に焼き付いて離れません。その惨状は、言葉では言い表せないほど衝撃的で、胸が締め付けられる思いでした。
その後、微力ながら、関西におります友人たちと共に、復興ボランティアにわずかな期間ではありましたが携わらせていただく機会を得ました。実際に被災地に入り、目の当たりにした現実は、テレビで見ていた映像とは比較にならないほど深刻で、被災された方々の苦労や悲しみを肌で感じました。瓦礫の山、避難所での生活、失われた日常…それらは、想像を絶するものでした。
阪神・淡路大震災の対応に関して、当時の政府と自治体の連携について、ある事務次官経験者の方から直接このような話をお伺いしました。「当時の自治体の上層部には、自衛隊に対して嫌悪感を抱いている者がおり、意図的に自衛隊への出動要請を送らせるという事態があった。そのため、自衛隊は迅速に復興活動に当たることができなかった。また、そうした状況を憂慮し、独自に自衛隊に出動要請を行った現場の職員が左遷された」という内容でした。
この発言が事実かどうか、私には確かめる術はありません。しかし、この話を聞いた時、私は激しい怒りを覚えました。もしこれが真実であれば、人命救助が最優先されるべき状況において、個人的な感情や政治的な思惑が優先されたことになり、断じて許されることではありません。もちろん、現代においては、そのような事態を引き起こすような幹部職員はいないと信じております。
しかしながら、大災害発生直後の混乱の中、事態の深刻さを十分に認識できず、「大袈裟に捉えられてしまったらまずい」「騒ぎを大きくしたくない」という意識が働き、自衛隊への出動要請や、他自治体への応援要請をためらってしまう心理が働く可能性は、皆無ではありません。初動の遅れが、その後の救命活動に大きな影響を与えることは、過去の災害事例からも明らかです。
幸いなことに、私は実際に地震を経験されたある首長の方から、この件に関して非常に貴重なお話を伺う機会に恵まれました。その方は、たとえ派遣要請が結果的に「空振り」に終わってしまったとしても、全く気にする必要はない、とおっしゃいました。「それは空振りではなく、住民を守るための備え、いわば『素振り』である。住民の安全と安心のためには、あらゆる手段を講じるべきであり、要請を躊躇するべきではない」と力強く語っておられたのが印象的でした。
阪神・淡路大震災の後も、東日本大震災をはじめ、各地で地震による甚大な被害が発生しており、日本と地震は切っても切れない関係にあると言わざるを得ません。このような状況において、自治体は、住民の生命と財産を守るという使命を第一に考え、自衛隊や国、他の自治体への派遣要請を躊躇なく行うべきであると、私は強く思います。もちろん、派遣を受け入れる自衛隊や国、他の自治体の方々に対しては、最大限の協力と敬意を払うことは言うまでもありません。被災地の状況を的確に伝え、必要な支援を具体的に伝えることで、スムーズな連携を図ることが重要です。
過去の教訓をしっかりと胸に刻み、万が一の事態に備えること、そして、被災された方々に寄り添う気持ちを忘れないことが、私たちに求められているのではないでしょうか。