氷河期世代対象採用、という傲慢さ
あの頃は、就職活動はまさに戦場でした。就職氷河期ど真ん中の世代ですから、不採用通知が届くたびに心が折れそうになりました。周囲の友人も似たような状況で、未来に対する不安が募るばかりでした。
バブル世代の方々の就職話が耳に入ると、あまりの落差に言葉を失いました。会社説明会に参加するだけで内定をもらえたという話を聞き、私たちがどれほど厳しい状況に置かれていたのかを痛感しました。
当時は、「優秀な人は必ずどこかで評価される」「努力すれば必ず道は開ける」などと自分に言い聞かせていましたが、現実にはそう簡単にはいきませんでした。
最近、自治体を中心に就職氷河期世代向けの採用試験が行われていると聞き、複雑な気持ちです。ようやく私たちのことも少しは見てくれるようになったのか、と安堵する一方で、「今さら」という思いが拭えません。
そもそも、採用人数が非常に少ないため、私たちが若かった頃よりも競争率は高まっているのではないでしょうか。焼け石に水のような取り組みです。
また、「かわいそうな人たちを救済してあげている」という上から目線の姿勢が感じられ、とても不快です。キャリアの遅れを取り戻すのは容易ではありませんし、劣悪な労働環境に置かれる可能性も高いでしょう。
そもそも、なぜこれほどまでに就職氷河期世代の救済が遅れたのか、疑問に思います。当時は、私たちの責任だ、努力が足りないからだ、という風潮が強く、社会全体が私たちを放っておきました。
今になって、ようやく少しだけ手を差し伸べようとしているように見えますが、根本的な解決にはほど遠いでしょう。就職氷河期世代がこのまま高齢化し、社会参加の機会を失い続けていれば、社会全体にとって大きな損失です。
この問題について、もっと真剣に考えてほしいと思います。特に、バブル世代の皆様。
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