『巨人の肩』(続々)シャルトルのベルナールは誰の肩の上に?
■六世紀の文法家プリスキアヌス
ロバート・マートンは、「巨人の肩」の格言の起源を十二世紀のシャルトルのベルナールに求めました。しかし、「巨人の肩」の喩えはシャルトルのベルナールのオリジナルであっても、類似する表現や思想はもっと昔からあってもおかしくないし、むしろ「巨人の肩」の精神に則れば、この格言もまた先人の肩の上に乗って生まれたものと考えるべきではないでしょうか?
もちろんマートンもそう思ったようで、この問題を追求しています。で、結論 (といっても、ものごとの性質上、現時点で信憑性の高い説と言うしかないわけですが)、ベルナールがその肩に乗ったのは、六世紀のラテン語文法家、プリスキアヌス (L Priscianus Caesariensis) だったようです。
プリスキアヌスがなんと言ったかというと、
grammatica ars,...cuinus auctores, quanto sunt iuniores,
tant perspicaciores, et ingeniis floruisse et diligentia
valuisse onmium iudicio confirmatur eruditissimorum...
(INSTITIONES GRAMMATICAE 「文法学網要」)
quanto sunt iuniores, tant perspicaciores の部分が問題の箇所なんですが、「より若い(最近の)者は、 より明敏である(目が利く)」という感じになります。これは、いわゆる「巨人=矮人」 の元として理解しやすいフレーズではありますが、しかしシャルトルのベルナールもまた、プリスキアヌス自身の意図を微妙に読み替えているようです。(話が長くなるので、具体的な内容は省略します。)
問題は、シャルトルのベルナールがプリスキアヌスを知っていたと言えるのか、 という点ですが、これはもう間違いなく知っていたと考えてよいようです。 プリスキアヌスの著作は1255年までパリ大学のカリキュラムに使われていたことがはっきりしており、それより百年前のベルナールの時代にも、プリスキアヌスは、 マルティアヌス・カペッラ、ボエティウス、イシドルス、ビードなどとともに 必読文献であったようです。
ほかにも傍証はあるのですが、ここでは、 ベルナールがこの表現を産む一つの刺激となったのは、かなりの信憑性をもって、 六世紀のプリスキアヌスであったようだ、と述べるに留めておきます。
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