
イェンヌ・ダムベリ著『脂肪と人類ーー渇望と嫌悪の歴史』を読む
わたし、肉の脂身が苦手なんです。今でも苦手ですが、子どもの頃はもっと徹底的に苦手で、サラミの脂身を爪楊枝で丹念にはずして食べるようなヤツでした。だったらサラミなんて食べなきゃいいじゃん、と思われるかもしれませんが、サラミの味は好きだったんでしょうね(脂身をはずして食べるようなヤツが、サラミの味をうんぬんするな、と言われそうですが)。
脂身をめぐる苦い思い出は数多く、今こうしていても、さまざまな記憶がよみがえります。たとえば、小学生の頃、母と一緒におじゃましたお宅で昼時になり、そこんちのおばさんが、「チャーハン作るから食べていきなさい」と、ちゃちゃっとチャーハンを作ってくれたんです。そのチャーハンというのが、豚の脂身を細かく刻んでカリッと炒めたものがメインの具だったんですよ…..。わたしは顔面蒼白という感じで、結局ひとくちも食べられず、母が、おばさんに言い訳しながらわたしの分まで食べてくれたと記憶しています。おかあさん、ごめんなさい! チャーハンを作ってくれたおばさん、ごめんなさい!
そんなわたしが、『脂肪と人類――渇望と嫌悪の歴史』という本に、恐る恐る手を伸ばしたんです。おそらくその内容は(副題から想像するに)、「飽食の時代になってダイエットの観点から嫌われている脂肪だけれど、人類の長い歴史のなかでは、命そのものと言えるほど大切な食べ物だったんだよ」みたいなことなんだろうな、と予想しました。そんな本を読めば、きっとわたしは、「ごめんなさい、ごめんなさい、脂身が嫌いでごめんなさい」みたいな気分に追い込まれるんじゃないかと不安でした(わたし、肉の脂身が食べられないことがコンプレックスになってますね、ははは….)
ところがいざ読み出してみると、これが予想に反して(?)とても面白く、勉強にもなったんです! たしかに大枠としては、「貴重なカロリー源から、嫌われ者へ」という脂肪の歴史が綴られている、と言えないこともないのですが、脂肪をめぐる人類史は驚くほど味わい深いものでした。
著者はスウェーデンのジャーナリストで作家のイェンヌ・ダムベリ。同国の主要朝刊紙に寄稿しているほか、著作も多く、デビュー作の『いただきます! 新しい定番料理の知られざる歴史』は、スウェーデン食事アカデミーの「食にまつわるエッセイ」の部で最優秀賞を受賞しているそう。文化史、経済史のトーンを基調に、サイエンス寄りのスタンスを感じる書き手です。
『脂肪と人類』のなかでダムベリが逍遥する領域は広大ですが、そのなかから、わたしが驚いたり、居住まいを正したり、笑ったりしたトピックを少しだけご紹介したいと思います。
■蔑まれたバター
肉の脂身にコンプレックスのあるわたしは、頭の中を「肉の脂身」でいっぱいにしながら本書を開いたのですが、読みはじめるとすぐ、脂肪というのは肉の脂身だけにかぎらないという、当たり前の事実に気づかされました。
オリーブオイルや菜種油をはじめとする各種の植物油も重要だし、バターやチーズやクリームといった乳脂肪を含む食べ物も大きな役割を果たしているんですね。そりゃそうだ。
ちなみにわたしは乳製品は好きで、牛乳はもとより、バター、食塩無添加バター、生クリームは切らしませんし、ヨーグルトはもう二十年ぐらいも作り続けていますし(カスピ海ヨーグルト菌を繁殖させている)、カテージチーズやクリームチーズも適宜自作しますし、パニール(インド亜大陸周辺の水切り豆腐のようなチーズ)やスメタナ(東欧圏のサワークリーム)も必要に応じてちゃちゃっと作ってます。こうした乳脂肪や植物脂肪はたっぷり食べてるんだから、肉の脂身が苦手なぐらいどうってことないよね!(開き直り)
さて、乳製品の歴史について読むなかで驚いたのは、かつてバターは蔑まれていたという事実です。今日、バターの地位は高いですよね。高級感のあるフランス料理のソースにはバターが多用されますし、マーガリンではなくバターをパンに塗って食べるのは、ちょっと贅沢な気分だったりしませんか? マーガリンと比べるとお値段張りますもんね、バター。ところが、かつてのヨーロッパでは、バターは蔑まれていたんだそうです。
それというのも、ギリシャ・ローマ時代も、その後、中世になってキリスト教が広がってからも、文明の中心はやはり地中海沿岸地域だったから。地中海沿岸は地形的に牛は飼いにくいため、山羊乳のチーズが食べられていたんですね。さらに、南方ではオリーブが育つから、オリーブ油も採れます。そのため、文明の中心地の人々にとって、バターは北方の野蛮人が食べるものだったらしいのです。
ちなみに、当時のバターは、今日、われわれの家の冷蔵庫に入っている、あの、白っぽくて、雑味のない、ほんのり甘みさえある直方体の固形物とは似ても似つかないもので、どろどろして、酸っぱくて、しょっぱくて、えぐみのある、腐ったような味の食べ物だったそうです。とはいえ、こういう食味は馴れの問題でもあり、北方の人々にとってバターは、食事にかかせない貴重な油だったんですね。
ヨーロッパ中世の北方の人々とバターとの関係で大きな問題になったのは、宗教上の断食で、乳製品までも禁じられるケースが多かったこと。中世のキリスト教社会では、なんだかんだで一年の半分ぐらいは断食が課されていたのだそう。(断食とは言っても完全な絶食ではなく、普段は一日二食だったのが一食になるぐらいのものだったようですが、食べられる食品に制限があった。)
乳製品がダメでも、南方ならオリーブ油があるからいいのですが、北方の人たちは困った。なんとかバターを食べたい。そのため、断食中にバターを食べる罪を贖うために、「バター免罪符」なるものが売り出されたそうです。マルティン・ルターは1517年に、免罪符を糾弾することで宗教改革の幕を切って落としたことはよく知られていますが、なんと、バターにまで免罪符があったとは!
ルターは1520年に、こう書いているそうです。
「ローマは自分たちが靴に塗ることもしないような劣悪な油(青木注:ローマ・カトリック教会が北方に売りつけようとした高価で劣悪なオリーブ油)を食べろと強要してくる。……(中略)…..おまけにバターを食べることは嘘、冒涜、淫行よりも大きな罪だと言う」
バターを食べることが、それほどの罪だったとは!
クロード・モネの連作で有名な「ルーアン大聖堂」の塔は、別名を「バター塔」と言うそうです。バター免罪符の収益で建てた塔だからだそう。知らなかった….
■脂肪にまつわる女たちの過酷な歴史
本書は基本的に気楽に読める本なのですが、わたしが思わず居住まいを正したのは、女性と脂肪との関係について書かれた部分でした。イェンヌ・ダムベリはさまざまな資料を使いながら、本書のあちこちで、女性と脂肪の歴史に目を向けます。
たとえば、今から2500年ほど前に、中国北部に新しい穀物が広まったときの食生活の変化を調べた研究があります。石器時代には、主にキビ、豚肉、野生植物の肉が食べられていたそうですが、穀物栽培がはじまって、食物のバラエティーが増えた。そうなっても男は相変わらず肉を食べ続けたのに対し、女は大麦と小麦を食べるようになった。その結果、女は骨が弱くなり、幼少期には栄養失調だったことがわかったのだそうです。価値ある脂身たっぷりの肉は、社会的強者に優先的にまわされたんですね。
乳脂肪については、女性との複雑な関係が書かれていました。搾乳や乳製品の製造は、魔女や売春婦といったネガティヴ・イメージをともなう一方で、妊娠・出産・授乳とのつながりもあって、もっぱら女性の仕事とされてきたんですね。しかしその労働というのが、アニメの「アルプスの少女ハイジ」の搾乳シーンのようなほのぼのとしたものではなく、「白い鞭」と呼ばれる過酷なものだったそうです。二十世紀に入っても、スウェーデンの農場で働く女性は朝五時に起き出し、畑に出る男たちのために朝食を作り(コーヒーだけの食事だったそう)、男たちが夕方に仕事を終えからも、女は夜遅くまで働き続けたそうです。
こうして、搾乳と乳製品の製造を担ってきた女性でしたが、二十世紀になって機械化が進むにつれて、この分野から排除されていったんですね。女性はエンジニアリングの教育を受けられず、乳業はもっぱら男のものになっていったそうです。ダムベリが高い解像度で描き出す女性と脂肪の歴史は、淡々とした記述ながら、蔑視と搾取と排除の色合いがにじむものでした。
■ウクライナのサロ美術館
「豚肉、ナショナリズム、アイデンティティー」と題された第五章では、ウクライナ人が大好きだという、豚の脂身の塩漬け、「サロ」が大きく取り上げられています。近年はダイエットの観点から、オードブルのように軽めに使われることが増えてきたようですが、かつてはもっとふんだんに食べられていたそうです。
イェンヌ・ダムベリは、ウクライナがロシアの侵攻を受ける前の――しかし政治的緊張はすでに高まっていた――2013年に、ウクライナ第二の都市リヴィウにある「サロ美術館」なる施設を訪れたそう。美術館とはいっても、飲み物と食事を提供するバーなのですが、サロ彫刻の常設展示があるのだそうです。
バーで出されるサロ料理(ウォッカで口の中を洗い流しながら食べるのがお勧めとか)には、「ゴッホの血だらけの耳」とか「マリリン・モンローの唇」とか、奇抜なものがいろいろとあるらしいですが、めったに来られないんだったら、これ一択!と、ダムベリが勧められたのが、「ダヴィデ像のペニス」。ミケランジェロの有名な彫刻作品のペニスをかたどったサロのかたまりに、パン粉をまぶして焼いた卵焼き(サニーサイドアップ)が二個添えられているそうです。(パン粉にはどんな視覚効果があるのだろう?と、まじめに考えてしまいました。)
ミケランジェロのダヴィデ像は、身長との比ではペニスが比較的小さいことで知られ、身長175センチメートルの男性に換算すると約5センチになるようです。でも、リアルサイズのダヴィデ像(身長5メートル超)のペニスをかたどっているため、身長比では小さめとはいえ、長さ14センチにもなる。ダムベリによると、優に四人前はありそうだったそうです。皿に盛りつけられたペニス型サロはみるみるうちに下部から溶けていくため、もたもたしていられず、ダムベリは勇気をふるってガブリとかぶりついたそうです。が、さすがに全部は食べきれなかったでしょうねぇ….
サロは、わたしがもっとも苦手とするタイプの肉の脂身です。でも、平和になったら、リヴィウのサロ美術館を訪れてみたいなぁ….。もしかすると、この美術館の特異な雰囲気のなか、わたしの頭が何か相転移を起こして、サロにかぶりついちゃうかも???
(なお、この記事のトップ画像は、昔訪問したフィレンツェのアカデミア美術館の全作品図録から、ミケランジェロのダヴィデ像です。自分で図録を開いて写真を撮りました。)