翻訳の仕事を通して見た、ここ半世紀の遺伝学の動向
次に、遺伝学の動向についてお話ししたいと思います。遺伝学はこの間、正真正銘のとてつもない進展があって、世間の遺伝観もガラリと変わりました。その発端となった事件は、DNAの二重螺旋構造が解明されたことでしょう。
上の画像は、その記者会見のときの模様です。ワトソンとクリックは、この大きな二重螺旋の三次元モデルを自分たちで手作りしたんですね。そして、実際、モデルを実際に作ってみることの威力は絶大でした。
子は親に似るが、どこかしら似ているというだけで、まったく同じではない。この遺伝という現象に、人々は大昔から気づいていましたが、なぜそうなるのかはわからず、さまざまな説がありました。その遺伝に関係する物質が、デオキシリボ核酸、略してDNAらしいということは、1944年の時点でわかっていました。ワトソンとクリックはその構造に関する最新の情報をもとに、モデルを実際に作ってみた。そして、その三次元モデルを見れば、多少の知識がある人ならば、ああ、遺伝というのは、そういう仕組みになっていたのか、とわかったんですね。
DNAは、アデニンとチミン、シトシンとグアニンという、この図ではそれぞれA,T,C,Gというアルファベットで表される四つの塩基が手をつなぐことで、螺旋階段を構成する、ひとつひとつの踏み板ができあがっています。その二重螺旋が、ちょうどファスナーを開くようにほどける。つないでいた手が離れ、そうして一本になった塩基配列の写し取ることによって、遺伝情報が複製されるんだな、ということが、もう、見ればわかったんですね。もちろんそれはモデルを見ての推測にすぎませんが、実際にそうであることは、すぐに実験で確かめられました。
そして、どんな複製にもミスがつきものです。DNAの複製でもやはりミスが起こり、それが突然変異を引き起こすわけだ、ということも、もう、モデルを見れば納得させられてしまったんです。実際、この塩基の並びが、生命をつないできた遺伝情報だったのです。
DNAの構造発見からちょうど半世紀後に、遺伝学が次の段階に入ったことを象徴する出来事がありました。
2003年に、ヒトゲノムが完全解読されたのです。大まかなドラフトができたのは2000年のことで、このとき、華々しい記者会見が行われたので、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。
DNAとゲノムはよく混同されるので、ここで、その違いを確認しておきましょう。われわれの細胞には、核というものが含まれています。この図の、紫っぽい色の小さな円で表されているのがそれです。その核の中に、染色体と呼ばれるものが一揃い入っています。性別を決める性染色体がひとつと、それ以外の常染色体と呼ばれるものが22個です。そして、それぞれの染色体には、DNAがうまいこと折りたたまれているのですが、そのDNAを引き伸ばしてつなげた塩基配列をすべて並べて書き出したものが、ゲノムです。つまりDNAは物質の名前なのに対し、ゲノムは遺伝の情報ということになります。
ゲノムは、一冊の本のようなものと考えることができるでしょう。その本には、ATCGという四文字であらわされた塩基配列がずっと書き込まれています。そのずらずらした文字列のあちこちに、いわゆる「遺伝子」を暗号化した部分が散らばっています。ヒトの場合、本の文字数は約30億個で、その本の中に、遺伝子は22000箇所ぐらいに散らばっています。しかしゲノムの中で、遺伝子をコードしているわけではない、「非コード領域」と言われて部分も、必ずも単なるゴミでなく、役割を果たしているらしいことがわかってきました。そんなわけで、ゲノム全体を見ることが大切です。それをゲノムワイドなアプローチと言います。
ヒトゲノムの完全解読は、遺伝学が情報の時代に入ったことを象徴するものでした。コンピュータの性能が大幅に上がり、情報処理技術が驚異的に進展したおかげで、膨大な遺伝情報を扱えるようになり、バイオインフォマテクスという学問領域も出現しています。
ゲノムワイドな研究が進展したことで、いろいろなことがわかってきました。そのなかからふたつほど、大切だと思うことをご紹介したいと思います。ひとつは、長い歴史を持つ「nature or nurture 」論争のこと、そしてもうひとつは、「原因遺伝子説」の成り行きです。
まず、nature or nurture ですが、これは日本語では普通、「氏か育ちか」と訳されます。しかし、これはほんとに誤解を招く言い方だと思います。遺伝のメカニズムがわかっていない昔から言われていたことなので仕方がないとはいえ、「氏」って「家系」ですよね。日本のお家制度の場合、「お家」さえ続けば養子もありです。それは別にしても、なにかしっかりしたものが、ご先祖様から脈々と受け継がれているというイメージは、実は、遺伝の現実とはかけはなれています。(参考資料1、2)むしろ、「氏」というのは遺伝よりも環境で、良い家柄でリッチな環境に生まれるか、そうではないかということのほうが大きいです。社会的、経済的な「親ガチャ」といえましょう。
一方、「育ち」のほうは、素朴に考えれば環境です。しかし、厳密に見ていくと、環境に紛れ込む遺伝要因もあるんです。結局、「氏」と「育ち」などというあやふやな言い方はやめて、はっきり「遺伝」と「環境」と言い換えたほうがよさそうです。そのうえで、人生のあらゆる段階で遺伝と環境は複雑に絡み合って、われわれを作り上げていることがわかってきました。「遺伝」か「環境」か、ではなく、「遺伝」も「環境」も、なのですね。その両方の影響を慎重に解きほぐして調べていかなければならないし、それができる時代になったと言えるでしょう。
もうひとつ、原因遺伝子説の破綻、という話題を取り上げたいと思います。統合失調症や自閉症は、百人に一人か二人ほど発症するそうです。また、双極性障害は百人に十人が発症するとも言われ、けっして少ないとは言えない人たちが罹患します。これらの病気には遺伝性があることが知られているため、研究者たちは長らく、原因となっている遺伝子を突き止めようと努力してきました。2000年代の前半ぐらいまでは、こうした病気は、たかだか十個やそこらの原因遺伝子によって引き起こされているのだろうと考えられていました。ところが、ゲノムワイドな研究が進展するにつれて、その考えは甘かったことがわかってきたのです。
たとえば、「身長」というわかりやすそうな形質でさえ、一説によると、ゲノムという分厚い本の中の、十万カ所ぐらいの文字(つまりDNAの塩基対)が、身長に関係していそうです。身長でさえこれなのですから、もっと複雑な心の病気ともなれば、最低でも、身長と同じぐらいの塩基対が関係しているものと思ったほうがよさそうです。
病気のなかには、たったひとつの塩基配列が変わっただけで発症する、ハンチントン病のようなものもあります。このような病気を、「モノジェニック」な病気と言います。また、Crisper-Cas9という、遺伝子編集による治療が、昨年、アメリカではじめて承認されたのですが、その治療対象となる病気は、鎌型赤血球症です。鎌型赤血球症は、ゲノムの本の中の、二箇所の文字が置き換わったために起こる病気です。遺伝子編集による治療は、このように、ごくシンプルなものから慎重に始めていくことになるでしょう。
では、究極的に、十万個とか百万個とかの塩基対をいじれるようになれば、望みどおりのデザイナーベビーができるのか、というと、そうは問屋が卸さないようです。というのは、いわゆる頭の良さ、つまり現代の社会で高い学歴を達成するような特徴と関連するような塩基対は、最近の研究によると、統合失調症や、双極性障害や、神経性無食欲症や、強迫神経症等といった、精神障害のリスクと相関しているらしいのです。そうなるもの無理はないような気がします。人類の遺伝的な構成は何万年も前からあまり変わっていないわけで、現代の先進諸国のような社会でうまく生きられるようには、必ずしもできていないはずですから。現代社会にうまく適応できるような形質は、心の病と相関がある、と言われれば、ちょっと思い当たるフシもあるのではないでしょうか。
このように、近年、遺伝の複雑さがわかってきたのですが、実は知識人と言われる人たちのなかにも、この点についてはあまり理解が進んでいない人もいるようです。たとえば、ユヴァル・ノア・ハラリという人は、『ホモ・デウス』という本のなかで、「七万年前の認知革命のおかげでホモ・サピエンスは世界の支配者になった。それを引き起こしたのは数箇所の変化である。したがって、もういっぺん何箇所か書き換えれば、銀河系の支配者になるかもしれない、それがホモ・デウスだ」というようなことを言っていますが、ゲノムの複雑さを思えば、「いや、そうは問屋が卸さないのですよ」と言わなければなりません。
このように「遺伝か環境か」ではなく、「遺伝も環境も」であることがわかってきました。それもさまざまなレベルで、この両者は複雑に絡み合っている。それらと解きほぐしてみていかなければならないし、それができる時代になっている。そしてその際には、ゲノムワイドな影響関係を調べてかなければならないし、それができる時代になりつつある! と言うことができると思います。
付録として、途中で簡単に触れた内容の資料を添付します。