NEWあやとり家族〜どん底で苦しんでいる人たちへ〜
3週間ぶりの投稿
色々な悩みを抱えている人、恨みつらみ、後悔
人それぞれ色々あると思います
何をしていたかというと、自分との対話
私は自分の限界を知らない、わからない
だから、体調崩す時は仕事中に倒れて入院とかいう結末になる
これも何回も繰り返していて本当に自分のことわからないんだなって思っていたけど
自分のこと知らないだけなんだと、知ろうとしないというか自分のことを大事にしていないっていう結論に達した
だから今回も自分の日常生活が送れなくなるまで、仕事が手につかなるまで疲弊して、やっと気がついて
でも自分ではどうすることもできなくて、自分で考える力なんて元々持っていないから困り果てて
困っているという友達のためにサラ金にまで手を出して助けた
「情けは人のためならず」
返ってくるはずもないのに本当にばか
でも、友達だからと信じて
断る方が、お互いのためにはよっぽど良かったって今更気がつく
これも勉強と言い聞かせ100万近く貸したお金の返済を今私がしている
金額とかはどうでもよくて
まずは自分のことなんだ
体調然りお金のこと然り、線引きすることができるようになるためには
ますは自分のことを理解しないといけないと思った
これ以上は自分のこと大事にできなくなるっていう視点で考えれば大体のことは結論が出るのかと
例えば、これ以上お金を貸したら自分の生活ができなくなるなら断る
当たり前のことだと思う人もいると思うけど、それができないのが私
どこまでも自分を犠牲にできる=自分を大事にしない
風邪気味だったら薬を飲むとか、仕事休むとか
それ以前に咳が出てきた、「風邪かな?」っていう感じることができるのと同じように、自分のことに気がついていきたい
ご飯が食べられなくなって経腸栄養を飲んで維持して生きているっておかしい
心と体って繋がっていることは知っていたけれど
改めて実感できた
緊張してお腹が痛くなるとか、そういうレベルを超えてやる気や体力までなくなる
明らかに危ないと思い、やっと友達に相談した時にはもう遅かった
もちろん聞いてくれたし、労ってもくれたけれど
自分の心は既に壊れ始めていて、聞いてくれた時は満足いくし、理解してくれたから嬉しい気持ちでいっぱいになるけれど
結局離れてしまえば、また元に戻ってしまう
毎日のように連絡をしては「わかって理解して慰めて労って」っという気持ちになって、それで満足を得ようとしていた
結局何の問題解決にもなっていない
友達だって永遠に話を聞いていても疲れるだけ
だって私自身が変わろうと思っていなかったから
そうやって気づかせてくれたのも毎日のように、話を聞いてくれている友達だった
自分が変わるってどういうことを考え始めたのもそれからのこと
変わるのではなく自分で考えていくことの大事さ
いつの他力本願で、困ったときは逃げてきた自分の生き方が今ここでこういう結末になっているだけのこと
人をすぐに信じてしまう、先延ばし傾向がある
衝動性、こだわりが強いとか発達障害の特性はもちろんある
脳内多動なんて私より酷い人がいるのかと思うくらい
だけどもう発達障害のせいにしてはいられない
同時進行は非常に苦痛な作業だけれど
そういう自分の特性を理解して薬も飲みながらだけど、理解していれば行動は変えられる。最初のうちは我慢も必要だったしイライラすることも多くて
今でもそれは変わらないけれど、深呼吸して1秒でも遅らせることはできる
やる気もなくてご飯もお風呂も面倒で何もできなかったけれど
動いてしまえば脳内多動は和らぐ
とか?自分なりに色々と試していたわけです
これからもやらなくてはいけないことが山ほどあって
最悪の事態、自己破産のことも視野に入れて考えている最中です
自分のこと大事にするとか、いまいちわからないけれど
他人軸で生きてきたからね
でもそこにフォーカス当ててしまうとまた考えることが増えてしまうから
今は、毎日今日だけのことだけを考えています
休みの日は苦痛でならない日々がだいぶ続いていた
最初のうちは友達に電話して愚痴聞いてもらっていたけど
さっき言った通り何の意味もないし、友達が離れていくだけだから
更には、お金ないし身体ともに疲弊しすぎてやる気も起きなかったから
引きこもってお酒飲んでタバコ吸って、両方美味しくもなくなって
時間潰しのためだけの材料
面白くもないドラマ見て、ずっと座って疲れたからって散歩行く、しかも10分とか
人間って飽きるものだから、いつまでもこういう気持ちでこういう生活していたらダメになるってわかってくるものなんだよなって。それまでゆっくり待とうって思っていて。
変わりたくても変われない時だってある
っていうことを自分でわかって
それでも心の奥底に「へこたれない」「私はできる」
っていう思いはあるんだっていうことに最近気がつきました