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あやとり家族四十二〜父危篤、留学先から帰る事になる〜

読むことができなかった父からの最期の手紙

突然、ばーちゃんから電話が来た

お母さんにも内緒で自らかけてきていた

「お父さんと迎えられるお正月は最後になると思う。だから帰ってきてくれ」

だからお正月には日本へ戻った

父は癌を患い、余命宣告を受けていたことを知ったのはこの時だった

実はすずちゃんは憧れの海外留学だったのに、持病が見つかり3ヶ月足らずで先に日本に帰国していた

私が海外へいる理由なんて、その時からもはやなかった

だけど新しい経験や、いつの間にか覚えていく英語
他国の人との関わりなど楽しく感じられた

双子としてではなく
1人の人間として扱われることが1番嬉しかった

日本にいるときは”すずちゃんは?”
の質問を大抵される

きっとすずちゃんも同じだったろう

双子だからって全部を知っている訳でもないし

他人だから

うんざりしていた私にとって
すずちゃんのいない世界が、初めて自分を表現できる場所になった

たまたま海外だったこともあり、私の過去なんてみんな知らないから
余計に居心地が良かった

お正月も終わり、留学先へ戻る

その頃からばーちゃんからの単独電話が頻回になっていった

父のことを心配して逐一報告してくる
”もう危ないから帰ってきて”
っと再三繰り返す

小さい頃はあんなに私のこと相手にしなかったのに
むしろいじめてきていたのに

それでも必死に伝えてくるものだから
言いたいことも言わず気持ちを受け止めた

”もう日本に帰ろう”
そう決めて両親になんの連絡もなく学校をやめて帰国した

帰国したその日、入院している父に会いにいった

”驚くかな”
”どれだけ喜ぶかな”

っという期待でドキドキワクワク

父の病室に入り「ただいま」というと

父の顔が豹変した

「なんで帰ってきたんだ!」

それから1ヶ月間無視された

母によると”ももちゃんが海外で頑張っているから、俺も頑張る”と
それだけの気力で病気と格闘していたらしい

ばーちゃんが何回も連絡してきたことは言えなかった

また我慢した、私のせいじゃないのに

ばーちゃんがそうやって何度も連絡していたこと
母も知らなかったということは後から知った

父は私宛に手紙を書いて海外に送ったところだった

私はホームステイ先に連絡をして私宛の手紙が来ていないか確認をした

運の悪いことにその頃ちょうど家に泥棒が入ったと

郵便物も全部持っていかれたから何も残っていないとのことだった

これが父からの最後の手紙だったのに

なんて書いてあったのだろう

すずちゃんのために私を留学させたはずなのに

なぜか悲しくなった

自分が悪いことをしたという気持ちになった





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