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ドーハの悲劇

ゆうきといいます。
自己紹介をさせて頂きたいと思います。

会社員(◯◯◯◯輸)
47歳
既婚 5人家族(3人の子ども)
趣味はスポーツ観戦

元々スポーツをすることが好きで、小さい頃から遊びでしたが野球やサッカー等やっていました。
中学生から部活で本格的にサッカーを始めました。
高校生の一年生の冬に半月板を損傷して退部しましたが、現在も時間が合えば友人とフットサルをしています。

自己紹介はこの位にして本題に入りたいと思います。

今更、なぜドーハの悲劇なのか?
パリオリンピックが始まり、男子はオーバーエイジ枠を使わずに連勝で決勝トーナメントを決めました。
女子もブラジルにアディショナルタイムのスーパーゴールで勝利を掴みました。

以前から日本は若い世代は勝てるのにA代表では結果を残せないでいたと思います。 
 
今では日本がワールドカップに出場するのが当たり前になっているが、フランスワールドカップの初出場までは日本は予選敗退が当たり前でした。

ドーハの悲劇とはほぼワールドカップ初出場が決まるアディショナルタイムでの失点により同点に追い付かれ初出場を逃した試合です。

試合経過

編集

第4戦までは全試合がハリーファ国際スタジアムで行われてきたが、最終戦は3試合同時進行のため、日本-イラク戦はアル・アリ競技場で開催された。観客席はイラクのサポーターが多数を占めたが、遠来の日本サポーターも懸命に声援を送った。

両国の過去の対戦成績は日本の1引き分け3敗で、ロサンゼルス五輪アジア・オセアニア地区最終予選(1984年4月21日 日本 1-2 イラク)以来9年半ぶりの対戦となる。
第4戦からイラクは中3日、日本は中2日を挟んで最終戦に臨む。

日本は、北朝鮮戦・韓国戦で成功した4-3-3システムを継続。
前線には三浦知良・中山雅史・長谷川健太が変則3トップ気味に並ぶ。
中盤のボランチのポジションには、韓国戦で活躍した北澤豪に替わり、出場停止明けの森保一が戻った。
イラクは出場停止処分が重なり、主力数名を欠いた布陣で臨んだ。

前半戦試合は開始5分に中山のポストプレーから長谷川がシュートを放ち、クロスバーに弾かれバウンドした所を三浦知良がヘディングで押し込み、日本が早々と先制する。
その後は勝利でしか望みをつなげないイラクが同点を狙い、日本が堅守からカウンターを仕掛ける展開となり、前半は1-0のまま終了した。他会場の前半は『サウジアラビア 2-1 イラン』『韓国 0-0 北朝鮮』で、このスコアのままだと日本とサウジアラビアが勝ち抜けとなる。
後半戦後半に入るとイラクのサイド攻撃が活発になり、49分にはオムラム・サルマンがヘディングシュートでネットを揺らしたがオフサイド。
しかし55分にアーメド・ラディがセンタリングをゴールへ流しこみ、1-1の同点に追いついた。
日本は特に中盤の運動量が落ちてセカンドボール回収がままならなくなり、以降イラクが更にボール支配率を高めて攻勢を強めていく[5]。
他会場ではサウジアラビアと韓国が得点を重ねており、日本は劣勢下で勝ち越すことができなければ予選敗退となる。
イラクは何度か決定的なチャンスを掴むが得点には結びつかず、64分には日本のDFとGKをドリブルで抜いたカディム・ジェブルが無人のゴールにシュートするも外す。
逆に日本は69分にラモス瑠偉のスルーパスをオフサイドポジションぎりぎりから中山が右角にシュートを決めて、2-1と勝ち越しに成功した。

イラクはその後も攻め続け、40分には右サイドを突破しシュート気味のクロスボールを上げるが、GK松永成立がなんとか右手で弾くと、堀池巧も飛び込みながらなんとかクリアし、逆サイドにいたイラクの選手にボールを渡さず、失点を与えない。
ロスタイムその後、イラクの運動量も落ちたことで、膠着状態のまま日本の勝利の時が近づく。
89分50秒、ラモスのパスをカットしたイラクは自陣からカウンターアタックを仕掛け、日本の左サイド(バックスタンド側)からコーナーキックのチャンスを得た。
このキック前に90分を経過してロスタイムに突入。
ここでキッカーのライス・フセイン=シハーブはゴール前に直接センタリングを送らず、素早くショートコーナーを開始。
意表を突かれた日本は三浦知良が対応するが、ハラフ・ムフシンに振り切られセンタリングを上げられる。

これをニアポスト側にいたオムラム・サルマンがヘディングシュート。
ボールは、見上げるGK松永成立の頭上を放物線を描いて越えゴールに吸い込まれ、同点となった(90分17秒)。
イラクの同点ゴールが決まった瞬間、控えを含めた日本代表選手の多くが愕然としてその場に倒れ込んだ。
その後、日本はキックオフからすぐ前線へロングパスを出すも、ボールがそのままタッチラインを割ったところで主審の セルジュ・ムーメンターラー(スイス)の笛が鳴らされ、2-2の引き分けで試合終了となった。
試合終了後終了後、ピッチ上の日本代表選手の多くは、かなり長時間にわたってその場にへたり込んだまま動けず、控え選手やスタッフに声をかけられ、夢遊病者のようによろよろと立ち上がるという状態だった。
キャプテンの柱谷哲二は両手で顔を覆って号泣し、ハンス・オフト監督と清雲栄純コーチに支えられながらピッチを後にした。
左サイドバックの勝矢寿延は、これまで惨敗でのワールドカップ地区予選敗退のイメージがあったため、引き分けという結果で予選敗退という状況が呑み込めておらず、他の選手がピッチにへたりこむ様子を見て不思議に思ったという。

日本-イラク戦より数分早く終了した他会場の結果が、『サウジアラビア 4-3 イラン』『韓国 3-0 北朝鮮』だったため、最終順位は下表の通りとなり、サウジアラビアと韓国が本大会への出場権を獲得。
得失点差で韓国に及ばず3位に転落した日本は出場権を逃した。
「日本リード」を聞かされていた韓国の選手達は勝利後もうつむいていたが、「日本同点、試合終了」の結果を知ると一転して歓喜に包まれた。

ワールドカップ初出場を最後のワンプレーで手のひらからすり抜けた日本代表!
自分は中学生だったので自宅で観戦していましたがかなりショックでした。
この様に日本代表の歴史や一押し選手を投稿していこうと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。


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