ポータブル聖地
自分の中にある神様が暴れ出す時ってありませんか?
【どうしても、外に出たい‼️】
みたいな。
でも、その神様が暴れ出すタイミングって
【このタイミングじゃないんだ!!】
って事がほとんどで、
自分が都合の良いタイミングで来てはくれないものです。
しかし、その「タイミング」を逃してしまうと、その神様はどこかにいってしまう。
その「タイミング」で取り掛からないといけないのです。
自分の思考の助いる余地はなく、その感覚に従うしかないのです😭
それでも、
生み出そうと、苦しみながらも楽しんで、
生み出したものが「アート」なんだと分かった時に、
ものすごく純粋で綺麗なものが溢れてくるのが分かりました。
誰にも汚すことのできないモノ。
誰にも汚しちゃいけないモノ。
強くはないけど、弱くはない。
むしろ、革命的なエネルギー。
生み出した後の顔ってキラキラしているのです。
脱皮したかのようの、つるっとした感じ。
人より秀でたいとか、
上手く描きたいとか、
稼がなきゃとか、
そういう事じゃなくて、
ただ、自分の中にある「神様」を生み出したい。
ただそれだけ。
なんて美しいんだろうって思い知らされました。
そこには、何ものっかってないんですよね。
純粋なんだけど、響くモノが確かにある。
叫びなのでしょうか?
純粋で綺麗なんだけれど、
そこには確かに色が散りばめられている。
なるほど、「アート」なら、
世界を救えるのではないか?
本気で思っちゃいましたね。
だからこそ、「アート」を見るって、人の神様に触れる事なのだなと。そうして自分の内にある神様が共振を始める。
「アート」を生み出してくれている作家さんは尊敬してますし、感謝しています。
久々にお会いした方に頂いた言葉です。
「ゆーちゃんが書く言葉って心にズシンと響くけれど、ものすごく軽いのよね。重たい領域にいるのに、生み出すものは軽い。
重たいものを重くでしか伝えられない人が溢れている世界で、それって凄い事よね。
コレって積み上げないとできない事なはずだけれど、
さらっとうまくやりのけてしまう感じ。
ゆーちゃんもきっと色々な経験してきてると思うけどね。
でもね、
きっと私たちの世代の人って、そういう時間をかけて達成するような領域に、時間をかけなくても、こなせてしまうような能力ってあると思うのよ。
でも、それって、スイッチ一つで誰にでもできると思う。
スイッチを押すか押さないかだけな気がする。」
確かにそうだなぁ〜としみじみと感じました。
「アート作品って、まるでポータブル聖地だね。」
そうそう、まさしく聖地!!!
アートって聖地なんだなと。
日本人って、カタカムナとか龍体文字とか、なんなら平仮名とかがあるように、【紙と鉛筆】があれば、
本来一人一人が聖地を生み出す事ができたのじゃないかなと思います。
「好き」を仕事にするってこういうエネルギーに繋がるのでしょうね。
純粋さというか、ズシンとくるけど、軽いモノ。
だから自分の神様と繋がらないといけないのでしょうね。
頭でこれは好きだと思い込んでいては繋がらない領域。
生み出したいな。
これを生み出す事に喜びがある。
それを生み出すためには、自分に正直にならないといけないし、これでもかって打ちのめされるほど自分と向き合わないといけないのかもしれません。
でも、それが喜びでも絶対にある。
一人一人のスイッチがオンになって、
一人一人が生み出すもの。
そして、それが世界を創っていくのだとすると、
世界は希望に溢れているなと。
まるで、灰色の世界が段々と色づき始めるような感覚。
ホンモノのエネルギーとぶつかる事が、自分のDNAを
オンにする方法の一つなのかもしれないですね。
その先に、きっと何をしても楽しいと思える世界が待ち受けているのでしょうね。
私のモノだとか、
羨ましいとか、
悔しいとか、
私にはそんな力無いとか。
そんな世界から飛び立って、
一人一人が神様に繋がって、
聖地を生み出す才能を出し合った。
そんな世界をみんなで作って行けたら良いですね🌈