企業チームが地域密着型クラブに変わるとき
はじめに
企業チームが地域密着型クラブ(プロ、アマ問わず)に生まれ変わるパターンには、二種類あると思います。
ひとつは企業チームが自ら進んで地域密着型クラブになるパターン。
発展的というかポジティブな動機からきています。
代表的なものはJリーグのオリジナル10でしょうか。
オリ10は、清水を除いてもともとは企業チームでしたので、企業チームがプロリーグに参戦するため地域密着型プロクラブになったパターンとして非常にわかりやすいでしょう。
逆の例は、企業チームが廃部になり、廃部するチームに所属していた選手・監督・スタッフたちの受け皿として、地域密着型クラブが誕生するパターンです。
どちらかというとネガティブな事象から発生したものです。
廃部になった企業チームと新しく誕生した地域密着型クラブでは、厳密にいうと別チームかもしれませんが、廃部チームが持っていたリーグの参加資格を地域密着型クラブが譲り受けることもあるため同一チームとみなしてもそれほど的外れではないでしょう。
それぞれのパターンについて、具体的な事例を紹介します。
1.発展的プロ化パターン
新日鉄ブレイザーズ → 堺ブレイザーズ
2000年の11月、男女ともにバレーのリーグ戦優勝回数が歴代最多のチームである新日鉄(男子)と日立(女子)が会見を開き、バレー部の処遇を発表しました。
そこで明らかになったことは、日立のバレー部は廃部、新日鉄はチームをプロ化することでした。
晩年の数シーズンは低迷していたものの女子バレーの代名詞的なチームであった日立女子バレー部の廃部は衝撃でしたが、新日鉄バレー部のプロ化もそれ以上のインパクトでした。
日立は、プロスポーツクラブであるJリーグの柏レイソルを保有していますが、新日鉄(現日本製鉄)はこの時点でプロクラブを有してはいません。
日立の方がプロ化の選択をしそうですが、プロクラブを有しているからこそその苦労がわかっていて、プロ化を選択しなかったのかもしれません。
(日立は、それ以外にもバレーのプロ化に関して容易に賛同できない複雑な過去があるのですが・・・)
しかも当時のバレー界には本格的なプロクラブは存在せず、チームがホームゲームを主催することによってお金を儲けることができる試合の興行権すら認められていませんでした。
(プロクラブとして創設された元ダイエー女子バレー部のオレンジアタッカーズも、試合で売上を稼ぐことができない当時のVリーグのルールに苦しめられました)
いわゆる先駆者が直面する困難というものが多分にあったと思われます。
このころ、新日鉄の属する鉄鋼業界も他の業界と同じように平成不況のあおりを受け、業績が落ち込み、多くの運動部が廃部になっています。
事実、新日鉄もあの野茂英雄さんを輩出した堺の野球部などを廃部しています。
男子バレー部もリストラの対象になるところを、「これからは会社の負担をなるべく軽くするように」という目的でプロ化し、消滅の危機を免れることとなったのです。
リーグ側にホームゲームの興行権を強く求め、これが認められました。
いまでは殆どのVリーグのチームがホームゲームを自主運営しており、それぞれのチームが独自のホームゲームを開催することで、たくさんのバレーファンを楽しませています。
ブレイザーズの働きかけは、今日のVリーグの発展に大きく寄与したと思います。
2.廃部チームの受け皿的パターン
東芝シーガルズ → 岡山シーガルズ
この例として代表的なのは女子バレーの岡山シーガルズです。
1999年、Vリーグに参戦していた東芝シーガルズが廃部になりました。
東芝の京浜事業所で活動していたため、もしいまも存続していれば、NECレッドロケッツ川崎との対戦は、京浜ダービーとして盛り上がっていたのかもしれません。
廃部が決定したあと、河本昭義監督の尽力で地域クラブとして生まれ変わりました。
河本監督が合宿所で知り合った外国人から「Vリーグのチームはお金をかけ過ぎている。もっと低予算でもバレークラブは運営できる」と聞いたことがヒントになり、協賛してくれる企業や個人を探し、資金を集めました。
当時のVリーグの規定では、クラブチームの参加は不可能だったので、河本監督が知人たちと共に大阪に運営会社を立ち上げました。
(選手やスタッフは、運営会社の契約社員という形態です)
運営会社の社長は、河本監督の教員時代の先輩が手弁当で引き受けてくれたそうです。
発足当初は、富山県黒部市を本拠地としクラブ名にも地域名が入っていませんでしたが、2001年に現在のホームタウンである岡山市へ移転し、クラブ名も現在のものへと変更になりました。
大企業の後ろ盾がないチームのため、練習場などの確保にも苦労し、地元の小学校の体育館を借りることもあったとか。
売上の一部がシーガルズの運営費に使われる自動販売機を地元の市役所・会社・工場に設置するなど、市民からお金を集めるために様々な試みを実施しています。
いまでこそ当たり前になったVリーグチームの地域貢献活動も、昔から行っており、地元警察の一日署長をシーガルズの選手が務めたときは、バレーボールのクラブらしく『交通事故をブロックしたい』と挨拶し、地元民に交通安全を呼びかけました。
まとめ
企業チームが地域密着型クラブへ生まれ変わるパターンについて紹介しました。
1.で述べた堺の例は、Jリーグのクラブと違い、主幹企業から自立を求められ、やむなくプロ化した側面も否めず、どちらかというとネガティブな着想からきていたのかもしれません。
そういう意味では2.のパターンに近いのかもしれませんが、動機はどうあれ、Vリーグのクラブでもプロ運営ができる可能性を示してくれたはずです。
SVリーグの開幕を控えたいま、当時のブレイザーズの勇気ある決断は、再評価して良いように思えます。
2.の例で取り上げたシーガルズは、バレーファンの間で粘り強いバレーを展開するクラブとして知られています。
創設時から多くの苦労を重ねてきたシーガルズに相応しいスタイルだと思いませんか?