企業スポーツから地域に密着したプロスポーツへ、バレーボールの改革「VリーグReborn」
今年からバレーの国内リーグであるVリーグが変化を遂げます。
この変革を端的に言うと、アマチュア運営を地域密着のプロスポーツ興行に変えることですが、なぜ変革が必要になったのか?
日本のスポーツ界の歴史を紐解きながら、考えてみたいと思います。
1.企業スポーツの果たしてきた役割と限界
いまや日本のスポーツ界では、プロリーグもプロクラブもプロ選手も当たり前の存在になっていますが、昭和の時代は、野球を除いて団体球技はアマチュア=企業スポーツでした。
企業スポーツとは、企業が学校のように運動部を所有し、学生スポーツがそうであるように、お金を儲けることを目的にはしていません(報道するマスコミがお金儲けしている側面はありますが、主体が利益を追求しているわけではない)。
企業が、利益を生み出さないにもかかわらず、自社の社員で構成されたスポーツチームを持つ当初の動機は、社員の士気高揚、福利厚生の一環といったことが挙げられます。
労使対立が激しい時代は、社員みんなが自社のスポーツチームを応援して一体感を養う必要がありました。
1964年の東京五輪でスポーツ観戦が娯楽として定着すると、企業スポーツは会社のイメージや知名度の向上につながる広告塔としての役割が期待されるようになりました。
自社の宣伝・PRのためにこれまで以上に勝つことが求められるようになると、本業である仕事を免除されてスポーツに専念する選手がでてきました。
あくまで立場上は社員であるため、プロスポーツ選手ではありませんが、他の社員と一緒に仕事をしているわけではないので、「職場の仲間」といった意識は薄れ、企業スポーツの当初の役割であった社員の士気高揚という側面は弱くなりました。
このように企業スポーツの意味合いが変化したにもかかわらず、日本のスポーツ界はプロ化せずアマチュアのままでした。
入場料収入や放映権収入などで儲けようとしなくても、バルブ時代の日本では企業がスポーツチームを運営できる余裕がありました。
選手にとってみれば、プロスポーツ選手ではないので、大金を稼ぐことはできませんが、競技をやめた後は、会社で社業につくことができ将来の保証があるということで、「実態はプロ、名目は社員」といったいわゆる企業アマの体制は選手にとっても魅力的なものでした。
しかし平成の世になりバブル経済が終焉を迎えると、リストラの名のもとに多くの企業スポーツが消滅していくことになります。
業績が悪化している企業では、スポーツどころではなくなります。
従業員をリストラしながら、多額の経費が掛かる運動部(スポーツチーム)を存続させることは従業員や株主が黙っていないでしょう。
スポーツ興行を生業とするプロスポーツクラブであれば、お金がなくなれば、存続するために経営改善をするなどの自浄作用がありますが、企業スポーツチームはあくまで企業の部活動なので、企業が辞める判断を下せば、チームはなくなってしまうのです。
企業スポーツの消滅は、景気の後退だけが理由ではありませんでした。
世界のスポーツがプロ化し、エンタメ性が高いこれらのスポーツ(アメリカの四大スポーツや欧州サッカー)が衛星放送の普及で気軽にみられるようになると、企業スポーツの広告価値が相対的に低下していきました。
また、終身雇用が当たり前だった雇用関係も変化し、転職することに抵抗がないサラリーマンが増えると、当初の役割である社員の士気高揚の意味で運動部を持つメリットは、ますます減退していきます。
これらの事象により、企業スポーツの存在意義自体が薄れてきたのです。
2.地域と共生するプロスポーツの意義
企業スポーツの廃部が徐々に増えていく中で、1993年、サッカーのプロリーグであるJリーグが開幕しました。
同じプロスポーツでも当時のプロ野球とは異なり、地域密着型の運営を目指したのがJリーグでした。
親会社に頼らず、入場料収入、グッズ販売収入、スポンサー収入、放映権収入などによりクラブが自前で稼ぐことが推奨され、また「地域に貢献し、地域の人に愛されて支援してもらう」という理念を持っていました。
一つの企業に依存せず、複数の企業・住民・自治体で支えあうという構図です。
つまり、景気の動向などにより企業がダメになると、チームごとつぶれてしまうリスクを避けられるところが、旧来の企業スポーツと決定的に違う部分です。
モデルとなる考えは、欧州に存在する総合型スポーツクラブです。
それは、だれもがその場所に訪れれば、スポーツを楽しめる環境であり、地域の交流や振興の拠点ともいうべき存在です。
地元企業や自治体、市民が共同でクラブを支援すれば、そこで交流が芽生えるため、スポーツクラブが地域に住む個人・団体をつなげてくれるハブになるのです。
とはいえ、日本には根付いていない文化のため、経験やノウハウが足りず、Jリーグも開幕から数年は旧来の企業スポーツの枠組みから脱皮できていない部分がありました。
親会社の都合で消滅したり、親会社の撤退で経営破綻の危機に陥るクラブもありました。
しかし、理念実現のための歩みを止めなかったJリーグは、開幕から30年を経過し、加盟クラブは当初の10から60に増加しています。
大企業がバックについていなくても、地元企業の小口スポンサーを多く集めた市民クラブが全国に数多く誕生しました。
Jリーグの各クラブが取り組んでいるホームタウンの地域活動の総数は、年間二万件を超えるそうです。
Jリーグの地域密着の概念は、スポーツ界全体に影響を与え、バスケットボールのBリーグは、Jリーグと同じように地域密着を旗印に規模を拡大し、いまや野球、サッカーに次ぐ第三のリーグになっています。
プロリーグが誕生するところまでは至らなくても、企業チームが休廃部してしまった受け皿として、地域クラブが創設され、そのクラブがトップリーグで活動している競技も多くあります。
サッカーとバスケは、地域が主体であることにより、全国各地にクラブが誕生しました(企業主体だと、活動区域も企業の都合によるので、どうしても地域が偏り、空白地帯ができてしまいます)。
それはその競技の裾野を広げることにも繋がっています。
いまや休日の楽しみとして、地元のスポーツチームを応援することは、完全に定着しました。
3.Vリーグの変革とその未来
前置きが長くなりましたが、バレーの国内リーグであるVリーグも長い間、企業スポーツでしたので、企業の都合でチームがなくなったり、なかなか固定ファンを増やすことができませんでした。
それでも徐々にプロ選手、プロクラブが誕生し、今年からSVリーグへと衣替えされることになりました。
SVリーグも完全プロ化はいったん見送られてしまいましたが、参入条件をみると、プロクラブに限りなく近い運営が求められることは否定できません。
全国各地の街にSVリーグのクラブの旗がなびいている風景に思いをはせながら、筆を置きたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。