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パスタで補う雑煮の弱さ

こんにちはこんばんは瀬戸です。2025年もどうぞよろしくお願いします。

12月はいろいろあった、本当にいろいろあった。前回の記事にコメントをくださったかたも、個人アドレス(noteには個別に連絡が取れるという謎機能がある)で励ましのメッセージをくださったかたも、本当にありがとうございました。言葉に救われる瞬間が何度もあって、特にお別れの経験をした方からのやさしい励ましは、よしよしと背中をさすられる温かさを感じた。すぐにくパワーが満ちるわけじゃないけど、変わらずに日常生活を送るなかで、少しずつ少しずつさみしさと手をつないでいけたらいいね。

年末はいつになくゆっくりした。一人暮らしに慣れきっているからなのか、常に誰かの存在を感じられることがありがたい。買い物に行かなくてもごはんが出てくることがありがたい。お散歩から帰ってきて部屋が暖かいことがありがたい。なにもかもありがたい。あと、思ったことをつぶやくように口から出すと、それに返答やリアクションがあることがほんのりと嬉しい。自分が誰かの言葉に対してリアクションできるのも嬉しい。私は一人の時間がないと窒息するタイプだから、もちろんちょこちょこ散歩に行ったり、離れた部屋で本読んだり、一人でキッチンに立ったりは積極的にしていたけど、意外とそれで十分だった。

親戚のお子たちにお年玉をあげた。清貧社会人なのでめいめいに五千円でいっぱいいっぱい。ひとりひとりにメッセージもつけた。野球がんばれとか、読書楽しんでねとか、ダンスがんばれとか。ポチ袋なんて、お金を抜かれたらゴミ箱行きなんだろうけど、でもちらっとは読むでしょう(読んでくれ)。今思うと、お年玉で一万円札を入れてくれた大人ってめちゃくちゃすごい。その器の大きさと、経済力が。そして小中学生に万札を渡すその寛容さが。私もいつかためらいなく「本や文房具いっぱい買いな〜」って言ってさわやかにふんだんなお年玉を渡せるように頑張りたいと思う。

紅白とレコ大を観た。普段はテレビがないから、なにか家で動く画像を観ようと思ったらもっぱらYouTube(YouTubeも料理動画くらいしか観ない)。年末年始にテレビを流しっぱなしにしていて、おもしろそうな番組を見つけて「おっっ」と引き寄せられる瞬間があるとやっぱりテレビもいいなあと思う。身近にある「偶然の出会い」の最たるものはテレビなのかもしれない。

紅白もレコ大も音楽番組だからそんなに注視はしなかったけど、人が楽しそうにのびのび歌を歌う様子は見ていて気持ちがいい。なんか聞いたことあるな〜というメロディーが、字幕つきの歌詞となって表示されて自分のなかでかちゃっとはまる感覚も結構楽しい。生放送特有のわちゃわちゃ感も年末ならでは。今年はミセスがほんとよかったね、今年「も」か。ミセスの3人を見ていると、心がつながっている人同士で奏でる音楽はこんなにも自由で、こんなにもさわやかで、こんなにもあたたかく、こんなにも頼もしいんだなって感じて泣きそうになる。私も大学のころずっと連弾ピアノをやっていたから、その感覚を思い出して胸が熱くなったり、また連弾やりたいなって思ったり。今年も少しできたらいいな。

親戚のよく知らんオジがパスタを作ってくれた。お昼前に会って、おなか空いてる?と聞かれたから、別に嘘つくこともないなと思って、朝起きたの遅かったのでさっきお雑煮食べたばっかですと答えたら、わかった〜と言ってキッチンに消えた。しばらく外でゆずの葉取りをしていて、おーいと呼ばれたと思ったら、ミートボールがごろごろ入ったパスタが出てきた。日本語苦手なのかな。私が言ったこと聞いてました?と言おうかと思ったけど、まあ聞いてないんだろうし、おいしそうだし、食べた。お雑煮やおせちですっかり清く正された舌に、トマトソースとオリーブオイルのイタリアンな味わいが広がる。口が日本から出国しておいしい、と私が言ったら、でしょ〜お雑煮なんかだめだよあんなクリーンすぎる料理と言ってた。変な人。

お雑煮、端正な味わいとは裏腹に、とんでもなく適当なネーミングの料理だ。雑に煮る、ってほど雑には作れないくせに。我が家のお雑煮はいつもカニ出汁だけど、今年はいいカニが手に入らなくてエビ出汁のお雑煮になった。エビ出汁のほうがクセのないうまみが出るから好き。あと可食部が多いのも圧倒的にエビ。カニは高級感あるけど身が痩せがちだから見かけ倒しのことが多い。まあお正月くらい高級感にプライオリティを置いてもいいか。どうせ鶏肉も入れるからボリューム要員ではないし。お雑煮に最初から切り餅をインする家もあるらしい、我が家は焼いたお餅を食べる直前に汁椀に入れて、その上から注ぐスタイル。お餅のカリカリを楽しみたいからこのほうが好み。昔友達に、それだとお餅に雑煮エキスが染みないじゃん!と反論されたことあったな、染みさせたい人は長めにお餅を浸からせておけばいいのでは。(そういう問題ではないと言われた。どういう問題?)

で、予想外においしかったミートボールパスタを食べて、よく知らんオジといろいろ話した。親戚っちゃ親戚だけど、なにをやってるのか、どんな人なのか、よくわからない人と話すのはけっこう楽しい。お互いにどんな人物なのかを知っている同士で話すとどうしてもその話題に寄せてしまうけど、知らないんだからもう好き勝手話すしかなくて、オジはなんかいま熱中している屋久杉トレイルと土窯について話してくれたし、私は圧力鍋ほしいんだけどヤマダ電機行っても違いがよくわからなかった話を延々としていた。カオスで草。午後も暇だったからオジとヤマダ電機行くことに。圧力鍋の前に立って二人であーだこーだ言いながら最近の調理家電ってえぐいねという話をして、私も向こうもたいしてお互いの話聞いてないから同じ話を3回して呆れ合ったりした。結局買わなかったんだけど、これ便利そう〜家にほしいとつぶやいた小型キッチンスケールをさらっと手に取って、買わずに明日死んだら後悔するよと買ってくれた。マインドが私かよ。ありがとうございました。本物のオジ活しちゃったって言ったら「パパ活じゃないからセーフでしょ」とのこと。アウトでしょ。なんならパパよりタチ悪いのでは?(何度も言うけど、親戚のオジです)

妹とおやつ作ったり、ピアノ弾いたり、オセロしたりチェスしたり、お散歩したり、お正月のテンプレみたいな時間を過ごすのは幸せだった。私がこんなにのんびりゆっくりしているときにも、働いていてくれる人はたくさんいて、本当に尊敬するしありがたい。そういう私だって就職する前はサービス提供側だったわけで、年末年始ゆっくり過ごしてみたいなって思いながらいらっしゃいませしてたから、やっぱりどちら側の気持ちもわかっておくってのは大事。自分ののんびりを誰かが支えてくれていると思うだけでも、社会へのまなざしはだいぶ変わるからね。12月30日から31日のスーパーの裏側はほんとに凄惨なんだよ、なんなのこれって思うほどの物品が届くし、クリスマスと大晦日とお正月と七草がゆがすべてごちゃまぜになってスタンバイしてる。レジも戦場。鮮魚部も戦場。日配品も戦場。惣菜部も戦場。スーパーだけじゃなくてスーパーの物流を支える卸業者も戦場。戦場の最前線にいる人たちの努力によってハッピーな長期休暇が守られているということを、どうかお忘れなきよう、、、(誰目線?)

そんなこんなで、廃れかけていた心も大いに養生されて、私史上一二を争う穏やかな年末年始を過ごせたと思う。本当にいろいろから解かれてぼーっとのんびりできた。みんなありがとう。頻繁にはやってこない機会だけど、私のことを無条件に愛してくれて、見守ってくれて、応援してくれる人たちがいっぱいいると思える瞬間がこうしてあるだけでも生きていく気力になる。言葉じゃなくて、あたたかいお雑煮を手渡される瞬間の目とか、お風呂沸いてるよ〜と声をかけてくれるときの声の大きさとか、寒いからストーブそっち持っていきなって気にかけてくれる気持ちとか、見えそうで見えないところに愛があった。愛がある、と思えるのは、ほかならぬ私の成長なのかもしれないね。

今年はどんな年になるでしょう。引き続き仕事を頑張りたい。おいしいカレーをいっぱい食べたい。文章も山ほど書き留めたい。切手を楽しく収集したい。本を適度に読みたい(たくさんじゃなくていい)。人との関わりのなかで自分の足りなさを自覚したい。温かいベットでたっぷり眠りたい。私にできる範囲で人を愛して、正しいすこやかさを基盤として愛されたい。お金も大事なんだけど、お金って最終的にはどうにかなる(どうにかする)から、そこで足踏みしない勢いの良さと強さを持ちたい。そしてなんだかんだ健康が一番かっこいいので、健康が一番。

前にも書いた通り、noteは今年で終わりです。ここでさまざまな言葉に出会い、励まされ、育てられたことを、これからもずっと覚えていたい。みなさまもどうかすこやかな2025年になりますように。

言葉を愛して、言葉に愛される日々が、私にも、みんなにも、穏やかに訪れるように願って。今年ものびのびいきましよう、つとめてあかるく。


 


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