V6解散:妹が大好きだったアーティスト(アイドルグループ) その2
こんばんは。ほしまるです。
急遽、投稿予定内容を変更して記事を書きました。
ご興味持った方々に読んでいただけたら、幸いです。
※ちなみに、妹が大好きだったアーティスト、福山雅治さんについての記事はこちら
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今日は在宅勤務で家に居た夫は驚きながら、私にとあるニュースを知らせた。
「ほしまる、V6解散だって!」
私は頭が真っ白になった。
真っ先に思い浮かんだのは、彼らの大ファンだった、最愛の私の妹。
彼女がもし、生きていたら。
このニュースをどんな気持ちで受け止めただろう。
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私がV6の存在を知った時
私が、V6の存在を初めて知ったのは1995年、ワールドカップバレーボールの頃に遡る。
たまたま、風邪で会社を休んでいてその日、母が付けたか、妹が付けたか覚えてはいないが、
メンバーが一人ずつ紹介され、テレビには初々しい姿の彼らが映されていた。
この年の大会のテーマ曲
「Music For The People」の曲に合わせ、フロアいっぱい歌って踊る彼ら。
正直に言えば、この時の印象はそこまで鮮明でもない。
ただ、私が知る限りのこれまでのジャニーズとはなんか少し違うな、と思ったことだけは覚えている。
カミセン、トニセンと、年の近いメンバーで構成されている2つのグループから構成されている、というのもなんとなく面白いな、と思った。
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ちなみに、この時彼らがワールドカップバレーボールのテーマ曲を歌い、イメージキャラクターになっていたことが、私には純粋に不思議だった。
まだデビューして間もない彼らが大会の象徴ともいえるイメージキャラクター。
今となればジャニーズのグループにとってイメージキャラクター、サポーターとなること自体、登竜門のようで、これからの活躍を期待されてこそ任される役目なのかも、と思うが。
今改めて調べて、私は驚いた。
ワールドカップバレーボールにおいてジャニーズ所属グループがイメージキャラクター/サポーターを努めるようになったのは、
この年、1995年 。V6が初めてだったのだ。
私は純粋に驚いた。
その4年後の1999年にはデビュー間もない嵐。
以降は、NEWS、Hey!Say!JUMP、Sexy Zone、ジャニーズWEST。
バレーボールとジャニーズ。
この組み合わせが生み出され、バレーボールファンならずとも、これまでバレーボールの試合を観た人たちは、無意識にも彼らの曲と共に番組を観てきたことになる。
そのきっかけが他でもないV6だった。
その彼らは以降、ずっと駆け抜けてきた。
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大好きだった「学校へ行こう!」
1997年、今ではスペシャル番組「V6の愛なんだ」として放送されることもある、学校教育バラエティー番組「学校へ行こう!」が放送開始。
この番組を学生としてでもなく、またV6ファンという訳でもない私が観ていたことの理由は
私自身大好きだったTBSドラマ「未成年」のオマージュとも言うべき、「未成年の主張」という人気コーナーの存在だ。
全国の中学や高校にV6のメンバーが赴く。
校舎の屋上から、思いの丈を叫ぶ生徒達。
中には、告白をする生徒も多かった。
そんな、中高生ならではの甘酸っぱい青春のひとこま。
この「未成年の主張」に限らず、中高生の等身大の魅力を最大限に引き出した企画が多く存在したからこそ、たくさんの人に愛される番組になったのではないだろうか。
その後、TOKIO、V6、KinKi KidsがJ-FRIENDSを結成して、阪神淡路大震災のチャリティー活動を行ったことも、なぜかよく覚えている。
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この時も私は気づいていなかった
1997年の年末から年明けにかけて、夫と私は、とある目的で夫の赴任先である海外から一時帰国していた。
私の実家で久しぶりの年末番組や、お正月番組、日本に居れば当たり前のように観れるバラエティー番組やドラマを観ながら、おせちだけでなく 日々母の作る手料理に甘え、私は束の間の解放感に浸っていた。
私の家族ともすっかり打ち解けていた夫も、久しぶりの日本、ゆっくりと寛げる時間を満喫していた。
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どの音楽番組だったか...
今でも思い出せないのだが、一時帰国中に食卓を囲みながら、テレビから流れていた音楽番組を私は色んな思いで見つめていた。
当たり前だが、進行役(司会)も、アシスタントも、アーティストやアイドルたちも日本語で話すことに懐かしさがあったのだ。
そして、赴任先では夫も私もかなりの数のCDを持っていったとはいえ、今の旬の、流行りのJ-POP、日本のロック、アイドルソングを聴けることは、日本人として、ささやかな幸せだった。
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「次は、V6でーす!」
司会とのトークの後、彼らが歌っていたのは
「WAになっておどろう」
だった。
ぼんやりと眺めながら、ああ、あのV6だ、と認識した。
バックのジャニーズJr.と思わしき少年たちや、子どもたちと躍りながら歌う彼らを見て、私は何気なく言ってしまった一言がある。
「なんでV6はこんな呑気な歌しかもらえないのかなー。。。」
これを読んで不快に思われたファンの方、ごめんなさい。
私も当時、なんでこんな一言を発してしまったのかわからないのですが。
ただ、私自身、この時発していた一言を後々深く、深く反省することになるのです。
ある人を深く傷つけてしまったことに気づかなかったから。
☆
妹はV6が大好きだった
その後間も無く、夫が一足先に赴任先へ戻り、1ヶ月ほど後に私も再び日本を離れた。
そして、その年の春。
私は日本から遠く離れた国で、両親と妹の訃報を知らされた。
帰国して、喪主・たった一人の遺族として葬儀の準備や、法要の準備、様々な手続きなど...
目まぐるしくも無情に時は流れていく。
その時の流れに、もう私の両親も妹も存在しないことがたまらなく辛かった。
☆
帰国後間も無く、葬儀に参列していただきたい一心で私は家族と縁ある人たち全てに連絡した。
まだメールもインターネットもない時代だが
私は家族と縁ある人たちにしっかりとお別れしていただこうと思っていた。一人一人と時間の許す限りお話した。
葬儀の際も、妹の縁ある人たちと沢山話ができた。
そして、その後もしばらく手続きの関係で日本に滞在していた私には家族の友人や知人から、お墓参りに行きたい、とかお線香をあげたいという連絡が絶えなかった。
中でも最も顔を合わせたのは、妹が大学で知り合った親友たち、仲良しのクラスメイトたちだった。
皆が、妹と同じように私を
「お姉ちゃん」と呼ぶたびに、涙が出そうになった。
妹はこんなにも沢山の友達、学友に愛されて、
そんな友達、学友たちも、妹を失った悲しみにくれていることが本当にやるせなかった。
彼ら/彼女らは、会うたびに私が知らない、キャンパスでの妹とのエピソードを思い思いに語ってくれた。
ある時、妹の親友の一人から思いがけない事実を知らされた。
「まめちゃん(妹)、V6大好きだったじゃないですか、それでね...」
あたかも、私が知っている事実であるかのように彼女は自然と切り出した言葉を遮り、尋ねた。
「えっ...どういうこと?まめがV6のファン?」
みんな、不思議そうに顔を見合せながら微笑み、こう告げた。
「そうですよー(笑)!まめちゃん、V6の大ファンで有名でした。岡田准一くんの大ファンなんですよね。」
私はめまいがしそうだった。
妹はV6のファンということ。
知らなかった。
何でも話していた姉妹だったのに。
彼女の死後初めて知った、唯一聞かされていない彼女の真実だった。
☆
妹が切り出せなかった理由。
親友や友人たちは妹のV6へのファンの熱量を語ってくれた。
出演する番組はテレビ、ラジオ欠かさずチェックして録音/録画していたこと。
いつもシングルなどがリリースされるたびに嬉しそうに語ってくれたこと。
また、ある時は通学時に 妹の大好きな岡田准一くんと同じ電車に乗り合わせたことがあったそうだ。
照れ屋な彼女は、「ファンです」とか「握手/サインしてください」なんて言えず、
岡田准一くんの降りた駅で降りてから、岡田准一くんが次に降りる駅までファンだとバレないように同じ車両に乗っていたそうだ。
そんなことをしていたから、大学の講義に間に合わず、次の講義から聴講したことを皆に笑われたという。
彼女の遺した日記にも、手帳にも、V6に関することがぎっしり書き留められていた。
知らなかった。
妹にもそんな一面が存在し、友人に周知の事実だったことも。
なぜ私に言えなかったんだろう。
すぐに私は思い出した。
あの時、食卓を囲みながら、私が何気なく発した一言を。
「なんでV6はこんな呑気な歌しかもらえないのかなー。。。」
あの時だ。
きっとあの時、私は無意識に発した一言で
妹は少なからず傷ついたかもしれない。
そしてこんなことも思ったかもしれない。
「姉ちゃんには言わないでおこう。」
無意識とはいえ発した一言で確実に彼女はファンであることを私には隠した。
私はなんてことをしたんだろう。
後悔しても、妹には直接謝れない。
そのことが辛かった。
☆
妹からバトンを受けとる
私は決めた。
妹に謝ることはできない。
妹と同じ熱量で応援することもできない。
けれど、妹に代わって、夫と私でひっそりと彼らの活躍を応援していこう。そう決めた。
日本に帰国してからは、機会あるたびに彼らをテレビで観てきた。
あらゆる分野でソロでも活躍する彼らを陰ながら応援してきた。
私自身も応援する、長年ファンである洋楽アーティスト、洋楽グループがいるからこそ、
彼らが長きにわたって、沢山の人たちから愛される理由もわかってきたつもりだ。
森田剛くんはジャニーズから離れる。
V6は解散する。
よく、日本に限らず、世界を見ても20年、30年に渡ってグループ、バンドで活躍することは難しいという人もいる。
確かに、洋楽でも長年活動しているグループやバンドは、一時的な活動休止、一時的なメンバーの脱退から再加入、結成などを経て活動をしていることも多い。
彼らがこうして解散という結論に至ったのは
「長く活動した」からではないのではないか。
ファンでない私だからこそ、なんとなくそう思う。
彼らは誰か一人でも欠けたらV6ではないし
V6は彼らだからこそV6なのだ。
愛なんだ
Twenty Century(トニセン)
坂本昌行くん。
長野博くん。
井ノ原快彦くん。
Coming Century(カミセン)
森田剛くん。
三宅健くん。
岡田准一くん。
トニセン世代の私にとって、
こうしてV6も解散をきめたことは、純粋に寂しい。
改めて1つの時代が終わるような、そんな感覚でもある。
私自身も愛する/ファンである対象が存在するからこそ、ファンの人たちの気持ちを考えるととても辛い。
☆
こうして、天国の妹からバトンを受けとる気持ちで陰ながら応援してきたV6との思い出を振り返りながら、脳内では、ずっとV6の「愛なんだ」が繰り返し再生される。
1997年1月にリリースされた「愛なんだ」。
もう20年以上も前の曲なのに、メロディも、ストレートな歌詞もまるで今の旬のような曲だ。
閉塞感漂う世の中にはこういうストレートに心に響く曲はとても深く染み渡る。
少しずつでも頑張ろう、って元気をくれる。
彼らの曲の数々にこれまでどれだけ沢山の人たちが救われてきたんだろう。
彼らの演技に魅了された人たちはどれだけいたんだろう。
グループとしての活動ができるギリギリまで
そして、彼らが一人一人で歩み始める道のりを
これからも純粋に応援していきたい。
妹よ。
貴女は今何を想うだろう。
天国からしっかりと、彼らをこれからも応援するんだよ。
私も、生きている限り、これからも彼らの幸せを祈りつつ、陰ながら応援していくからね。
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