拝啓 福山雅治さま:妹が大好きだったアーティスト ~その1
ほしまるです。
昨日、 NHK の番組 SONGSで 福山雅治さんを観ました。
なんと、番組で収まり切らなかった大泉洋さんとの未公開トークスペシャルが 来年年明け1月16日(土)に放送されるとのこと。楽しみです。
今日は そんな福山雅治さんについて、私なりに書きたいと思います。
なぜかというと。
妹が生前、福山さんの大ファンだったから、です。
福山さんは俳優さんとしてもこれまで大活躍されていますが、本投稿に於いては、アーティスト、シンガーソングライターとしての福山雅治さんのことをメインに書きますので、どうかご了承ください。
ちなみに過去記事でも妹について書いています
妹と福山さんの出逢いは、福山さんのデビュー前に遡ります。
実は、元々、福山さんをデビュー前に知り、応援し始めたのは私でした。
というのも、当時、高校生だった私は サザンオールスターズのファンクラブに入っていまして。
ファンクラブ通信だとかファンクラブからのお知らせなどの封書の中に、同じアミューズからデビューするという福山雅治さんの告知が入っていたのです。デビューの時には応援してくださいね、という感じで。
そこから私が福山雅治さんのことも応援するようになるまで時間はかかりませんでした。
デビューシングルは
追憶の雨の中
その後、
愛はどうだ
の挿入歌である
Good Night
が五枚目のシングルにして福山さんにとってのスマッシュヒットとなりました。
その後、俳優としても、アーティスト、シンガーソングライターとしてますます活躍していくこととなります。
先日 ご出演なさっていた TBS ぴったんこカン★カン で福山さんご自身も仰っていましたが。
デビューシングルから五枚目の Good Nightまで、なかなか大ヒット、とはなりませんでした。
その間、いつの間にか私よりも熱量を増して応援するようになっていた、三才年下の妹。
Good Night を初めて聴いた時の妹のリアクションは今でも鮮明に覚えています。
イントロから既に涙をポロポロ流し、紡ぐように奏でられるメロディ、福山さんの歌声を聴きながら涙していた妹。
「姉ちゃん。この曲、素敵だよね!?この曲なら絶対、絶対ヒットするよね?
私。この曲大好き。仮にヒットしなくてもずっとずっと応援するもん。」
うん。うん。確かに。私もそう言いながら
二人で繰り返し聴いたっけ。
ヒットしてからの活躍は妹同様私も嬉しかった。
それ以上に、妹が熱量込めて福山さんのことを応援している様子が本当にいとおしくて。
私自身は妹ほど大ファン、とまでいかず。
かといって冷めてしまったわけではなく。(笑)
妹が大ファンの福山さんを、妹を通して静かに応援していた、という感じでした。
音楽番組、ドラマ、ラジオも欠かさず観つつ聞きつつ、勉強も部活も一生懸命だった妹。
妹から福山さんの話を聞くのも日常茶飯事であり、私の日々の楽しみでもありました。
時折、耳コピしたメロディを妹がピアノで奏でていたのも懐かしい記憶です。
時は流れ、妹は大学生。
私は社会人。
大学で親しくなった仲良し三人組の一人、Tちゃんも福山さんのファン、ということで、そこから更に妹のファン熱量は増したかもしれません。(笑)
確か、ライブもTちゃんと何度か行ってた記憶もあります。
母がその頃、こんなことを言っていました。
「なんだか最近、本当に心からホッとしてるの。ほしまるは元々、一人でも何でも出来ちゃうしっかりしてた子だけど。
まめ(妹のことです)も、大学生になってからやっと良い意味で、お姉ちゃんがいなくても自分の世界でしっかり生きてるって気がするのよね。」
私にとっては新鮮な感覚でした。
ここから少し余談になりますが
妹と三才違いだから、小学校は一緒に通っていました。
妹の中学受験前、私が思っていたことは。
まめは、私よりも頭いい子だし、私とは別の学校に入学するだろう
ということでした。
でも、まさかまさか、本来なら難なく合格するはずの別の学校に不合格。
結果、私と同じ中高一貫の女子校に通うことになります。
高等部の私と中等部の妹。
私が部活の朝練のとき以外は、私が卒業するまで私は妹と一緒に通いました。
基本的には仲の良い姉妹だったけれど。
思春期には、妹を疎ましく思うことも正直ありました。
生前もですが、亡くなった時に 皆が口々に言っていたことがありました。
まめちゃんは天使のような子だったけれど、これで本当に天使になったのね
妹は、誰からも愛される、素直で可愛い子でした。
それだけでなく、ピアノも水泳も、そして運動も勉強もダントツ。
それでも妬まれたり、苛められたりしないのは妹の性格の良さ、人徳だったかもしれません。
そんな妹を妬んだ唯一の存在は情けないことに姉である私だけでした。
ある朝、ターミナル駅で、人混みに紛れて私を見失った妹を探さないまま、私は来た満員電車にそのまま飛び乗りました。
学校の最寄り駅に着いても、そこで妹を待つことなく、校舎へ向かい、教室に入りました。
授業を受けながら、中等部の校舎を眺めつつ、思ったこと。
妹は今朝のことを両親に話すだろう。もう怒られてもいいや。その時に、妹とはもう一緒に行きたくないって言おう。
ところが。
妹は、両親に何も伝えませんでした。
それどころか、夕食を食べながら、家族で話している時に一言こう言ったのです。
今朝ね、まめ、駅で一瞬、お姉ちゃんとはぐれちゃった。でもね、お姉ちゃんすぐに私を見つけてね。そのあとずっと手を離さないでいてくれたの。お姉ちゃん いつもありがとうね。
私は、どんな表情でいられたか、記憶にありません。
ただ、その時に、私がその朝、はぐれた妹を見捨てて、さっさと学校へ行ってしまうような自分自身を恥じました。更にそれを親に文句も言わず、ニコニコしながら私のしたことを隠す妹に本当に済まないことをしたと思いました。
妹を妬むなんて止めよう。
それ以来、卒業まで三年間一緒に通いました。
余談が長くなりましたが。
妹はこんな姉でも、確かにいつでも私にぴったりついてくる、姉を大好きな、人懐っこい子でした。
そんな妹が私も大好きでした。
そんな妹が大学生になり、友人にも恵まれ、私から良い意味で離れていき、妹自身の世界を大切にしていることは、姉としても嬉しいことでした。
その数年後、妹は大学三年生の時に、両親と時を同じくしてこの世を去りました。
亡くなってから、妹の大学の教授や友人たち、学部仲間、仲良し三人組の二人とも会いました。
妹が見てきた世界を、彼女ら、彼らから沢山聞くことができました。
家族を亡くした私も辛い。けれど、まだまだ希望も未来もある妹の友人、仲間たちが悲しんでいる様子は本当に痛いほど理解できました。
妹が亡くなって数年経ってからリリースされた曲、それは奇しくも大ヒット曲の
桜坂
でした。
当時、眼科の受付兼診療補助をしていた私は昼休みに、近所のコンビニへ行きました。
眼科の窓からも見える桜並木。
コンビニで流れていた福山さんの桜で意図せず涙してしまい、桜並木の下で声をあげて泣きました。
愛と知っていたのに 春はやってくるのに 夢は今も夢のままで
逢えないけれど 季節は変わるけど 愛しき人
この綺麗な桜を見ることももうできない
そして、こんな素敵な歌を聞けずに亡くなってしまった妹を思うと辛くて辛くて。
その後、その時の辛さから私は福山さんの曲を自発的に聴けなくなっていました。
沢山、良い思い出もあるけれど。
福山さんが素敵な曲をリリースし続ける度に、それを聞けない妹を切なく感じていたからでした。
とはいえ、ドラマや歌番組などでは観れる時であれば観てきました。
そんなある時ふと思いました。
亡くなってしまったとはいえ。
妹が生きていた頃のように、時間が許すときには曲もテレビもかけてあげよう、
私も聴こう。
これは驚くことに、自然と夫も自発的にしてくれていたことでした。
福山さんに限らず、妹がファンだった人たち。
そして母の好きだったアーティストや俳優さんなどについても。
まめちゃん(お母さん)喜んでるかねえ♪なんてお互い言いながら。
まさに昨日のSONGS の福山さん を観ている時もそうでした。
福山さんが6年8ヶ月ぶりにリリースしたアルバム、
AKIRA
アキラとは福山さんが17際の時に癌で亡くなった、福山さんのお父様の名前だそうで。
まだアルバムは未聴なのですが、アルバムに込めた思いなどお話を知り、聴くのが更に楽しみになっています。
妹が生きていたら。どんな感想を言うのだろ。
そんな思いを抱きながら、AKIRAというアルバムを近々是非聴いてみるつもりです。
長くなりました。今日も読んでくださりありがとうございます。
そして最後に。
福山さん、デビュー30周年おめでとうございます!
日テレ 水曜ドラマ リモラブ も毎週楽しく観ていますが、福山さんの曲
心音
も大好きな曲です。
これからのますますのご活躍、お祈りしてます。