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未だにふつうの人のように紅葉は踏めないけれど。
私の住む地域でも、県内や沿線の名所では紅葉が見頃を迎えたと言われている。
秋生まれということもあってか、秋の時期、特に紅葉が色づく様子を見ることはとても好きだ。
一方で、枯れてしまい落ち葉となったものや、落ちる前に風で吹き飛ばされた紅葉が 地上で絨毯のようになっている様子も、確かに圧巻ではあるが
同時に 独特の寂しさを感じる。
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小学校低学年の頃のことだ。
秋の日帰り遠足で 紅葉の綺麗な場所へ行った。
辺り一面真っ赤な絨毯。
その様子をしっかりと目に焼き付けておいて、あとで 自分でその様子を絵に書こうと思うほど綺麗な光景だった。
すると、その直後に幼稚園のみんなが
わー!とか きゃー!とはしゃぎながら
ザクザクと無惨にも 赤の絨毯を踏みつけていく。
ザクザク、という音が数を増し、
更に紅葉が踏みつけられていく様子を私は、ただ 黙って遠くから見ていた。
まるで赤い絨毯が 塗装された地面と変わらないように ザクザク音を立てながら走り回る、周りの子たちみたいにはなれなかったのだ。
「なんで木になっている紅葉はキレイって言われるのに
地面に落ちた紅葉は踏まれてしまうんだろう?」
![](https://assets.st-note.com/img/1636832008148-uYpDxpUkRX.png?width=1200)
その時以降、私は、紅葉が絨毯のように落ちている道を歩く度に
できるだけ、落ち葉が少ない場所をちょこちょこと 注意深く歩いていた。
「ごめんね、落ち葉(紅葉)さん」
心の中でそんな風に思っていた。
けれども、そんなある時 さらに私にとって衝撃だった出来事がある。
当時の古文の先生が 俳句や短歌の授業で 季語として 「紅葉踏む」という言葉があると教えたのだ。
「紅葉踏む、ってのも季語だからね。
これからみんなも機会あったらつかいなさい」
昔から、紅葉を踏むってことは 通常の、当たり前のことだったのか。
この一言は、私にとってはかなり強烈な印象として残った。
「じゃあ、落ち葉を踏むことを躊躇う私はやっぱりおかしいのかな」
そんな風に思えたのもこの頃からだった。
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大学を卒業して新卒入社した会社で目まぐるしい毎日を過ごしていた頃。
ひょんなことから見つけた ちょっと不思議なお店に 親しい同期と幾度か訪れたことがある。
そこで 「ママ」と呼ばれていたのは【戸籍上の性別は男性】の人だ。
働いている店員さんも 性別を変えた人や、単に 違う性別の服を着るという嗜好をお持ちの人たち。
常連さんの多くも同じだっただろう。
そういうお店が集まる新宿のとある界隈とは違う、もっと下町にその店はあった。
「あんた、若いのにそんな疲れててもったいない。
せっかく可愛い顔してるのに。」
ママは、日々激務と残業で疲れている私をよくたしなめた。
ママとの他愛ない話しも楽しかったし、ママが酔うと話し始める
これまでの恋愛話も未だに懐かしい。
![](https://assets.st-note.com/img/1636832103446-UuyBpOABuE.png?width=1200)
そんなママは季節ごとに 旬の花をちょこちょこと生けていた。
秋にその店を訪れた時のことだ。
店には、紅葉の枝葉が置かれていた、
「ママ、あれって?」
「ああ...うん、この前の強風で折れてたのを助けたの(笑)。」
「へー、そっか。さすがママ」
「そりゃそうよ」
そんな話をした後に、ママは タバコの煙を燻らせながらこんなことを呟いた。
「ほしまる、あんたならわかると思うから言うけどさ。
紅葉ってこのままじゃ枯れて落ちるか、
真っ赤なままでも踏みつけられるでしょう?
落ちてなきゃ綺麗って言われるのに。
そんなのさ、耐えられないじゃない。
人間なんて、自分より下だと思ったら平気で踏みつける生き物だもんね?」
私は驚いた。
子どもの頃から私が紅葉を踏みつけることを躊躇っていたことなど
ママにも話したことはなかったからだ。
「あんたを見てりゃわかるの。
でもね、そういう "人と違う感覚"を持ち合わせてるあんただから、アタシも、店のみんなも "ふつうの女性"でもあんたが大好きなんだからね」
ママの言葉は、長いこと悩んでいた私を包み込んでくれた。
「アタシらみたいなのが、日本で市民権を得られるなんて思ってない。
だからこうして路地裏の片隅で 毎日呑むのよ」
「ほしまる、あんたは自分に自信持ちなさい!
あんただから救える人もいる。
あんたしかできないこともあるから!」
![](https://assets.st-note.com/img/1636832144426-uQYeIyCjqE.png?width=1200)
あれから20年以上経つけれど、
まだまだ、ママさんやママさんの店で働いてたり、日々訪れていた常連さんなような人たちには
まだまだ日本は生きづらい国かもしれない。
SNSが普及して、日々全国あちこちでの紅葉の様子を見ることができるようになった。
そんな中で、SNSを見ているとお決まりのような写真を沢山みかける。
落ち葉と共に、自分の足元(靴)を撮った写真だ。
こんなに沢山落ち葉が綺麗、ってことなのか。
私/僕が履いてる靴は どこのメーカーかわかるよね?って匂わせなのか
はたまた
「これから紅葉ザクザク踏みますよ」
って意思表明なのだろうか。
私には全く理解できない。
ただ、そうした写真を撮ることも、いいねをすることも、【ふつうなら】圧倒的大多数なのだろう。
これからも こうした理解不可能なことは増えるかもしれないけれど。
私らしさ、は大切にしていきたい。
あの時あのお店で ママがそう言ってくれたから。
これまでの人生、私は 人から見下されたり、踏みつけられた過去がある。
だからこそ、私にしか見えない世界、周りが見向きもしないことでも大切にしていきたい。
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お読みくださり、ありがとうございます。
いつも 「今日の一曲」というのをここ最近記事にて紹介しているのですが
このエッセイでは、歌手・ギター奏者であるエヴァ・キャシディ(Eva Cassidy, 1963年2月2日-1996年11月2日 享年 33歳)、の「Autumn Leaves」にのせて書いてみました。
私自身、彼女の遺作に出会ったのが最近なので、もっと早くに知っていたい存在だったと悔やまれます。
以下のURLでは、オーケストラとのコラボで
紅葉の映像もとても絶妙に描かれています。
ぜひ、ご覧ください。
![](https://assets.st-note.com/img/1636834517394-ybSCH5AkPF.png?width=1200)
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