見出し画像

「障害を持っていても働きたいという情熱で果敢にチャレンジしてきたパイオニア」 テクノツールプログラマー担当・本間さんへインタビュー#1

どうも、ホッシーです。

テクノツールに入社して早5ヶ月。
ありがたいことに広報という役割を通していろいろなお仕事をさせていただいて、じゃんじゃんレベルアップの方、させてもらっています!

ただ、その反面なかなか出来ていないこともいろいろあって、そのうちの一つが

「社員さんたちとお話すること」


なんですね。



そうなんです。


わたくしホッシー、フルリモートで働いているので、普段からずっと誰かと仕事をしているわけではなく、なかなか社員の皆さんとお話する機会が無いんです。



そこでホッシーは考えました!


「自分からいろいろ聞いちゃって、その様子を皆さんに見てもらおう!」


と。


というわけで、今回からテクノツールの魅力を、実際に働く社員の皆さんとの対談を通して発信していくという体で、「まだ新入社員のホッシーが社員さんと交流して仲良くなろう」というインタビュー企画を始めます!!イェイ!!

第一回目は、テクノツールのプログラマーを担当している本間一秀さんにインタビューしました!

それでは、ご覧下さい!

本間さんのプロフィール



本間一秀(ほんまひでかず)
昭和49年(1974年) 3月17日生まれ
プログラマー担当
Flex Controllerやドローンアクセシビリティプロジェクト等でソフトウェア開発を担当。
脳性麻痺当事者

テクノツールの商品である「Flex Controller」の視線入力に対応した拡張アプリを開発したのは本間さんなんです!


本間さんのこれまで



パソコンとの出会い


ホッシー「テクノツールに入社する前のお話を聞かせてください。」

本間「はい、学校は当時の養護学校(注1)に小中高12年間通っていました。

その後は福祉園(注2)に 2年か3年間位通っていました。

その中でやっぱり自分で働きたいという思いが強くて、どうすれば働けるかなと考えていた時にパソコンを見つけたんですよ。

当時はパソコンの黎明期で、Windowsが出てくる前のMS-DOS(注3)っていうOS(注4)があったり。

で、僕はNECのPC-98を買ってもらったんですよ。


Wikipediaより引用


もうパソコン本体だけでむっちゃ高かったですよ!
コンピュータだけで40〜50万で、モニターも20〜30万ぐらいです。
ハードディスクも何100MBとかしかなかったんです。

パソコンを立ち上げるのもOSが一式入ったフロッピーディスクを入れて、それから起動するんですよ。

そこからガタンゴトンガタンゴトンと言いながら、ゆっくり起動していったんですよ笑

コマンドを一生懸命キーボードを見ながらいろいろやっていたんですよ。
懐かしいなぁ〜笑」


学生時代とその後、テクノツールとの出会い


ホッシー「先ほど、学生時代は養護学校にいたとおっしゃってましたが、本間さんが養護学校にいた時代はどんな感じでしたか?」


本間「当時は勉強を教える子は極々わずかでしたから、勉強はさせてもらえなかったですね。」


ホッシー「ちなみにテクノツールに入るきっかけってどのタイミングからなんですか?」


本間「さっきの福祉園に通っていたと言うところから始めると、仕事をしたいという意欲が高まっていて、当時、福祉事務所から配られている福祉案内の冊子に「障害者向けのパソコンコース」があるっていうのを知って、

「これを受けてみようかなぁ」

と思ってすぐ電話したんです。

で、試験があるんですね、入学試験みたいなのが。

それに申し込んだのがまず1つの分岐点でした。


で、参考書を買ってもらって、学校では教えてくれなかった4科目(国語、数学、理科、社会)の試験を受けて、受かったんですよ!


その後、2年間のコースが始まったんです。

で、情報処理の試験というものがあって、それに合格できる程度の知識を身に付けると言う所だったんですよね。

ところが僕、その前から独学でやってたので、パソコンのコースの1年目で試験に受かったんですよ!

やっぱり当時は勉強したいという欲求があったから、楽しかったですね〜!

2年目にやることがなくなって、確かちょうどテクノツールとの繋がりができたパソコンコースの講師の人と繋がりがあって、

「じゃあ、ちょっと仕事みたいなのやってみない?」

て言われて、そこで初めてテクノツールを紹介してもらったんです。」


入社後、初めて手がけた商品


ホッシー「入社当時はどんなお仕事をされていたんですか?」


本間「今はテクノツールに置いてないけれども、昔は「小型ひらがなキーボード」というものがあって、それがテクノツールの商品の第1号なんですよ。
そのキーボードの中に入っているチップのプログラムを担当しました。

アセンブラ(注5)っていう言語があって、それを使ってやっていましたね。

今はSlackやZoomを使って成果物を提出していますが、当時はパソコン通信を使って成果物をメールで送っていました。」


おわりに


いかがでしたか?

今回は本間さんの過去やテクノツールに入社するまでの経緯をお聞きしました。

実はだいぶ端折っているのですが、パソコンの黎明期のあたりはすごく話が盛り上がって、自分と同じ「オタクマインド」を感じましたね...!笑

次回はそんな本間さんの趣味や、普段どんな生活をしているのか、などもっと深いお話をした回になりますので、乞うご期待ください!

それでは、今回はこの辺で!



注釈


1、 今は「支援学校」という名称に変更されている。

2、 障害者総合支援法に基づいた障害福祉サービスとして「生活介護」を行っている施設の内の一つ。
常に介護を必要とする方に向けて、入浴やトイレ、食事の介護などを行いながら、創作的活動、または生産活動の機会を提供している。

3、マイクロソフト社が開発していたオペレーティングシステム(後述)。

4、 オペレーティングシステムの略称。コンピューターを動かす際の操作を司るシステムソフトウェア。WindowsやMac OSなどが代表例。

5、 プログラミング言語の内の一つ。
正式名称は「アセンブリ言語」で、主に「アセンブラ」と呼ばれている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?