火前坊(かぜんぼう)と焼身往生
火前坊
火前坊は、京都鳥部山に現れる炎に包まれた僧の妖怪です。見出しの画像がその火前坊です(画像出所:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%89%8D%E5%9D%8A)。鳥部山で焼身往生を図った高僧が、この世に未練を残し、往生できず、妖怪になったとされています。江戸時代の鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』に登場します。
焼身供養は、奈良時代から始まります。『法華経』薬王菩薩本事品にみえる喜見菩薩の焼身供養の話が、影響を与えています。これが、平安時代になると浄土思想と結びついて、焼身することによって往生を目指すものに変化します。
焼身往生
焼身往生は、鈴木淳一氏によりますと、『法華験』に3例、『拾遺往生伝』に4例、『後拾遺往生伝』に1例、『三外往生記』に5例、『新修往生伝』に1例があり、『日本往生極楽記』と『続本朝往生伝』には掲載されていないそうです。想像するだけでも、ゾっとする話ですね。当時の人は、こうした焼身供養をどのように考えていたか、興味があるところです。
参考文献
鈴木淳一(1986)「往生伝における焼身往生談をめぐって」『語学文学』 (通号 24) p.p1~8
『発心集』の焼身往生
鴨長明(1155-1216)は、『方丈記』で有名ですが、『発心集』という説話も手掛けています。この『発心集』第八の三に「仁和寺の西尾の上人が、我執のために身を焼いたこと」という話があります。仁和寺に、西尾の上人と東尾の上人という二人の聖がいました。二人はライバルの関係で、いつも張り合っていました。西尾の上人は、東尾の上人に勝つために、焼身を試みようとします。そして、たくさんの見物人に囲まれて、焼身を行い、亡くなる直前に火の中で「今、東尾の聖に勝てた」と言いました。たまたまこの言葉を聞いた人は、残念がるとともに、西尾の上人が天狗などに転生するであろうと言い合いました。長明さんも、西尾の上人の焼身を仏に供養するためではなく、他人に勝つため、人気を得るために行ったと主張しています。また、『発心集』第八の二には、「ある上人が名聞のために堂を建て、天狗になったこと」という話が収められていることから、どのような仏道修行や行為も名聞のために行うことを戒めています。
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