【『細雪』を読む(2) ── 日常の感触】
正月早々の大地震で大変なことになっているが、『細雪』にも昭和13年の阪神大水害が書かれている。激しい水流に飲み込まれそうになったり、水没する部屋からかろうじて脱出する様などが如実に描かれているのだ。戦争や災害以外にも、病気や流産があり、若者の悶死まで出てくる。
『細雪』は、病気で始まり病気で終わる、と言われる。それは冒頭の幸子の「B足らん」(脚気)と、末尾の雪子の下痢を指しているのだが、その間にも様々な身体の不調が起こるのである。ただし、それらは我々にも十分ありうるトラブルと見え、なお日常の持続は保たれていくと感じられるのだ。
上巻は雪子の縁談が主筋で「雪子の巻」、中巻は妙子の恋愛事件が起こって「妙子の巻」、下巻は「雪子・妙子の巻」で両者の出来事が相次ぐという、分かりやすい構成である。作中時間は、1936昭和11年11月から1941昭和16年4月で、作者自身が「日支事変の起る前年、即ち昭和十一年の秋に始まり、大東亜戦争勃発の年、即ち昭和十六年の春、雪子の結婚を以て終る。」と述べている(「上巻原稿第十九章後書」)。
上巻では、雪子が二度見合いをする。一度目の相手は、四十一歳の瀬越である。サラリーマンで初婚、大阪外語の仏語科卒という。冒頭は、三女雪子の見合いを前に、次女の幸子と四女の妙子が相談する場面である。
《「こいさん、頼むわ。―――」
鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方(そちら)は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋(えもん)の顔を他人の顔のように見据えながら、
「雪子ちゃん下で何してる」
と、幸子はきいた。
「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」》(上巻、一)
大阪弁の声に続いて、視線、動作、位置関係、身体等の細部が次々にあらわれ、それらの主体が幸子なのだと最後に明かされる一文となる。読み手の耳目を順を追って引く巧みな書き出しといえるだろう。
雪子は目下悦子(幸子の娘)の相手で当分二階に来ないと知った幸子は、下の妹・妙子に語りかけるのだ。
《「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、又一つあるねんで」
「そう、―――」
姉の襟頸から両肩へかけて、妙子は鮮やかな刷毛目をつけてお白粉を引いていた。決して猫背ではないのであるが、肉づきがよいので堆(うずたか)く盛り上っている幸子の肩から背の、濡れた肌の表面へ秋晴れの明りがさしている色つやは、三十を過ぎた人のようでもなく張りきって見える。
「井谷さんが持って来やはった話やねんけどな、―――」
「そう、―――」
「サラリーマンやねん、MB化学工業会社の社員やて。―――」
「なんぼぐらいもろてるのん」
「月給が百七八十円、ボーナス入れて二百五十円ぐらいになるねん」
「MB化学工業云うたら、仏蘭西(フランス)系の会社やねんなあ」
「そうやわ。―――よう知ってるなあ、こいさん」
「知ってるわ、そんなこと」》
十分に練られていながら自然と思わせる会話の流れの中で、幸子の(話題の中心である雪子のではない)「肉づき」や「濡れた肌の表面」の描写がこれ見よがしに挿入される。女の肉体美と計算高さとが、いやでも目に飛び込んでくるのだ。
「サラリーマンやねん」のひとことに、この姉妹の上層意識があらわれているとも見える。大阪弁の「なんぼぐらいもろてるのん」が若い私をウンザリさせたのが懐かしい。大阪人の押しの強さにはかなわない、たしかに言われるとおり『会社四季報』でも見るように見合い相手は探すべきなのだろう、などと思ったものだ。
テクスト自体がフォローしている。
《一番年下の妙子は、二人の姉のどちらよりもそう云うことには明るかった。そして案外世間を知らない姉達を、そう云う点ではいくらか甘く見てもいて、まるで自分が年嵩(としかさ)のような口のきき方をするのである。》
こんな解説が今後も、人称を持たぬ〈語り手〉によって挟まれて行く書き方なのである。
《「そんな会社の名、私(あたし)は聞いたことあれへなんだ。―――本店は巴里(パリ)にあって、大資本の会社やねんてなあ」
「日本にかて、神戸の海岸通に大きなビルディングあるやないか」
「そうやて。そこに勤めてはるねんて」
「その人、仏蘭西語出来はるのん」
「ふん、大阪外語の仏語科出て、巴里にもちょっとぐらい行(い)てはったことあるねん。会社の外に夜学校の仏蘭西語の教師してはって、その月給が百円ぐらいあって、両方で三百五十円はあるのやて」
「財産は」
「財産云うては別にないねん。田舎に母親が一人あって、その人が住んではる昔の家屋敷と、自分が住んではる六甲の家と土地とがあるだけ。―――六甲のんは年賦で買うた小さな文化住宅やそうな。まあ知れたもんやわ」
「そんでも家賃助かるよってに、四百円以上の暮し出来るわな」
「どうやろか、雪子ちゃんに。係累はお母さん一人だけ。それかて田舎に住んではって、神戸へは出て来やはれへんねん。当人は四十一歳で初婚や云やはるし、―――」
「何で四十一まで結婚しやはれへなんだやろ」
「器量好みでおくれた、云うてはるねん」
「それ、あやしいなあ、よう調べてみんことには」
「先方はえらい乗り気やねん」》
縁談が自力のマッチングアプリにまで極まった今日、「見合い」は体裁よく飾られた中で、互いに考量のうえ選択が可能な、定めし実利と礼にかなった制度だったのだろう。以前の米人留学生たちは、「日本には見合いがあって羨ましい」と言っていた。当時はホテルのロビーや高級喫茶店(長時間いても追い出されない店)で、見合いの待ち合わせらしき一団をしばしば目にしたものである。
そう、留学生といえば、先回の続きがあった。
かつて中西部の大学で、女学生が「It's boring.(退屈です)」と言ったので、私は「それは良かった。君はこの小説を通して日常の感触を十分に味わったのだろう」などと返したのだが、他日、別の学生はこう言ったのだ。「私はハワイ生まれの日系三世です。お祖母ちゃんが関西出身なので、『細雪』を読んでいるとまるでお祖母ちゃんの話を聞いているような気がして、引き込まれます」。
なるほど、人それぞれだな、と、実は前者同様日常に退屈していた私は思ったものだ。それから早三十五年、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、米同時多発テロ、東日本大震災等々の災厄を経て「令和6年能登半島地震」に直面した今、日常の持続をこそ、と思うのである。
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