文体という仮面 小林秀雄が死んだ中原、富永を…
フランソワ・ヴィヨン
Ou' sont les neiges d'antan?
富永太郎訳
さはれ去年(こぞ)の雪いづくにありや、
さはれ去年の雪いづくにありや、
さはれ去年の雪いづくにありや、
中原中也訳
しかすがに、去年の雪今何処にありや?
小林秀雄「当麻」
あゝ、去年の雪何処に在りや、いや、いや、そんなところに落ちこんではいけない。僕は、再び星を眺め、雪を眺めた。
細谷博『小林秀雄 人と文学』
「当麻」末尾の美しい一句、しかも警戒心をもって引かれた「あゝ、去年(こぞ)の雪何処に在りや」は、フランソワ・ヴィヨンの詩句で、富永太郎が「去年の雪いづくにありや」(「鳥獣剥製所」)と訳し、中原中也が「去年(こぞ)の雪今何処にありや?」と訳したものだ。小林の魂の中で、死んだ中原や富永が現れて歌っているのだ。これは、非常時のただ中、小林という詩魂によって舞われた夢幻能の一景である。彼が被ったのはまさしく文体という仮面なのだ。
老生臨別饒語
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