霞が関は人事の季節。政治家と官僚の関係を考える
中央省庁では、毎年6月の終わり頃に人事異動があります。原発事故に共に対応した秘書官のうち最もシニアの官僚の退官が決まりました。技術系の官僚として上り詰めた人で、ご本人は仕事をやり切ったという思いをお持ちですが、まだ60歳前ですので、もうひと仕事、霞が関でしてもらいたいと思っていました。戦友の退官を契機に政治家と官僚の関係を考えてみたいと思います。
入省年次の重要性
官僚を知ることは政治家にとって重要です。田中角栄元総理や竹下登元総理は、誰が何年入省でどこの大学出身かをほぼ全て覚えていたという有名な逸話があります。かつてはほとんどの人が東大出身でしたが、最近では大学のバラエティが広がっています。出身大学、入省年次、入省後のキャリアを頭に入れていると人間関係が円滑になったり、将来の展望や仕事の進め方を予測できたりするようになるのです。
現在は組織構造がかなり崩れてきていますが、今も官僚は入省年次を意識しながら仕事をしています。平成入省の官僚が幹部になる時期に差し掛かっています。政治家も、最近は昭和官僚より平成官僚との付き合いが増えてきました。あくまで感覚的な話ですが、平成官僚も20年代入省あたりから気質が変わってきていると感じることがあります。
疲労困憊の官僚たち
私がお付き合いしてきた昭和から平成前半入省の官僚は皆さん優秀で、自分たちが国を引っ張っていくのだという気概に満ちていました。若手の官僚もやる気と能力はもちろんありますが、気になるのは疲労困憊しているように見えることです。かつては省庁をまたいでの勉強会や霞が関と永田町の交流も頻繁に行われていたのですが、今はその余裕がないように見えます。
先日、キャリア官僚の中で東京大学出身者が極端に減少しているというニュースが流れていました。20数年前、私が国会議員になった頃は東京大学卒業者が多数を占めていました。特に事務系のキャリア官僚は圧倒的に東大出身者が多かった。「官吏を輩出するために作られたのが東京大学なのに、これは問題だ」という議論も起こっていますが、昔は東大出身者が多すぎただけであり、最近の傾向は悪くないと私は感じています。
私は霞が関にも多様なバックグラウンドを持つ人々が存在する方が望ましいと思います。ただ、霞が関を目指す人材が減少し、特に優秀な人材がそこに進まなくなっているというのであれば、それは大きな問題だと考えています。問題はその原因です。
残業時間が長い
優秀な人材が入ってこなくなっている要因の1つは働き方だと思います。まず残業時間が圧倒的に多い。特に国会会期中は、質問対応などで連日深夜まで働くのが当たり前になっています。霞が関に行くと、夜10時や11時頃からタクシーが列をなしている光景を目にします。タクシーの列は二重になることもあります。現在の日本全国を見渡しても、このような場所はほとんど存在しません。これは異常だと思います。
数年前まではサービス残業が頻繁に行われていました。ようやく霞が関の改革により残業代が支給されるようになりましたが、残業代やタクシー代という形で多くの税金が使われているという問題もあります。
仕事内容がクソ?
SNSで圧倒的な発信力を有するちきりんさんは、「労働時間が長いから霞が関を離れているのではなく、仕事内容がクソだから」と強烈なツイートをしています。
確かに外資系ファンドやローファームの若手は驚くほど過酷な働き方をしていて、生き残った人だけが高収入を得られるようになっています。労働環境が厳しくても仕事にやりがいがある限り、優秀な人たちはそこに挑戦していくというのです。確かにそのような面はありますね。なぜ、これまでは優秀な若者たちが過酷な霞が関に入っていたのか。それは国家を背負っているという強い意識があったからです。今の官僚はそのような意識を持ちにくくなっていると思います。
その原因の1つは政治主導が進んだことです。選挙で選ばれているのは国会議員なので、法律や予算など重要な議案の決定権は国会にあります。加えて日本は議院内閣制ですから、本来は霞が関という役所と永田町という政治の中心地は、対立するよりもむしろ協力する部分が大きい。私たちも時に国会から政務に入り大臣、副大臣、政務官として一緒に仕事をするわけです。我々政治家に様々な判断材料を与えてくれるのが官僚で、最後にジャッジするのが国会議員なのです。政治家が政治主導をはき違えると、官僚の仕事は政治家の下請けのようになってしまいます。
公平な人事も重要です。私自身は閣僚を1年数ヶ月務めましたが、基本的に人事には介入しませんでした。「政治家は人事に介入すべきだ」と主張する人もいますが、1年ほどで霞が関の全ての人の能力を見抜くことは不可能です。自分の省庁の幹部とは頻繁にやり取りしますので、個人的に相性の良い人も悪い人もでてきます。相性が悪いからと言って、その人が20年以上にわたって霞が関でやってきたことを否定するべきではありません。
官僚と政治家の役割分担
政策においては、私自身が判断しなければならないことと官僚に任せることを明確に分けました。原発事故に関わることや、除染や被災地の瓦礫の処理などは政治家として私自身が判断しました。もちろん国会答弁は書いてもらいましたが、時に官僚の皆さんを説得して自分の判断で答弁していました。それ以外のこと、例えば国立公園の管理や温暖化問題への取り組みなどについては、専門知識を持つ官僚に任せていました。
政府に入っていない時も官僚との付き合いには注意が必要です。不勉強な政治家が「分からないから」と官僚を呼び、彼らの時間を無駄にするようなことは避けなければなりません。霞が関が誇りを持って仕事ができる環境を、永田町も考え直すべきだと思います。
世代交代との向き合い方
今回、原発事故と共に戦ってきた官僚が退官となりました。もう一度フロントラインに立って彼と仕事をしたかったという自分自身に対する無念の思いがあります。彼自身は、原発事故とロシアのウクライナ侵攻という2つのエネルギー危機において国家のために頑張ってくれました。戦友との付き合いはこれからも間違いなく続きます。
これからは若い世代の官僚ともしっかりと付き合っていこうと思いますが、食事をしたり政策の説明を受けたりするだけでは本当の信頼関係を作るのは難しい。今回の件で、早くフロントラインに戻って仕事をしたいという気持ちが改めて強くなりました。