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凸凹ある会?のこと

「凸凹ある会?」は2023年10月4日に宝塚市にある成福院というお寺でスタートしました。毎月第一水曜日の15時からやってます。
どうして「凸凹ある会?」をやろうかと思ったかというと、図書館で「生きるのヘタ会?」をやっててみなさんのお話を聞いてる時に「あれ?発達障害のことって全然知られてないのかな?」と思ったことがきっかけです。
私は発達障害の当事者です(ASD、ADHD、LDみんな持ってると思います)
診断もされていますが、チャコールグレーくらいの位置のグレーゾーンだと思ってます。
ASDが一番強くて人間関係が苦手です。

私は自分から見えてる世界しか知ることができません。
でも、他の人たちだって自分の見えてる世界のことしか知らないのだ、ということに気づいたのは最近のことです。
それまでは、世の中の人たちみんなが私と同じ視点で物事を見てると思ってました。
そして世の中の人たちはすべてを知っていると思い込んでいました。
なので「どうしてわかってもらえないのか?あなたたち、知ってるよね?」と自分勝手に悩む人生でした。

48歳のときに自分が発達障害を持ってるということを知って、「他の人とは見えてるものが違うのだ」ということにやっと気づきました。
「そうか、みんなは光、音、におい、感触、味、そういうことにいちいち辛い思いをしてないのか。人とどう接して良いのか悩まないのか」と気づきました。
それで、一般の人たちが発達障害について、どんなことを知っていてどんなことを知らないのか、いろんな人の話を聞いてみたいなと思ったことが始まりです。

「凸凹ある会?」は「生きるのヘタ会?」とは違って参加した人にはここで何かを得て何かを持ち帰って欲しいなあと思いながら毎回やってます。
発達障害が何かはわかってもらえなくても、当事者を見て何かを感じて帰ってもらえたらそれでいいと思ってます。
そしてふだん一般の人たちの前だと「もっと空気を読め」と言われて何も言えないでいるような当事者の人たちが自由に語れる場にしたいと思ってます。
私はずっと「空気を読め」と言われてきた人だったので、余計なことは言わないようにしてきたので、たぶんここでは一番のびのびと発言してると思います。

私はこの場で自分のことを話して他の人の話を聞いて、「同じように考えてて苦しんでる人がいたんだ」とわかって心の底からホッとしてます。
そして私が話す、一般の人には「何言ってるか全然わかんない」と言われ続けてきたことも「すごくわかる」と言ってくれる人がいるのでホッとします。

私は人と関わることが苦手ですが、人は人と関わることで自分を癒やすことができるのだな、を実感した場になっています。
この会をはじめてから「人と関わるって大事なんだ」と思うようになりました。(でも、どこでも関わっていいわけじゃなく安全な場所じゃないと難しいと思います)
ずっと自分は「誰にもわかってもらえないし、いなくなったほうがいいのでは?」と考える人生を送ってきたので「誰かにわかってもらえる」ということが、こんなに自分自身をやわらかくしてくれるんだなあって感じてます。

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