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13年5ヶ月の時を越えて

2011年3月11日、あれからもう13年と5ヶ月経ちますね。

この地震で亡くなられた人の数、行方不明の方を含めると2万人以上の方がいらして、今も大切な方を突然失った方が数万人いらっしゃると思うと心は痛みますが、それでも前を向いている人が増えたのを強く感じるので、密かにここに思いを記します。

私は東北から離れて住んでいて、当時は東京で地震を経験しました。大きな地震で交通機関がストップして、20km程の通勤の道のりを普段は30分のところを5,6時間程かけて歩いて家まで帰った記憶は、昨日のことのように思い出せます。
家に帰ってから、ただの地震ではなくすごいことが起きたというのが、後からメディアを通じて分かって来て、その時の「これからどうなってしまうんだろう?」という不安感は、忘れられません。

東北には縁があり、美味しい海産物を食べに行ったことがありました。宮古や大船渡は絶景の広がる海を前に、食べたことの無い海産物で舌鼓を打つ、天国のような場所でした。宮古には浄土ヶ浜というまさしく天国のような景色の場所もあります。震災が起こるまでは私にとって天国の観光地でした。

ですが、震災以降、東北の海沿いに近寄れませんでした。とりわけボランティアを続けることも出来ず、微かな小さな募金と胸に秘めた応援の気持ちだけで、ただただ近寄ることが出来ませんでした。それに向き合えるだけの心の余裕が無かったのだと思います。

今回、人の勧めで初めて陸前高田の地に降り立ちました。陸前高田は震災前には訪れたことの無い街でしたので、私にその前後の比較をすることは出来ませんでした。海沿いはただただ広い土地が続いていて(皆さん高台に移住されたので、低地はほぼ道路だけ)、どこにいても見晴らしが良い場所でした。海が近く清々しい空気すら感じました。

ですが、震災遺構である5階建ての団地を見た瞬間に複雑に湧き上がる感情がありました。4階部分まで構造だけが剥き出しの建物で5階だけ少し綺麗な状態が保たれている建物。ベランダが海の方を向いていて、ベランダの手すりの下にある落下防止のための部材が5階だけ残っていて、4階以下はスカスカの骨組みだけになっている建物を見て、誰がどう見ても、その高さまで津波が来たことの分かるものでした。

後は、当時のニュースを思い出し、犠牲になった方の無念を思う涙と、ものすごい自然の力の恐怖と、今もたくましくそこで生きている方々の心の強さへの敬意と、色々な思いが湧き起こりました。

この地がとても良いのは、静かなことです。複雑に湧き起こる感情を受け止めるだけの大地の静けさと穏やかな波の音、時々空を飛ぶ鳥の声がして、気持ちを整理するには十分な環境が整っていることです。

陸前高田には「奇跡の一本松」と呼ばれる松の木が大切に保存されていて、その近くに大きな施設が出来ています。観光向けの物産館と食事処が一緒になった施設と震災の資料館があります。その施設からは海に向かって、それは広いまっすぐの道があり、200m弱あるでしょうか。歩いた先に献花台があり、今も花束が置いてあり、立ち止まって手を合わせる人が多くいます。遠くから聞こえる波の音が優しく祈りを包んでくれるようなそんな場所です。

私は海はレジャーで訪れたことが多いので、楽しい思い出と一緒になって、基本的にどこの海も大好きでした。しかし、ここに来て、海が嫌いになりそうでした。人の命を奪った海の怖さと、奪われた人の無念を思う哀しさと。でも、しばらくして、それも含めて海なんだと分かることで、また少し穏やかな気持ちになれました。寄せては返す波の音に少しづつ心が洗われていくような気持ちでした。

今は観光施設になり、賑やかに人の往来も増え、子供たちの笑い声の聞こえる場所に最初は複雑な感情を抱きましたが、いざ亡くなられた方に手を合わせて、今も強く生きている人が居ることを思うと、とても前向きになれる良い場所でした。海鮮丼も相変わらずとっても美味しいです。そして、おそらく波の強さを和らげるための松が沢山、植樹されています。そこには自然と共に強く生きる気持ちを感じました。その松もスクスクと育ってきています。

13年と数字にすると長い期間にも思えますが、大きな心の痛み、それも一人一人の差はあるけど、それぞれが持つ痛みと向き合うには、私にはちょうど良い期間でした。

色々な観光地、観光施設はありますが、遺志を繋いだ意志のある施設で、多くの人に訪れて欲しい場所だな、と思います。

8月15日、天国の誰かと繋がれる日ですね。今日はその方々を少しだけ身近に感じながら、改めて祈りを捧げます。

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