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神様がウインクしてくれる時

屋外での撮影のお仕事の話。

動画にしても、静止画にしても、仕事で撮影というと、だいたい前もってスケジュールを組みます。2週間とか1ヶ月前とかに。例えば、住宅雑誌を作っていた時には、訪問する家の方の予定、撮影するカメラマンの予定、取材するライターの予定、版元の編集者の予定、みんなの予定をその日に合わせるから、だいたい晴れていようが、雨になろうが、よっぽどの天気や事情でない限りリスケはしない。当日はその天気の中で最善を尽くします。

一度、苦い経験があって、晴れたところで撮影したいと思い、14時から予定していた撮影をその日の天気が下り坂だったので、13時に繰り上げました。すると、悲しいことに13時に曇っていた空が14時に晴れてしまい、絶好の撮影のチャンスを逃したこと。それ以来、小手先で予定はずらさずに、その場その場の時間で最善を尽くすようにしました。

またある日のこと、どうしても晴れた日に撮影したいと思い、一週間
前から何度も週間予報をチェック。晴れそう、やっぱり曇りそう、雨になるかもしれない、でも雨が通り過ぎて晴れるかもしれない。結果、当日は曇り、心が心配したり、期待した分、疲れただけ。週間予報を見たからと言って、何が変わったかと言えば、当日の想像力、柔軟性が損なわれたこと。

そこで、最終的に至った結論。「予定はずらさない、天気予報は見ない」

結局、空を変えることは出来ないし、予定もなかなか変えられない。それこそ、結婚式を晴れた日にやりたいからと言ってスケジュールをずらす人なんて居ないので結局は受け入れるしかない、そう思うと、天気予報は見る意味が無くて(もちろん、気にする人の心配を払拭するために寄り添ったりすることは大切ですが)、当日に全神経を集中する方がよっぽど良いという結論でした。

その結果どうだったか。雨の日に撮影したYouTubeは、カメラマンさんが何とか良い絵にしたくて、晴れた日に再撮影してくれて、結局そのYouTubeがバズって再生数が伸びたり。

雨だから残念そうな気持ちを盛り上げようという熱い思いが伝播して、気持ちが深く繋がって、とても中身のあるコンテンツになったり。

言ってみれば、天気は表面的なコーティングのようで中身が全てである。ことがだんだんと分かってくる。

晴れた方が良いというのは、実はエゴが強くて、そういった執着が無い方が柔軟に対応したり、発想を逆転したり、しやすくて、そうすることによって、本来の熱い思いがより相手に伝わったりする。なので、天気に対する期待は全然無い方が良いのだと思います。

天気はあくまで最後のおまけ、くらいに思った時に、その天気の中で最善を尽くそうと無心で考えて考え抜いた時に、まるで神様がウインクしてくれたみたいに虹がかかるような美しい天気に恵まれたりするのかな、なんて思います。

なので、「晴れたらいいね。」って心では思うことはあっても、あまりそれは口にしない。それよりも、その撮影で伝えたいことや、思い、現場のスタッフの気持ち、考えやイメージのすり合わせなど、天気以外に考えることを一生懸命やり切ることが大事なのかな、と思います。

多分………、そういう柔軟な考えが「晴れ」を引き寄せて。逆に晴れへの「執着」が教訓のように「雨」や「曇り」を引き寄せるのかな、なんて思います。

今日はそんな論理的根拠は何も無いお話。でも、この神様のウインクには共感してくれる人がいるだろうなぁ、と思っています。


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