漫才の台本を書いてくださいとチャットGPTに頼んでみたら、予想に反し、関西人二人のハートフルな会話ができた。というのが前回の話である。
あまりにも期待外れの出来に、これなら自分のほうがましだと変な自信をつけたわたしは、AIの台本を無視し、「スナック初心者と常連客の会話」という当初の設定で台本を書き始めた。
チャットGPTが反面教師となり、創作意欲に弾みがついたのだから、思っていたのとは違う形であるものの、AIが役にたってくれたわけである。しかし、わたしのポテンシャルなどたかが知れている。すぐに手が止まってしまった。
こんなとき、チャットGPTがぜんぶ解決してくれると思っていたのは、さっきまでの話。あまり期待はせず、以下のように聞いてみた。
チャットGPTの回答
語彙も豊富で、会話も自然だ。AとBの役割分担もきっちりできている。だが、求めているのはそういうことではない。そつのなさなど求めてはいない。面白くなければ意味がないのだ。
どうすればわかってもらえるのか。質問の仕方に加えて、わたしが面白くもない自作の台本を読ませたのがいけないのかもしれない。
М-1グランプリの決勝ネタを引用して、確かめてはどうかという考えが頭をかすめたが、著作権などのことはわからないので我慢する。そして、いったん台本の生成はわきに置き、別の質問をしてみた。
いわゆるアイデア出しだ。長文を生成するより、こまぎれのアイデアを羅列するほうが得意かもしれない。以下がAIの回答である。
そういうことじゃない。「こんな〇〇は嫌だ」といえば、大喜利のお題では定番だろう。AIは大喜利を知らないのか。それならごめんとしか言いようがない。
思うようにいかず落胆したのも事実だが、同時に、AIがこの手のアイデアをいくらでも生成できるという可能性も感じた。おそらく「あと十個アイデアを出して」といっても数秒で返って来るのではないだろうか。
気を取り直し、わたしは質問を少し変えてみた。
つづく。