低い自己評価と高い理想(心の未発達とバランス)
自己評価が低いと理想が高くなる。人間はそうやって心のバランスをとっている。心が未発達で幼稚であるほど乖離が激しくなる。そして外見から中身を見分けるのは難しい。
【自己蔑視の原因は、基本的には「ありのままの自分が愛されなかったこと」である、親が能力がなかった場合に愛されなかった場合もある。それなのに自分は愛されない人間だと思い込む。
自分に近しい人を嘲笑することで心の葛藤を解決するタイプの人は沢山いる。そう言うタイプの人を親に持つと、子供は自分を嫌いになる。
親から声高に嘲笑されたと言う体験を持つ人がいる。「親」と言う自分にとって大切な人から声高に嘲笑されたら、その人は自分を憎む。
その結果嘲笑されることのない「理想の自分」に憧れるのもまた当然だろう。
自分を憎むと同時に、偉くなって世間を見返してやると言う復讐心に燃えるのもまた当然であろう。
このように現実の自分と理想の自分の乖離から「現実の自分」への憎しみは生じる。だいたい自分を嫌いな人は“名誉”を激しく求める。これがはじめに言った“もっと、もっと”という欲求である。しかもその名誉が今すぐ欲しい。今満たされないから彼らはよく怒る。そして毎日悔しい。
劣等感に苦しんでいる人は「今すぐ偉くなりたい、急に偉くなりたい」「今すぐに、お金が欲しい」「今すぐに、すごくモテたい」のである。つまり簡単に偉くなりたい。そして、その名誉が自分の心の葛藤をすぐに解決してくれると持っている。 】
加藤諦三「自分を嫌うな」より引用
名誉や肩書きが立派でも自分を生きていなければ自分は満たされない。穴の空いたザルに永遠に水はたまらない。その欲求はどんどんエスカレートするだけだ。
本当の安心感は自分の内側にあり外側には無い。他人の評価を拠り所にしてもずっと不安は変わらない。そして支配されて来た人は人を支配し、負の連鎖は続く。
低い自己評価と高い理想の人の心の闇は深いようだが、基本的には乳児期の未発達を発達させ、幼少期からの未完了の感情を完了させることにより理想と現実のギャップを縮めることは可能であると思う。
そして日本人の挨拶が「おはよう、今日誰のために生きる?」と言うアフリカのブンジュ村のような挨拶を交わすうようになったとしたら、一人一人が自分自身を知り本来の自分を生きるようにるならば、低い自己評価と高い理想のギャップは生じずらくなるのではないか。ちなみにブンジュ村の就寝前の挨拶は「あなたは、明日も自分のために生きるんだね、おやすみ」である。