【続編】メメント モリ II 23章 二つの光
今月に入り、車内での密談はこれが三度目になる。一度目は渡辺と一緒に青山涼を捕獲した時。二度目は荒木に捕獲された時。だが、今回は直人の意思でピエールの車に乗り込んだ。
「人間は本能的な好奇心に逆らえないものです」
ピエールはそんな直人の心中など気に留めることもなく、明るい声で話を進める。聞きたいことは山ほどあるが、動揺を悟られないようにゆっくりと疑問をぶつけてみた。
「最初から僕が能力者だと知ってて、接触してきたんですか?」
「いいえ、大学のオフィスで出会ったのは偶然です。でも瞳を覗き込んだら何らかの能力者だとすぐにわかりました」
直人は初めてピエールと出会った時の場面を思い出してみた。握手を交わした時、ピエールから放たれる不思議な気配は、互いに能力者であることを感じ取っていたからなのだろうか。溢れる思いを抑えながら質問を続けてみた。
「ピエールさんも僕から不思議な気配を感じ取りましたか?」
「もちろんです。この脳に寄生している何かが引き寄せ合ったようですね」
そう云うと、再度ピエールは額を指差して見せた。
「まさか、例のエンドルフィンが……」
同じ境遇の人間が他にも存在する。直人は驚きと感動が入り混じった複雑な思いでピエールを見詰めた。
「時々、頭が妙に冴えるときがありませんか? ナオの記憶力が高いのは能力の影響だと思います。私も日本語を覚えるのに苦労はしませんでした」
「今までわざと若干癖のある話し方をしていたんですか?」
直人の問いを肯定するように、ピエールは表情をほころばせた。そんなピエールを横目で見ながら複雑な思いを巡らしていると、車が都心環状線に入った。
「今夜は羽田空港付近のホテルに泊まります。明日の早朝便で日本を発ちますので」
まるで直人の胸中を察したかのようにピエールは応えた。
「──四年前、手術中に心臓が止まりましたが、奇跡的に生き返ったんです。能力が発覚したのはその後です」
仕方なく、直人は情報を共有することにした。情報はタダではないという渡辺の教訓が脳裏を駆け巡る。ピエールが信用できる相手なのかまだわからない。だが、渡辺や平岡が警戒するほどの悪い相手には思えなかった。やはり能力者同士、潜在的に何かを感じ取るものがあるのだろうか。
「生還後、エンドルフィンの濃度が通常の八百倍も測定されました」
「能力が発現してまだ四年ですか……」
考え込むようにピエールが呟いたが、〝まだ四年〟という言葉に不吉な響きがある。
「ピエールさんは?」
「二十年前に発覚しました。十三歳の時です。ナオと同じく一度死んだ後に奇跡的に生還しています」
驚愕するような長い時間が、ピエールの能力発現からすでに経過していた。
「二十年前……まだ他にも能力者はいるのでしょうか?」
一定のスピードを保ち、高層ビルの間を走り抜けると、飛行機の表示が見え始める。ピエールは羽田線方面へとハンドルを右にきりながら静かに応えた。
「さあ、わかりません」
直人はピエールの信頼を得るためにもう一歩、踏み込むことにした。
「僕の能力は死者の記憶にアクセスできることです。ただし死後三日以内という制約があります。それにアクセスできるのはせいぜい五分ぐらいです」
「トレーニングをすれば、五分以上に引き延ばせるかもしれませんよ」
驚く様子も見せずに告げられたことで、直人は思わず聞き返した。
「トレーニング?」
「ええ、能力のトレーニングです」
困惑した表情の直人を愉しむようにピエールが続けるが、
「二十年間、私は無駄に過ごしてきたわけではありません。研究を重ね今に至ります」
言葉に何かを押し殺すような深い響きがあった。
「毎回精神的ショックが大きいので五分で十分です。それ以上他人の魂に共振して生還できなくなったら困ります。それに──」
直人はため息をつくと、
「死者への冒涜ではないかと考えてしまいます」
常に抱える心の葛藤を吐き出した。
「まずは自分の能力を把握することが大事です。応用はそれから」
ピエールによると、共振する五感もコントロールできる可能性があるという。直人は右眼のピントを合わせると対象相手の眉間に命の灯火が見えることを説明し、さらに左眼のピントを合わせれば別の空間が開くことを伝えると、
「能力者同士で共振できるかもしれません」
ピエールの眼差しは真剣だった。
「お互いの魂を別の空間にジャンプさせるということですか?」
思わず驚きの声を上げると、ピエールは艶やかな微笑みを浮かべ、色々と実験をしてみるべきだと提案してきた。直人の話を一度で理解するピエールに尊敬の眼差しを送りながら、この空間についてピエールともっと話しを詰めたいという欲求に駆られた。
「目に見えない現象は理解されにくいですが、ピエールさんは流石ですね」
「人間は目の前にあるものしか信じませんから。それさえも曖昧だというのに……だから現在、人工知能にその空間を迂回させようとしているのですよ」
急に話が人工知能に飛んで、直人が眉を顰めると、ピエールは独り言だと微笑んだ。ピエールは特殊能力抜きにしても天才なのだと直人は察すると、気を取り直して話を続けた。
「初めて触れたのは母の魂です。四年前、母が亡くなったときでした」
窓から見える東京湾を眺めながら、直人は四年前の出来事を思い起こした。
四年前、直人は二十三歳だった。母の死を境に能力の発覚に混乱し、精神的苦痛に押しつぶされそうになったが、渡辺や宗一郎が理解者となり、直人を支えてくれた。今こうして普通に生活を送れているのも恵まれた環境に身を置けているからだ。ピエールの時はどうだったのだろうか。守ってくれる大人は身近にいたのだろうか。
「私も母がトリガーになりました」
流れるようにハンドルを右にきると、ピエールは静かに呟いた。
「私の能力は他人の記憶を奪ってしまうようです」
──記憶のない死体──
思わず口に出しそうになった言葉を飲み込んだ。汗ばんだ手を握りしめて懸命に平静を装ったが、ピエールは直人の態度に気づいていないようで、そのまま話を続けた。
「母は今、スイスにある医療研究施設にいます。重度のアルツハイマーと診断されていますが、私が彼女の記憶を消し去ってしまったようです」
もちろん意図的に奪ったのではなかったにしても、当時は何が起きたのかまったく理解できず、人生が一転したという。
「その後、私はオーストリアに住む父親に引き取られました。ブランシェは母方の名前です」
ピエールは父方の名前は伏せながらも、高貴な家系とだけ告げた。
「父にはオーストリア人の妻と三人の子供がいましたが、私の外見に価値を見出したようです。母が医療研究施設に入った後、私は養子に迎え入れられました」
だが、ピエールに価値があったのは外見だけではなかった。あっという間に知識を吸収する能力は父親を圧倒させ、見る見るうちにピエールは継母にとって目障りな存在となった。
「当たり前です、落胤に家督を奪われそうになったのですから」
ピエールは可笑しそうに昔話を語るが、直人には笑えなかった。
「フランスからオーストリアに移住し、父の家族と一緒に広い屋敷で暮らしてはいましたが……孤独でした」
ピエールは心の闇を吐き出すように、少し饒舌気味になっていた。
「ああ、でも犬たちは私に好意的でした。父は護身用番犬にドーベルマンを三匹飼っていましたが、父以外の人間で懐いていたのは私だけです。継母も義兄妹も、誰も近寄れませんでした。もしかしたら私の不思議な能力を犬たちは嗅ぎ取っていたのかもしれませんね」
直人は黙ってピエールの話に耳を傾けることにした。可笑しそうにピエールは語っているが、悲痛にも守ってくれる大人が身近にいなかったのだ。
「オーストリアに来てすぐの、ある嵐の夜のことです。知ってますか? ドーベルマンって結構神経質なんですよ。番犬のくせに雷を怖がって震えるので、仕方なく三匹ともベッドに上げて、抱きかかえて一夜を過ごしました。大丈夫だと何度も慰めて、まるで自分に言い聞かせるように……」
一瞬真っ暗になったと思うと、照明で辺りがパッと明るくなり、車がいつの間にかトンネルに入っていた。
「問題が生じたのは私が十六歳の時です。継母が誘惑してきました。彼女を拒絶した時に、どうやら私は能力を使ったようで……継母が二人目の犠牲者です」
「──彼女も医療施設に?」
「いいえ、そのまま亡くなりました」
ピエールは冷めた表情で客観的に応えた。その時、正面から眩しい光が差し込み、車がトンネルを抜けた。
「その後、父は私をスイスに連れていきました。後で知ったことですが、父だけでなく母も、ある組織の重要な役職に就いていたのです。その組織の支援を受けて、私は認知心理学などの博士号をいくつか取得し、現在では記憶の再構築に関する研究を行っています」
「──失った記憶は戻るのでしょうか?」
戻るのであれば、ピエールの母親にも希望の光が差し込むはずだ。
「研究中です」
飛行機の表示を追うように、車が走り抜ける。空港に着くまで、もうそんなに時間はかからない。
「二十年もあれば、それなりに能力を制御できるようになるものです。記憶の消去といっても、ある程度コントロールできます」
記憶のすべてを消去するほうが簡単で、部分的に消すのはエネルギーを浪費するという。記憶のない遺体の話を振りたかったが、ここで言及することは避けた。
「その組織はピエールさんの能力のことを知っているのですか?」
「限られたごく一部の人間だけです。彼らにとっても、私は危険因子ですから」
そう云うと、左へと延びる出口へとハンドルをきった。
「夕食を一緒にと思いましたが、このあとエリックが来ますので、ナオは事務所に戻った方が安全です」
「エリックさんは……」
黒川和男は殺される前にエリック・ホフマンと交渉を試みたが、無駄に終わった。
「危険です。ナオは関わってはいけません。エリックの組織は黒川総長を支援していましたが、どうやら軋轢が生じたようです」
渡辺も〝手に余る〟とため息をついた事件だ。忠告されなくてもエリック・ホフマンには近づかない方がいいことはわかっている。黒川和男はエリック・ホフマンの組織が放った刺客に殺されたのだ。
考え込んでいる直人をピエールは横目で捉えると、さり気なく尋ねてきた。
「私と一緒に来ませんか?」
「え? スイスですか?」
間髪入れずに聞き返した直人を、面白そうにピエールは眺めると、
「フランスです。スイスには近づかない方が良いと思います」
端麗な顔に微笑みを浮かべた。
「──では、改めてフランスに招待してください。今は日本を離れられません」
ピエールの意図を掴めずにいると、
「能力のことをもっと知りたいと思いませんか? 自分は何者なのか」
ハンドルを右にきりながら、ピエールが言葉巧みに聞いてくる。もちろん能力のことをもっと知りたいが、敵か味方かまだ見当がつかない相手の陣地に独りで乗り込むのは危険だ。
「孤独ではありませんか? 能力者同士、協力し合うべきです」
そこには二十年の孤独がピエールの端麗な仮面の下に見え隠れしていた。
「孤独ではありません」
互いに特殊能力者としての運命を背負っても、辿った道はあまりにも違っていた。
「両親共に他界していますが、孤独ではありません。僕には父親のように頼りになる人がいます。その人の下で働いていて、毎日が充実しています。それにいつも色々と世話を焼いてくれる伯父夫婦もいます」
「──独りではないのですね」
眩しいものを見るかのように、ピエールは微笑んだ。
正面に空港のパーキングゲートが見えてくると、最後に聞きたいことを思い出した。
「そういえば、初対面の時、僕によく似た知人がいると云ってましたが、あれは僕に近づくための言い訳だったんですか?」
駐車する場所を探すピエールに、疑問をぶつけた。女性に似ていると云われたことを少し根に持っているのだと自覚しながらも、突っ込まずにはいられなかった。
「本当ですよ、知り合いの女性にそっくりです。それから──」
ピエールは車を綺麗に駐車場に停めると、エンジンを切った。
「普通にピエールと呼んでください、神崎直人君」
「やっぱり僕の身元を調べたんですね!」
「フフフ、渡辺事務所で働いているのでしょう。父親のように頼りになる人とはミスター渡辺のことですね」
渡辺と平岡の〝スパイは相手の身元を事前に調べ上げる〟という言葉を思い出し、直人は苦笑いを溢した。だがこの時、直人はピエールの巧みな話術にすっかり嵌っていて、ピエールがいつから直人の情報を掴んでいたのかという重要なポイントを見落としていた。
【24章『亡霊』に続く】