見出し画像

オフライン


自粛期間に素直に自粛していた友人二人と、久しぶりに外出した。それぞれ違う仕事をしているが、予定を合わせて月に一度は集まる仲である。気兼ねなく話せる友人たちなのにお互いに気をつかい、5ヶ月も会っていなかったことがすごいと思う。

土曜日、雨上がりのランチ時、東京駅前にある新丸ビルの飲食店で昼食をとることにした。なぜここかというと、建物の構造上天井が高いことがあった。気休めかもしれないが、少しでも通気の良い場所をと選んでやってきた。東京の状況は再びメディアを騒がせている。リスクを下げる確率を上げられる場所を選ぼうとも、保証される安心なんてない。
より空気の流れの良いところを求め、晴れていればテラスの席を使いたかったのだが午前中の天気はあいにくのどしゃ降り。かろうじて雨の上がった正午、残念ながらテラスを利用できる状況ではなかった。

雨の影響もあったのだろうか、土曜日なのに飲食店街に人は少なかった。お店の人には申し訳ない話だが、閑散としていることで安心して過ごせてしまう。

運ばれてきた定食を前に、近しい友人とのたわいない会話ができるひと時に安堵する。オンラインで Face to Faceでの会話ができるとはいえ、目の前にいる人の温もりには勝らないように思う。

そもそも、会わなければお互いの間に感染の危険性は生まれない。でもこれ以上集わないことは、精神衛生上、正解ではなかった。
利害で作られる会社の人とは週の大半顔を合わせるのに、個性と感覚を共有する友人や家族に会わない生活。それは己の個性を伏せ、機能として使っている感覚に近しかった。個人の尊重よりも社会の機能。機能的であれることは、仕事人としては望ましいことと思う。けれども機能だけの人にはなれないようで。


会いたいと思い、会ってまた感情が動く。
その時間の価値を天秤にかけることはできない。


私はオフライン人間なのだと、
概念的に考えてしまう。

〝人は社会的な生き物〟って、高尚なことばだとは思っていたけれど、そんな遠くにあるものでもなかった。会社には申し訳ないけど、私は「自分にとって大事な社会」にこそ生きていたい。

画像2


友人とのたわいない会話にじんわりと癒されたのは、最近の仕事に疲弊していたこともある。

この世の中の状況下、景気の良い会社は限られるのだろう。我が社も例外ではなく余裕を無くしている。職があるだけ幸いだが、社内の空気はぎすぎすしていて、日を追って悪化していく。
労働力の削減、上層の圧力、増殖するひそひそ話…。更には徳のある人、優秀な女性スタッフが離れていく有様。
私はとばっちりのような謎の組織編成に巻き込まれ、ストレスを抱えた矢先であった。日頃から耐えていたものに、理解不能な組織編成を知って思考が停止した。そんな1週間が過ぎたところであった。


その後、食事を終えてお腹を満足させた私たちは、店を出て、新丸ビルのエントランスに来ていた。曇ってはいるが空は明るい。
これから再び雨の降る様子はない。露に濡れたエントランス前の植木が光を受けてきらきらっと輝いている。


友人の一人がスマホにかかってきた。パソコンが不調を来したらしく修理をするのだと、業者からからの電話に出て話し込みはじめた。もう一人の友人と私は、友人の電話が終わるのを待って、ロータリーを挟んで見える東京駅を眺めた。東京駅丸の内口、世界文化遺産である。


「あ、ハチがいる」

友人の指差す方にはミツバチがいた。路上の植木をよく見るとさらにもう一匹、白い花に吸い寄せられたミツバチだった。

子どもの頃、うっかり巣に近づいて、ミツバチに追いかけられたことがあった。逃げ帰った私は父に笑われた。「ハチをいじめたら当然刺されるよ」と。
幸運にも刺されずには済んだ。痛い思いをすることがなかったから、私はミツバチは怖いやつだとは知っても嫌いにはならなかった。

父の示した私の行動と、ミツバチの行動の因果を知り、生態に興味を抱いた。その後、一時期はファーブルに憧れを抱くほど、昆虫に関心を持つことになる。
でも前向きな関心ばかりでもない。図鑑を見ていると色々なハチがいて、アシナガとかスズメとか、もっとやばいやつがいることも知って恐れた。それに比べれば、同じ部類でもミツバチは比較的かわいく思える。


豊かな自然のある場所であれば、どれだけの数のハチが巣や森に生息しているのかわからないし、リスクを下げるためハチのいる場所を避けてとか、当然考える。身近な住宅街であっても同じ。
けれどここにあるのは、1m×2mくらいのスペースにある植木だけ。人為的に配置された小さな自然だ。
ミツバチは、むしろ天然記念物のように貴重に思われ、むしろじっと見てしまった。



そこにふーわりと、黒いものが現れた。

黒い色をした大きな蝶だった。



・・・・・・・


何が君を傷つけたのか。

どこからともなく宙を舞って現れたのは、黒くて少し大きな蝶だった。クロアゲハと思われる。

珍しいと思うことと同時に羽根の有り様が気になった。その蝶の羽根は下の方がぼろぼろになっていた。傷んだ羽根で、やっとのことで飛び上がる。動体視力の悪い私にも、羽根の傷付きようがはっきりと見えるほど動きがスローだ。けれども弱々しくはない。白い小花にとまり、懸命に蜜を吸っている。

どうしてこのような羽根になってしまったのか、誰があなたを傷付けたのか。そして、羽根の下部を損傷しながらも、命をながらえた出来事はどんなことだったのか。

瞬時に色々と考えてしまった。


なぜなら、ここは都心のど真ん中、東京駅前である。クロアゲハなんて、実家の田舎で昔見たきりで、まさか東京駅前で遭遇するなんて思ってもみない。自然どころかここはコンクリートのジャングルだ。


こんな場所にいるから…ではない。
この蝶は数十キロも移動しない。

ありのままにこの場所に命があるだけのこと。自然の中にいたって、食物連鎖のピラミッドの中にいれば捕食者、蝶にとっての天敵はいるのだ。
ただ、どことなく不憫に思えてしまった。それは生物多様性の分断されるコンクリートのジャングルの中で見てしまったから。そんな場所で羽根をぼろぼろにしているから。
自然の摂理の力学の中じゃない。


蝶に同情してどうするのと思うけれど、羽根を傷つけた蝶にやさぐれた自分を重ねてもみた。

〝それでも〟生きている、
ということだけは一緒だ。

画像2


しばらくして、業者との電話を終えた友人と目があった。すると彼女はてけてけてけっと走って、私たちから離れた場所まで行ってじっとこっちを見た。


…???


私ともう一人の友人は、小走りで移動した友人のところに向かった。
どうやら蝶が苦手だそう。クロアゲハにびっくりして逃げていた。確かにあんな大きな蝶、驚いてもおかしくない。


私たちは、水たまりを避けて街を歩いた。
土曜日の白昼のこと。


53/100_Aoi100