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あやうく、ちゃんとしそうになる

社会に出ると、誉め言葉としてよく掛けられる言葉がないだろうか。私の場合は、「しっかりしている」「落ち着いている」がその代表格で、職場で「姉さん」と呼ばれたこともある。概ね、社会での私の振舞いを想像してもらえるだろうか。

なんとなく、これらの言葉から思い描かれる人物像は、頼れるちゃんとした人感がある。そう、私は社会で割にちゃんとしていると思うのだ。書類は誤字なく、見やすいレイアウトでないと気持ちが悪い。スッキリしたデスクが好きだ。

以前、人から「職場であまりに「やってられん!」と思った時、お中元でもらったビールが冷蔵庫に入っていたので、飲んで仕事をした」という話を聞いた時、めちゃくちゃ笑い、そして少し羨ましく思った。私も取り入れたい要素である。

さて、私のこうした特徴は、社会生活を営むうえでは、行き過ぎず、適度に力を抜きながら付き合えればそう問題にならないだろう。しかし、プライベートにも顔を出すと、やや窮屈である。

ある時期の私は、毎朝、掃除をしてから仕事に出た。私はマイブームが起こりやすい質で、そして、ある日突然、飽きが来る。毎朝掃除もご多分に漏れず、「もういいや」という朝が来た。
そういう時に、ちゃんとチャンが顔を出す。「なんか毎朝掃除して、いい感じだったのに、辞めちゃうの?」と。しかし、ここでちゃんとチャンの誘惑に乗ってはいけない。私は過去に学んだのだ。気が向かない時にできるだけスッパリ辞めるのが得策である。やりたくない時は、やらないに限る。放っておくと、そのうちまたやりたくなるのだ。気分が乗らない時に無理に続けると、やがて嫌いになってしまう。ちゃんとチャンの罠である。

また、ある時期は、同じ入れ物にきれいに詰め替えられた調味料が整然と並ぶキッチンを披露するYouTuberを見て感化され、真似をした。元来ズボラである私は、早々に面倒くさくなった。こういう場面でも、ちゃんとチャンは現れる。「せっかく買った調味料入れ。きれいに並んでたのに、もったいなくない?」と。
なるほど、入れ物は無駄になる。もったいないのは仰るとおりである。しかし、私には向いていなかった。向いていないことを学んだのだから、十分ではなかろうか。そう思いながらも、往生際の悪い私は、その入れ物を別の何かに活かせないかと一通り悪あがきをして、断捨離した。断捨離までにかかった時間、2年程だろうか。煩悩の塊である。
その後、綺麗に揃ったプラスチックの入れ物よりも、大小ある自然素材の入れ物でラフに収納するキッチンを紹介している人を見た。私には、そちらの方が好みであった。良い出会いがあるのだから、いらん物はさっさと捨てるに限る。

どうやら何かを始めると、その好き嫌い、向き不向きに関わらず、あやうくちゃんと続けようとするところが、私にはあるらしい。
このnoteも、そのうち飽きるだろうか。そしてちゃんとチャンは、独り言すらもちゃんと続けるよう唆すだろうか。

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