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食べられません、僕だけは。①

【あらすじ】
村上緋色はメンヘラの彼女に振り回されていたが、それが彼女のためと信じていた。ある日緋色の通う高校に生物なのか機械なのかさえも分からないものが現れる。のちにイーターと呼ばれるようになったそれは、緋色以外の全校生徒をバラバラにし、頭部だけを加工し赤い小さなキューブを作り持ち去って行った。あまりの凄惨な出来事に気を失っていた緋色の前に天才科学者松戸アンジェリカが現れる。イーターはその場にいる人間を皆殺しにするため現場で生き残れた人間は緋色が初めてなのだという。人体実験を繰り返されながらアンジェリカを救うと心に決めた緋色。果たしてイーターとは何なのか。

 地獄っていうのは悪魔じゃなくて人間が作り出すもんだと僕は思っていた。
 人間が心の中に作るもの。
 人間が正しいと思うものの中から生まれるもの。
 でも、今はそうじゃないかもしれないと思いはじめてる。

 緋色の目の前に広がっている地獄は明らかに人間が作り出しているもののようには見えなかった。見たことのない巨大な何かが、学校の体育館の天井を引き剥がし、体育館にいた生徒も教師も男も女も関係なくすべてを殺戮しようとしている。大きなはさみのようなアームが伸びて次から次へと人間の解体作業をしていた。抵抗をものともせず。次から次へと殺戮が続いていた。巨大な何からはさらに小型の何かが吐き出され、殺戮後の役割を分担していた。殺された人間の四肢バラバラにし、頭部を回収しているようだった。まるで殺人工場が学校の体育館に出張にきたようだった。
「ぎゃあああああああ」
 あちこちで断末魔の悲鳴が響き渡り、緋色はのちにイーターと呼ばれるモンスターに立ち向かおうと消火器を振り回した。 


 待ちに待ったイベント会場の長蛇の列がようやくじわじわと進みはじめている。近くのビルの巨大スクリーンにはニュースが流れており、村上緋色と友人の慎二と和也は見るともなしに見ていた。
 日本を代表する企業のCEOの引退が続いている、というような内容だった。
「何これ? 陰謀?」
 慎二がそう言うと和也が首を横に振った。
「和也、陰謀論とかのどうが見過ぎなんじゃねーの? なんでも陰謀論にすんなよ」
「だっておかしくね? 俺でも知ってるような大企業の社長がこの一年で何人も引退してるなんてさ?」
「たまたま世代交代がかぶっただけでしょ?」
 緋色がそういうと、慎二はまだブツブツと何か言っていたが、列が進んだので慌てて前に進んだ。
 三人の待ちにまったイベントだった。わくわくが止まらない。いよいよ入場する! そんな瞬間だった。スマートフォンが震える振動に緋色はびくりとする。恐る恐る自分のカーゴパンツのポケットをまさぐって取り出し、画面を見て緋色はその顔面を硬直させた。その様子に、隣にいた緋色の友人の慎二は眉をぴくぴくさせている。
「緋色、出るなよ!」
「うーん。でも」
 緋色が困った顔になると、和也が割り込んだ。
「緋色、出たら?」
「はあっ! 和也おまえ、何言ってんだよ」
 和也はぎゃあぎゃあ言う慎二の前に壁になるように立ちはだかり、緋色にシッシッと言わんばかりに手を振った。
 緋色は二人に背中を向けて震えるスマホを通話にした。
 ビデオ通話だった。
「サ、サキちゃん?」
「死んでやる!」
「え?」
 画面の向こう側の少女は右手に安全カミソリを持っている。
 緋色は正直ホッとしている。安全カミソリで死ぬのはなかなか難しいはずだからだ。
 それを身をもって教えてくれたのは他ならないサキだった。
「サキちゃん落ち着いて、どうしたの? 昨日何度も話したよね? 今日はどうしてもはずせない用事があるんだって。慎二と和也と出かけるって」
「知らない! 今すぐ来てくれないなら死んでやる!」
 サキは手首を切った。血しぶきが飛んだ。
 真っ赤な血液がざあっと緋色の頭の中に落ちていくイメージがフラッシュバックしていく。
「サキちゃん、今すぐ行くから!」
 緋色がそう言うと、慎二が叫んだ!
「はあっ! ふざけんなよ緋色!」
「慎二! ゴメン」
「緋色、いいから行けよ」
「和也、ありがとう」 
 緋色は走り出した。
 慎二は悪態をつく。
「くそ! くそ! くそがあ! 緋色のメンヘラ彼女邪魔ばっかりしやがって、さっさと別れろっつーの」
「まあまあ慎二。おまえの彼女じゃないんだから」
「なんで、緋色が付き合う女はみんなメンヘラなんだよ! 元カノも元々カノもみーんなメンヘラ! あいつに彼女がいる時まともに遊べた試しねーじゃねーか!」
「人の好みは色々あるから別にいいじゃないか」
「なんだよそれ。俺が心が狭いみたいじゃん」
「いや、慎二は正しい。間違ってないよ。でも正しいことだけでこの世界は成り立ってないんだ。それにたぶん。緋色には必要なんだよ」
 慎二はため息をついた。
「今日のゲームのイベント緋色が一番楽しみにしてたはずなのに、悔しいんだよ」
「分かってるよ」
 緋色が抜けた列が進んで行くのに二人はついて行った。

 村上緋色は走っていた。
 サキの家に向かうためだ。
 あれほどしつこく電話をかけてきていたのに。こちらからの電話にサキは一切出ようとしない。
 緋色は子どものころずっとヒーローになりたかった。しかし、ある日自分はヒーローには絶対になれないことに気づいた。
 せめて自分の近くにいる人を救いたいという思いが誰よりも強かった。
「サキちゃん!」
 サキの住むアパートに駆け込むと、サキは血まみれのまま、部屋の中にうずくまっていた。
「サキちゃん、大丈夫?」
 サキはビクリとしてから緋色の方に振り返った。マスカラが溶け出した黒い涙の筋がサキの頬にいくつもついていた。
「うわあああああ。ご、ごめんなさいいいい。今日、緋色が楽しみにしてたって知ってたのにいいい。お、お願いだから、嫌いにならないでええええ」
 しがみつくサキに緋色は腕を回した。
「サキちゃん、とにかく手当をしようか」
 サキはこくんと頷いた。緋色は救急箱をサキのベッドの下から取り出すとなれた手つきで手当をし、サキを寝かしつけた。
(サキちゃんはきっともうじき元気になる)
(あと少しなんだ)
 緋色はどうしてもサキのような女に惹かれてしまう。その理由も自分でなんとなく分かっていた。
(今は学生だから、時間とかどうにでもなるからいいけど)
 将来のことを考えると少し暗い気分になる。 サキ、あるいはサキのような彼女が呼び出したらいつでも駆けつけられる人間でいたかった。
(僕はヒーローにはなれないけど、サキちゃんを救うことはできるはずだから)
 緋色はサキが子猫のように丸まって眠る姿を確認してから、血まみれの服を洗い、床を拭いて、サキの家に鍵をかけて出た。

 翌日は全校集会だった。体育館でクラスごとの列に並んで他の生徒と同じように緋色は座っていた。校長の長い話がようやく終わり、緋色の肩を誰かが叩いた。
 慎二だった。慎二は膨れっ面で限定生産のアクリルスタンドを緋色に差し出した。緋色が一番好きなキャラクターのアクリルスタンドだった。ランダムだったはずだから、慎二はかなり引きが強い。
「うわ。慎二ありがとう」
「昨日、めちゃくちゃ楽しかったんだぜ。もう早くあんな女とは別れろよ。いっつもいっつも予定たてるとドタキャンさせるような女まじでクソだろ」
 今までサキのせいで、何度慎二と和也との約束を守れなかったのか緋色にはもう数えることができなかった。
(約束するべきじゃないかも。僕は慎二と和也に甘えているんだ)
 緋色が返事に困っていると和也が助け船を出した。
「慎二、よせよ」
「なんでかばうんだよ。緋色のために言ってんのに」
 和也は深々とため息をついた。
「俺の母さんさあ、生まれも育ちも東京なの」
「はあ? 何の話だよ」
「まあ、聞けって。で、父さんは新潟の名水で有名な地域出身。でも母さんは父さんの実家に行く度、肌と髪が荒れるんだ。母さんが言うには生まれ育った場所の水が一番合うんだってよ」
 慎二に続き緋色も首を傾げた。
「和也、僕にもそのたとえ話よく分からないんだけど」
 今度は和也が珍しくイライラした。
「あー、もう。緋色に合う水が慎二に合うとは限らないって話だよ」
「結局そういうことかよ」
「じゃあさ、慎二はどういう女がいいんだよ?」
「可愛くて、優しくて乳のでかい女」
「ふわっとしてんな。いっぱいいるだろそんな女」
「はあ。いねえし! ああ、あと急に来いとか言わない女!」
和也はハーッとため息をついた。
「慎二に彼女ができる日は遠そうだな」
「なんだと!」
 慎二は今度は和也にキャンキャン吠えはじめた。
 緋色は本当は和也が何を言いたいのか分かっていたが、分からない振りをした。
――乗り物がジェットコースターじゃないと落ち着かない人間もいる――
 和也はきっとそう言いたいのだ。
 慎二も和也も緋色のことを思って言っている。ただ緋色はそれを全く望んでいなかった。 体育館からクラスごとに退出しようとしていたときだった。
 轟音とともに体育館の出入り口付近の天井に穴が開いた。
 天井からの落下物が直撃した生徒たちの群れはは空き箱を踏み潰したように崩れた。
 鋭い悲鳴があちこちに響き緋色が呆然としていた次の瞬間だった。
「なんだあれ?」
 崩れた天井から見えたのは青空ではなく、巨大な何かだった。
 それは動物のようになめらかに動いていたが、重機のように重そうなハサミで天井を剥がしていた。
 赤と黒の配色のそれは、動きのなめらかさは明らかに意思をもった生物のように見えたが、どこかロボットを思わせる見た目は金属でできているように見えて、生物なのか機械なのかさえ分からなかった。その場にいた誰もが見たこともないものだった。
「ぎゃあああああー」
 それはどうやら一体だけではなく、出入り口でも待ち受けており、逃げだそうとしている生徒を捕まえて……。
 大きなハサミでその四肢を切断していった。「ぎゃああああああ」
「うわああああ」
 ホースを指で潰して水をまいたときのように血が噴出する。
 体育館は一瞬で血の海だった。恐怖で動けなくなるもの、逃げようとして捕まりあっという間に命を奪われるもの。
 緋色の近くにいた教師の一人が「それ」に消化器を吹き付けた。
「動きが鈍くなった。みんな今のうちに。ぐあああ」
 動きが鈍くなったのはほんの一瞬のことだった。
 教師はハサミに捕まりあっという間にバラバラにされた。
 血しぶきが飛び、緋色の視界が真っ赤になる。
「緋色! 何してんだこっちに来い」
 慎二が緋色の制服の襟を掴んだ。 
「慎二、緋色こっちだ!」
「それ」は体育館の天井を完全に剥がしてから、まるで品定めをするように生徒たちをひとりずつつまんでは、解体していた。
「なんなんだあれは」
 ようやく脳が逃げろと信号を出しはじめた緋色は慎二と和也に導かれるままに、体育館のステージ下に隠れた。  
 恐ろしさに立ち尽くしていた時に見た「それ」は胴体らしき場所から四本の腕が出ており、顔や目のようなものは見えなかった。
 教師がなげた消化器が「それ」に当たったとき見た目通りの重たい金属にあたったような音がした。
 小学生の時、工場見学でみたロボットアームにイメージは近いが、明らかに意思のようなものがあり、体育館の天井を剥がしている「それ」はなにより巨大だった。
 昇降口以外の出口はびくともしなかった。
 鍵はかかっていなかった。
 何人かの生徒が開けようとしたが、天井を剥がしていた「それ」のハサミの犠牲になっていた。
 簡単に開くはずの扉は外側から何かでおさえられているようだった。
「わかんねーよ。殺人マシーンってことしか」
 慎二の目は真っ赤だった。
「ちきしょう。あいつ。牧野を、牧野をバラバラにしやがった!」
 牧野はサッカー部の顧問をしている数学教師で消化器をかけた教師だった。慎二はサッカー部で牧野とはかなり親しくしていた。人気もあり評判のいい教師だった。
「牧野だけじゃない。一年がだいぶ死んでる。しかも、みろよ」
 和也は自分のスマートフォンを差し出した。「……電波がない」
 緋色と慎二も自分のスマートフォンを出して電話をかけようとしたが繋がらない。
「どうもあれが妨害電波を出しているような気がする」
「通報できないってことかよ」
 外部に助けを求めることができないという絶望を突きつけられた。
「いや、この体育館昇降口に公衆電話があったはずだ」
 和也はそう言った。
「でも、あそこにはあいつが」
「ああ。でも何とかしないと」
「全員あいつに殺される?」
「分からない。あれがなんなのか分からないけど捕食しているわけじゃあなさそうなんだよ! ちくしょう!」
 捕食だったら生き残るチャンスがあるかもしれないという事実に緋色は震えた。
 捕食なら、満腹になれば殺戮がとまる可能性があるからだ。
 誰かの犠牲の上に生き延びる。
 そんな最悪の状況が、皆殺しよりマシなのかどうかの正解を導き出すのは緋色には難しかった。
「消化器、まだ何個かあるよな」
 緋色がそういうと慎二が頷いた。
「全部集めて昇降口にあるヤツにかけ続けている間に僕が電話をかける」
「緋色、無茶すんなよ」
 和也はそう言ったが緋色は首を振った。
「でも、このままじゃあ皆殺しにされるだけだろ?」
「緋色の言うとおりだ。俺もやる」
「それもそうか」
 消化器は体育館の四隅に設置してあった。一本は牧野が使用したため残りは三本だった。「いっせーのーせでいくか」
 慎二がそう言うと緋色と和也は頷いた。
 状況は最悪だった。
「それ」に近づくと真っ先にハサミでバラバラにされる。逃げようとしたものからハサミに捕まる。
 生徒も教員も次第に体育館の奥であるステージの上や下に固まりはじめた。パニックになり、ハサミに向かって飛び出すものや、ストレスからその場に吐いてしまうものもいた、そして、そんなものが役に立つのかはわからないがパイプ椅子でバリケードを作り出すものがいて、次第にそれを手伝いはじめるものがほとんどだった。
 その間、天井はどんどん剥がされていた。「なんで天井を剥がす必要があるんだろうな?」
 緋色は思わず疑問を口にした。
「知るかよ。とにかく行こうぜ」
 三人は互いに目配せしうなずき合うと、一斉に走り始めた。幸いにも牧野が使った消化器は緋色たちから一番遠い場所にあった。舞台側の左側に慎二、右側に和也、そして、昇降口の右手の角にある消化器を目指すことにした。
 走り出したその瞬間だった。
 天井から一斉に何かが飛んできた。
 ドローンのようになめらかに動き三人の周りにまとわりついた。
「うわ。なんだよこれ!」
 円柱状だったドローンのようなものは目標物である慎二の背中に貼り付くと、円柱から蜘蛛のあしのようなアームがでてきて、慎二の身体をきりきりと縛り付けていった。
「うわあああああ。助けてくれ」
 消化器を抱えた和也が慎二を助けようと消化器でドローンをたたき落として、パイプ椅子のバリケードの向こう側に行った。
 円柱状の何かは大きく開いた天井から、数え切れないくらい入ってイワシの回遊のように等間隔でぶつかることなく、グルグルと回転しはじめたかと思うと、一斉にちらばった。
 回転はまるで、それぞれのターゲットを割り振るためのシンキングタイムであったかのようだった。固まっていて身動きのとれない生徒たちからどんどん捕まっていった。どこにそんな馬力のある動力があるのか、引きずられて体育館の真ん中に集められていた。
 消化器は掴んだ。
 しかし、昇降口で立ち塞がっていたはずのハサミは体育館の中に侵入していた。
「行け! 緋色!」
 遠くで慎二の声が聞こえた。
 緋色は消化器をハサミにぶちまけた。
 ほんの数秒の隙を狙って走った。
 公衆電話に手が届いて、緊急通報ボタンを押した瞬間だった。
 ドンッと大きな衝撃音がして、天井から巨大なそれが体育館に落ちてきた。
 そうかと思うと、「それ」は宙に浮き、まるで掃除機のように、死んだ人間の頭部を回収していった。
 あまりの光景に緋色は胃の中に入っていたものを全部吐き出した。
 大量の頭部が吸い込まれていき、容量が限界になったかと思うと、どういう仕組みなのかまったく分からなかったが、「それ」は大きくなった。
「うわああああああ!」
 緊急通報が繋がった瞬間、緋色の耳に聞き覚えしかない声の悲鳴が聞こえた。
 慎二がドローンに捕まったのだ。
「くそっ。慎二!」
 和也がドローンをたたき落とそうとするがびくともしない。緋色も駆けつけたが、びくともしない。慎二のドローンを追い払っていちに和也も違うドローンに捕まった。
「なんなんだよ!」
 緋色はそう叫んだ。
 ドローンは捕まえた人間が死ぬと、今度は人間と変わらない大きさになり、今度はハサミでどんどんドローンが捕まえている生徒たちを解体していく。
(こいつら、体育館を殺人工場にするつもりなのか?)
 緋色はぞうっと総毛だった。
 どうにか慎二と和也のドローンをたたき落として、三人で逃げ出したかった。
 けれど、緋色のその願いは空しく、慎二がまずハサミに捕まった。
 駆け寄ろうとした緋色に慎二は首を振った。「緋色! 逃げろ!」
「いやだ!」
「逃げろって!」
 慎二に近づく緋色を慎二は渾身の力で蹴飛ばした。次の瞬間、緋色を蹴飛ばした慎二の足をハサミが切断した。
「ぎゃあああああああああ」
 慎二の血を大量に浴びて、緋色の顔は真っ赤になった。
「慎二!」
「……に……げ……」
「慎二!!!!!」
 緋色の目の前で慎二は死んだ。
 慎二が死んだ瞬間にハサミは慎二の首を切った。
「うわあああああああ!」
 叫んだのは緋色ではなく、和也だった。
 和也は腕を切断されて、緋色が駆け寄る間もなく首を切断された。
「ああああああああ」
 緋色はやけくそになって、ハサミに飛びかかった。
そして、和也の頭部を抱えて、逃げようとしたが飛んできたドローンが後頭部を直撃し、緋色の意識はそこでぷっつりと無くなった。

 松戸アンジェリカは人間の四肢がつみあげられ血の海の体育館の床を眉ひとつ動かさずに歩いていた。
「松戸博士、キューブが二十個発見されました」
「そう、じゃあハイエナが来る前に我々が来れたってことだね。イーターの残骸は何か見つかってない?」   
「残念ながら今のところは見つかっていません」
「そう」
(今あるデータだけでイーターを解明するのは難しい)
 松戸アンジェリカは十代で博士号をとった稀代の天才だ。そして、数百人いた候補の中から最も適正があるとされて、この謎を解明する任務を与えられている。
 イーターが最初に日本に現れたのは六ヶ月前だ。北海道の最北端の小学校だった。防犯カメラの映像から、その存在が明らかになりはしたが、あまりにも謎が多かった。
 生物なのか、機械なのか、兵器なのかもわからない。
 もっと言えば現在の地球上に存在しない生き物なのかもしれないし、機械だとして現在の科学の力では説明がつかない。
 大量に子どもたちが殺されているのだが、その正体がまったくつかめていないが故に、箝口令がしかれていた。
「これではいたずらに子どもたちの命が奪われていく一方だな」
 イーターについてこれまでで分かっていることは、分裂すること、大きさが自在に変化すること、動物で言うところの目や機械で言うところのカメラはない。
 どうやって、人間を識別しているのかすら分かっていない。
 効率よく人体を破壊し、その頭部だけを捕食あるいは吸収し、ピンポン球サイズのキューブを作り、それをまた吸収している。
 イーターが現れた場所には生存者は一人もいない。
「意識が一つの可能性か、何かでコントロールされているか」
 現在分かっている有益な情報といえば現れると電波妨害が起きるということだった。
「問題だらけだな。私でもなかなかこれは頭を抱えたくなる」
 アンジェリカがそう一人ごちてからすぐに一人の自衛隊員がアンジェリカの方に走ってきた。
「博士! 松戸博士! こちらに来て下さい!」
「どうしたんだ?」
「生存者がいました」   
「なんだって?」
 緋色は舞台の下で胎児のように丸まっていた。
 その腕にはしっかりと抱えられていた和也の頭部ではなく、消火器が抱えられていた。
 その消火器にははっきりと、ハサミの跡がついていた。
 アンジェリカは緋色の胸が上下するのを確認して。
 にっこり微笑んだ。誰もがはっと目を見開くほどの美人だが、この気難しい天才が微笑むのはとても珍しいので、周りにいた全員がぎょっとした。
「彼は希望だよ。我々がようやくつかんだ希望だ。でも、まあしばらく死んでいてもらおうか」
 アンジェリカの指示で緋色は体育館から連れ出された。
 全校生徒とこの日出勤した教員や職員は、緋色以外全員が死んだ。その数343名だった。  

 緋色は夢を見ていた。幼いころの夢だ。
 緋色はまだ五歳。五歳だったことは大人から何度も聞かされているから知っている。
 ああ、そっちには行っちゃいけない。
 行くな。
 頼むから行くなよ。
「緋色はママのヒーローになってね」
 母親の声がナレーションのように響く。
 だめだ。おまえそっちに行くな!
 幼い緋色は「ママ?」と何度も呟きながら浴室に向かう。
 行くな。お願いだから行かないでくれ!
「ママ?」
 中が真っ赤なバスタブが視界に入る。
「行くなあああああぁ!」   
 緋色は叫びながら目が覚めた。息は荒く動悸がする。病室のようで真っ白な部屋だった。 病室? そう思った瞬間、気を失うまでのことを一気に思い出した。
「うあああああ。慎二! 和也!」
 何かを振り払うようにベッドから抜けだそうとしたが、身体が全く動かない。
「なんだこれ?」
 緋色はベッドに身体を拘束されていた。
「ようやくお目覚めか? 気分はどうだね? 寝ているうちに済ませてしまいたかったんだが、申し訳ないね」
 緋色は声がするほうに頭を動かした。枕元に座っていたのだろうか? 白衣を来た若い女性が自分を見下ろしている。
「いったい何を済ませるんですか?」
「君の頭頂部に最新の超小型GPSと通信機を埋め込んでいる最中なんだ」
「え?」
 一体この人は何を言っているんだろう? 
 そう思うと途端にこの拘束されている状況が怖くなった。
「よし! 終わった。せっかく意識も戻ったことだし、君には沢山聞きたいことがあるんだ」
「いや、僕の方が聞きたいことが沢山あるんですけど。あの、あの殺人工場はどうなったんですか? 僕はどうやって、ここに? どうしてGPSとかを勝手に……」 
「殺人工場とは、言い得て妙だね。ああ、とりあえず、自己紹介といこうか。私は松戸アンジェリカ。その殺人工場の対策本部室の一番上にいる人間だよ」
「対策本部室? じゃああれは、前から存在してるんですか? あんなことが。っていうか、みんなどうなったですか?」
「あれの被害者は君たちの学校にいた人間だけではない。残念ながら君の学校で君以外に生き残ったものはひとりもいない」
「そんな……」
 緋色は慎二と和也がどんな最後だったかを思い出してこみ上げる涙を拭った。あそこにいた全員が死んだ。でもそれくらいあの殺人工場は容赦がなかった。
「君が殺人工場と呼んでいるものはイーターと呼ばれているんだ。イーターが現れた場所で生き残った人間は君が初めてなんだよ」
「え?」
「おめでとう。初めての生き残りだよ。そういうわけでGPSと通信機をつけさせてもらった」
「生き残ったらなんで勝手にGPSと通信機をつけられてしまうんですか?」
「優しい孫悟空の輪とでも言っておこうか。私は君がどうして生き残ったのかを知りたいんだ、あるいは君にイーターの情報を掴んでもらいたい」
「え?」
「トロリー問題という言葉を聞いたことがあるかい?」
「ええっと、ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるのかってやつですよね」
「ご名答! 君は飲み込みが早そうだ。私はひとりの犠牲で大勢が救えるなら、一秒も迷わずにひとりの犠牲を選択できる人間なんだよ」
 嫌な汗が出た。
「もしかして、そのひとりって……」
「むろん君だよ」
 松戸アンジェリカと名乗った女は不適な微笑みを浮かべ、緋色はゾッとした。



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