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あのころの私、CDだけが欲しかった。④
中一の時生徒会役員選挙の選挙管理委員に立候補した。立候補したかったわけではなかったけれど、自分の班の中にフックの男子の1人がいて、そいつに推薦されそうな空気だったからだ。
彼は無論良かれと思って私を推薦しようとしているわけではない。誰もやりたがっていない選挙管理委員という役目が決まらなくて、長くなっている帰りの学活の時間を短縮させるために、私を人身御供に出そうというのが彼の魂胆だ。
こいつの思惑通り人身御供に出される位なら自分でやると言ったほうがましだったので手を挙げた。
ヒエラルキー底辺の私にだって矜持というものがある。
こうして、私は選挙管理委員になった。
選挙管理委員になったことは結果的によかった。他のクラスの選挙管理委員のMという子と仲良くなれたからだ。
彼女も洋楽が好きだった。ポリスやシカゴ、ジェネシスは彼女から教えてもらった。CDやカセットテープを貸し借りするようになった。
ふたり揃って大好きだったのがファイヤーハウス。
音楽で人と繋がることはこんなにも楽しいのだと実感した。
当時私がよく買っていた雑誌はINROCK BURRN!を時々、rockin’onはそれも洋楽繋がりで仲良くなったYに借りた。
だから多分INROCKだと思うのだけれど、当時はペンパル募集のコーナーがあって、私はそのコーナーにハガキを送った。そのハガキが採用されて家のポストに大量に手紙が届いた。
全部MR.BIGのファンの方からだ。ハガキにそのことを書いたから。
大量に届いた手紙の中から少し年上のお姉さんと文通をすることにした。
お姉さんにはU2やボストン、ジョンサイクスの素晴らしさを教えてもらった。
私が筆豆でないものだから、いつのころか手紙は途絶えてしまったけど、教室だけが私の心のありかではないことを教わったと思う。
あの時のお姉さん、あのころの私はあなたとお手紙で繋がることが必要でした。本当にありがとうございました。
中三になると、私は必死で受験勉強をした。それが自分を守るための唯一の方法だと信じていた。