「断罪パラドックス」 第25話
二学期の期末テストが終わってから、すぐのことだった。中間テストが上手くいったから、期末テストも大丈夫だろうと考えていた。本当だったら上手くいくはずだった。数学の担当教員の大神先生がインフルエンザにならなければ、間違いなく上手くいっていただろう。大神先生が休んだため、大神先生のかわりに数学のテストを担任である五十嵐先生が返却した。
たったそれだけのことだったのに、五十嵐先生は、僕と一条を放課後呼び出した。
「私が、何を言いたいのか、ふたりには分かると思うんだけど……。正直に話してくれないかな。いったい、なぜこんなことをしたの?」
五十嵐先生にはバレている。僕は血の気が引いて下ばかり向いていたけど、一条は強気だった。
「何が言いたいかなんて、言われないと分かりません」
「一条くん……。四ノ宮くんはどうかな?」
僕はどう言えば正解になるのか分からなくて黙り込んだ。五十嵐先生はため息をついた。
「今日、返却した数学のテストを出してちょうだい」
それには一条も大人しく従ったから僕もそれに倣った。五十嵐先生はテスト用紙を並べて、それから、何を思ったのか学級日誌を取り出して、パラパラとページを繰った。
「数字にも筆跡の特徴は出るものよ」
学級日誌に書いてある日付と自分の名前を見せられて、僕は顔がカッと熱くなった。
日付に使われた僅かな数字と、テストに並ぶ数字の羅列は言い逃れができない確かな証拠だった。
「どうして、こんなことをしたの?」
一条はにっこり笑った。僕はこの時、一条のことが本当に怖いと思った。
「先生が想像しているようなことは何もありませんよ」
長い沈黙の後、先生は「そう」と呟いて、僕らを尋問するのを止め、僕らを解放した。悪びれもせず教室を出て行く一条の後を僕は追いかけた。
「一条くん、さっきの……。五十嵐先生は完全に気づいてたよ」
「そうだね。今日はイエローカードってことで、次やったらレッドカードを出すっていうことだろうな」
「これから、どうするんだい? これじゃあもう替え玉なんてできないよ」
「そんなに慌てなくてもいいよ。計画は他にもあるから」
どうして、一条はそこまでしなければならなかったのだろう。そして、どうして、僕はそれに従い続けたのだろうか。三学期の最初の実力テストの問題を盗んだのは、替え玉よりずっと楽だと思ったからだ。でも、僕は上手くやれなかった。塾に行ったふりをして、職員室の灯りが消えるのを待ち続けた。鍵は一条が手に入れていた。今から考えると、一条は僕が失敗すると分かっていたんじゃないだろうかと思う。一条が自分でやれば失敗していなかったんじゃないかとも思うんだ。
僕が犯行に及んだ時、よりによって五十嵐先生に見つかってしまった。あんなに僕のことを気にかけてくれた五十嵐先生を何度も裏切ることになってしまったことだけは、本当に後悔している。
僕がやったことと、退学になる可能性があることを聞いたお母さんは半狂乱になった。でも、もう、僕はそれがちっとも怖くなかった。
お母さんが暴れ狂って疲れ果てていつものようにリビングでうずくまるのを待ってから僕はお母さんにこう言った。
「お母さん、僕はT大なんか受験しないよ」
お母さんは僕を睨みつけた。
「どうして? どうして不幸になろうとするの? 修も学もどうして恵まれていることに気がつけないの?」
「お母さん、僕も修も幸せがなんなのか分からないんだよ。お母さんが全部、取り上げてきたんだ。T大に行っても修は幸せになれなかった。それに修のためにも示談になんてしないほうが良かったんだよ。修は帰ってきてからも痴漢行為をやめられなかった」
「あの子がああなったのは、私のせいじゃないわ。お父さんの遺伝よ。きっとそうなんだから!」
「そんな風にさげすむことのできる相手と一緒に生活をし続けたのは他でもないお母さんだろ!」
「偉そうに言うんじゃない! ひとりで大きくなったと思って!」
そう言うとお母さんは、そばにあった金属バットで僕を殴った。三回目くらいで、あまりの痛みに死ぬかもしれないなと思ったけど、すべてを聞いていた修がお母さんを止めてくれた。そこで自分が重ねてきた過ちに気づいた。僕だって何度でも、修を助けられたはずなんだ。少なくとも一緒に悲しむことはできたはずだ。
救急車に乗せられた時、僕はようやくどうして自分が一条と一緒にいたかったのかに思い当たった。あいつにしてみたら僕は捨て駒だったと思うけど、僕は一条と一緒に替え玉の作戦を立てている時、確かに楽しかった。
僕にとって一条は初めてできた、友だちのようなものだったんだ。なんて、貧しい生活だったんだろうと思うと涙が止まらなかった。
全治一ヶ月の怪我のため入院している間に一条が死んだことを病室のテレビのニュースで知った。ニュースで流れていた一条のお母さんが体育館で披露したスピーチには違和感しかなかった。全体的に、一条のお母さんは一条よりも、三十年も前に死んだ自分の妹のことを気にしているようだった。そして、ある、疑惑が浮かんだ。一条の本当の狙いは五十嵐先生だったんじゃないかって。
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