「断罪パラドックス」 第29話
一条さん、あなたは私への復讐の道具に生徒たちを使う。それが私に一番ダメージを与えられると思ったのですね。確かに私の弱点を的確に狙ったと思います。でも子どもたちを巻き込んだのはあなたの大きな間違いでした。あなたがあなたの手で私に復讐すれば良かったんですよ。あなたが子どもたちを巻き込んだことで、私のあなたに対する罪悪感は揺らぎました。ええ、あなたが子どもたちを道具のようにしたことで、薄らいでしまいました。あなたのために、一生口を噤んでいようと思っていたことを、私はこれから、あなたに伝えようと思います。そうしなければ、あなたによって人生を狂わされたあの子たちに合わせる顔がありません。
私はあなたが語った三十年前の事件の話を何度も反芻し、あのルポルタージュを繰り返し読みました。
そうすると、私の記憶とあなたのおっしゃっていたことや、あの本に書かれていたこととの間にズレや抜けがあるような印象を持ちました。
私が一番に引っかかったのはブロックチェックの手提げ袋です。あの時、図書館の子ども用の閲覧室にそんなものは見当たりませんでした。その代わり、当時とても流行っていた「なめたけくん」の手提げが二つ並んでいました。「なめたけくん」の話を美穂ちゃんとしたことをよく覚えています。
「お母さんが作ってくれたの」
美穂ちゃんはそう言っていました。そこはあなたが言っていたこと一致します。「なめたけくん」はあなたのお気に入りではなく美穂ちゃんのお気に入りのキャラクターだった。しかしながら「なめたけくん」の手提げは六年生の女子のあなたが持ち歩くには違和感がありました。正直に言いますと、ちょっと可哀想な気さえしました。それくらいあなたが持ち歩くにはちぐはぐな印象があった。
もしかしたら生地を買いに行った時にあなたはいなくて美穂ちゃんとお母さんがふたりで決めたのかもしれないとも思いましたが、あなたは手提げをブロックチェックだと言っていた。もしかすると「なめたけくん」にはあなたが絶対認めたくない何かがあったのではないかと思います。
私は教員生活を二十年以上続けてきたわけですが、色んな子どもたち、その背後にいる家族というものを見てきました。驚くことも沢山ありましたが、特に理不尽だと思ったのは兄弟を分け隔てて育てる親が一定数いるということです。よく搾取子と愛玩子という言い方をしますね。
この言い方が当てはまらなかったにしろ、あなたは美穂ちゃんと明確に分け隔てて育てられたのではないでしょうか? ブロックチェックはあなたが作り上げた自分を守るための記憶だったのではないかと思うんです。そう考えると、これほど私のことを調べ上げたあなたが、私の妹の美香には何もしようとしなかったことの説明がつくと思うんです。あなたには私の妹の美香をなんとしても守りたい。という気持ちがまったく理解できなかったのではないでしょうか? あなた自身の美穂ちゃんとの関係がそうさせたのではないしょうか? だから私に対する復讐のターゲットを私の生徒たちに絞った。美香のことはあまりお調べになっていないようですね。美香が現在何をしているのかはご存じでしょうか? もう予想はついているのでは? 美香は東京の大学病院で働いています。
医師として。
私は美香の父親が誰なのか、三十年前新聞を読んだ時に悟りました。美穂ちゃんのお姉さんの名前が「美紀」だと知った私は雷に打たれたような気持ちになりました。「美紀」「美穂」「美香」と並べてみると随分座りがいいと思いませんか?
私の母が一条先生から精子提供を受けたのか、母に同情した一条先生とねんごろになっていたのかは母が亡くなった今、もう確認しようがありません。
あなたにとって美穂ちゃんは、可愛い妹ではなかった。いなくなってしまえばいいのに。そう思ったことも、一度や二度ではなかったのでしょう? だから、あなたは美穂ちゃんを連れて行く私と目が合ったことを、誰にも話さなかったし、そのことを思い出すこともなかった。そして、私の顔を忘れてしまった。私はあなたの妹なんかいなくなってしまえばいいという、潜在していた願望を叶えてしまった悪魔だったのかもしれません。
そして、美穂ちゃんがいなくなったからといって、あなたが美穂ちゃんになれたわけではありません。むしろ美穂ちゃんがいなくなったことで、あなたのご家庭は殺伐とした。おまけに美穂ちゃんの遺体をみたあなたは強烈なトラウマを抱えることになりました。
私という悪魔にコツコツと憎悪を募らせることが、妹をほとんど見殺しにしてしまったことへの隠れ蓑になっていたのでしょう。
一条さんは久くんが桜山に来ることは反対だったと言っていましたが、本当はどちらでもよかったのではありませんか? ただ、久くんが自分の視界に入らないほうがいいと考えて全寮制の学校をすすめたのでしょう? これに関して久くんは必死だったと思います。
私は久くんが中学時代に替え玉に使っていた生徒に会ってきました。その生徒も家庭に経済的な問題を抱えていました。久くんから報酬をもらっていたようです。むしろ久くんに感謝していましたよ。ただ、経済的に問題を抱えた替え玉の彼がここから遠く離れた私立の全寮制の学校を受験するのはあまりにも不自然だったので、久くんは桜山にこだわったのだと思います。
そして、久くんの入学式の日、あなたは私の顔を見てとうとう思い出してしまいました。 私があの時の女子高生だと。
そして、久くんを自分の復讐計画に巻き込みました。あなたには私が、のうのうと教師をやっているように見えたかもしれない。そして、私を調べているうちに私の生活が欺瞞に満ちていると思ったかもしれません。自分で言うのはおこがましいことかもしれませんが、私は生徒にも保護者にも信頼されている教員だったので、そのことがあなたの復讐の炎に油をそそいでしまったのかもしれません。でも、問題のある生徒を救うことこそが、私の人生をかけた美穂ちゃんへの贖罪であったのです。
一条さん、あなたも家庭に問題があるということが、その問題の大小を問わず、どれほど苦しいことか想像できたはずなのに、どうして、久くんを愛してあげなかったんですか? そして、どうして私の生徒たちを復讐の道具にしたのでしょうか?
私がやったことは悪魔の所業と言われても仕方がありません。けれど、あなたがやったことも悪魔の所業にほかなりません。
久くんのスマートフォンが見つからないとおっしゃっていましたね。久くんのスマートフォンが見つからなくて一番困っているのは、一条さん、あなたですよね? そして、あなたは私が持っているかもしれないと疑っています。あなたのお疑いの通り、私が持っています。久くんはパスコードのロックを解除した状態で、このスマートフォンを職員室の私の机の引き出しに入れていました。
これは、彼の遺書です。
久くんはあなたの罪を私に委ねました。
久くんは通話録音アプリを使っていました。そして、その最後の通話の録音はあなたからの電話です。
再生しましょうか。
ここから先は
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?