前から思っていたことがある 消えたくても消えることができない 死にたくても死ぬことができない でも「死にたい」とか「消えたい」とかって口に出してしまうことがある その際に「死なないで」といわれることがある それが俺にとってつらいし苦しくなる 確かに生きてほしいって気持ちは伝わる でも死ねないけど死にたいって気持ちが高まってるときに言われるとなんかつらくなる その経験を今日あらためてすることができた ここ最近夜になると消えたい欲が増してSNSに「俺なんか死ねばいいのに」とか自
最近またよく聞くようになった 「推しは推せるときに推せ」 俺が鬱病が発覚したとき、Youtubeを見てて久しぶりに推しと言える存在ができた。 でもここ最近活動を辞めてしまった。 でも推してて悔いはなかった。 その推しの世界観に引き込まれ嫌なことから目を背けることができたから。 まぁ人によっては「嫌なことから目を背けるな」とか言いそうだけど、心が疲れているとき、苦しいときに関しては逃げていいと俺は思ってる。 それで無理して向き合って自分自身が壊れたら元も子もないから。 てか実際
新年あけましておめでとうございます。 新年早々病む日々を僕は過ごしています。 「生きる意味」なんて無くても生活ができる人生 多くの人にとっては当たり前なのかもしれない だけど 俺は「生きる意味」をどうしても探してしまっている ただ自分のためには生きたくない それはずっと思っていること 「生きる意味」を探しているはずなのに たまに道を外して「死にたい」「消えたい」などの考えに至ってしまう 今がその状態 「人生まだ長いのに何でそんなことばかり考えるの」 何回も聞いてきた 確
日々気持ちが左右され続ける毎日 自分が生きたいのか死にたいのかわからなかった 今だってそう でも相方と約束したことを俺は守らなければならない 相方と「生きる」約束をしたから そんな約束をしても「死」という気持ちが頭をよぎる そして胸が苦しくなる ネットで活動していると性別のことや障がいのことをよく言われる 俺がXのプロフに書いてるのも悪いけど 性別違和、ASDに関しては俺にとって一つの個性だと思ってる この二つのほかに鬱で悩まされることもあるけど このnoteに書く文章
俺、実は配信者してて且つリスナーもしています。 メンタルがそこまで強くない俺が続けている理由 それは「理解してほしいから」 俺は今年、精神科にてASD(自閉症スペクトラム)、そして鬱病と診断されました。 鬱病に関しては一部父親関連が混ざっていると言われました。 そんなときに先生に言われた言葉 「お父様と距離をとったほうがいい」 そして、今日配信を見ていて言われた言葉 「独立しろよ」 俺が実家に帰ってきている理由は二つある。 一つは母親が心配だから 薬を飲む毎日の母親 ここ最
俺は家族に弱音を吐かないようにしていた。 でも。 昨年の大晦日の夜。俺は祖母と喧嘩になった。 その場の雰囲気に耐えれなくなり別の部屋に逃げた。 我慢してた涙が急に溢れ出し止まらなくなった 『消えたい』この言葉がしばらく頭をよぎった。 ふとした時に俺の背中に温もりを感じた。 母親が俺の背中を撫でてくれていた。 何も言わずただずっと。 俺はその時にこう言った。 「辛い」 言うことを我慢していたはずだった。 でも無意識にその言葉を発していた。 過呼吸になりつつ放った「辛い」の言葉
「人」という存在が前から怖い 一時的にはこの衝動が収まっていた でも… 時は遡り2007年 俺が虐待を受けていた頃 幼いころから「人」という存在から否定の言葉を浴びてきた どこに行っても俺という存在を否定されてきた そんな中光が差し込まれたのは2015年 この8年という年月は短いようで長く感じた 2015年。俺にとって奇跡とも思えるぐらい優しい人が担任となった それとは裏腹にいじめの対象にもなった そのいじめに関して、そして家のこと その時の担任にすべてを話した その先生
「死ぬ」って何なんだろ 改めて考える機会を設けてみた もちろん「死」に対しての考えは人それぞれなのはわかってる でも俺は一つの結論にたどり着いた 『楽になりたいから』 発達障害や精神疾患を抱えてる俺にとって「生きる」ということがとてもつらい なんせ精神疾患を患うきっかけになった人が身内にいるから しかも2人 毎日「死」が頭によぎる 逆に「生」って何 そう思ってしまうこともしばしば 「生きる」ということが楽しいって思う人も少なからずいるだろう でも俺にって「生きる」ということ
精神科に行く日まで1週間をきった やっと検査ができる でも不安なところもある 対人関係 離れない人が多い そう信じたい でもやっぱり離れていく人も少なからずいるのかなと思ってる 身内にも何か言われるかもしれない そう考えると怖い でもそれでも俺から離れずそばに居てくれる人たちを大事にしたい そう思う 例え「発達障害」という診断をされたとしても 前向きに生きていきたい
正直生きるのがめんどくさい そう思い続けてきた でも違ったのだろう 俺の知り合いから命の期限を知らされた まぁそれがきっかけで「生きること」を考え直したのもある でも実際違う理由もある 「捨てないよ」 この言葉でも考え直した 正直「人間」を信じたくはない 信じたとしてもいつかは裏切られる そう思ってるから でもなぜか 相方だけは違う 関わりが長い これも関係はしてるのだろう でも 俺がそれだけで信じれるとは思えない だって家族の一部は信じていないから 考えた末、一つの結
「生きてるといいことあるよ」 「死なないで」 「生きたくてもいきれない人だってたくさんいるんだよ」 「そう簡単に死にたいって言わないで」 「命を軽く見ないで」 「辛いと思うけど頑張って一緒に生きよ?」 こんな言葉を聞く機会が多かった でも正直思う この言葉でも救われない命だってある もちろんこの言葉が心に刺さって死にたいと生きたいの狭間にあった矢印が生きたいのほうに傾く人だっている でもそうなるケースは少ない気がする 俺はこれらの言葉は刺さらなかった でも生きなきゃならな
俺の地元に俺の相方が仕事仲間と共に仕事に来た なぜかその仕事に同伴で来た俺は仕事の邪魔をしない程度について回った ある程度の仕事が終わりお土産を買っている途中 謎のお守り屋さんにて事件が起きた 急にお金が無くなったのだ そのままだと商売ができない そういい店員は慌てていた そこで俺はこの地元で使える商品券を大量に渡し、事なきを得た。 もちろん今後返してもらうということを条件に付けて そのあと地元のお土産を買った相方は新幹線で戻っていった そこまではよかった そのあと帰宅途中
「俺が生きてて何になる」 この言葉が最近頭をよぎる 「生きててほしい」 「頑張って一緒に生きていこ?」 「頑張って生きよ?」 「命をそう簡単になくそうとするな」 俺にとってつらい言葉 俺だってそう簡単に死にたいって言ってない 俺だって頑張ってないわけじゃない 暴力やいじめの日々を耐えてきたのにまだ耐えなきゃいけないんですか いろんな人に期待され その期待を裏切られたかのように離れていく そんな日々に耐えたのに 「切ったの?気持ち悪い」 「切った?ふざけんな」 腕を傷つ
セクシャルマイノリティに関して自分自身の悩みについてまとめてみた ずっと調べていたLGBTQ+当事者の悩みと一致してるところが多くて少しほっとしたのはあった 今の俺の年齢的に困るのが履歴書 履歴書の性別欄で毎回悩む 性別が分からない現在、男のほうにも女のほうにも丸を付けづらい かといって真ん中にまるを付けるのもなんか違う 結局は生まれた性のほうに丸を付ける この時気持ち的にはつらいしなんか悔しい この頃セクシュアリティ関連での悩みが尽きない 一つでも多く悩みがなくなればいいな
今日母親から連絡が来た 出た瞬間少し怒り口調 「昼頃に学校から連絡があったけど大丈夫?」 ここ最近死にたい気持ちと消えたい気持ちとの葛藤で学校に行けてなかった それを担任が伝えたらしい とりあえず来月に病院行くことが決まってるとだけ伝えた 人と話すことが嫌だったのもあり涙が止まらなかった 夜。 相方が来るだろうと思い配信の気持ちに切り替えて配信をした 俺にとって相方は命の恩人 気持ちが下がってるときは相方の声が聴きたい そう思ったから 枠に来てくれてコラボまで上がってくれた
昨日が世界カミングアウトデーだったことを忘れてた。 とりあえず一日遅れたけど書きますか まぁ俺はLGBTQ+のQにあたる 男でも女でもない 「クエスチョニング」 でもここ最近セクシャルマイノリティの診断をウェブでしたら少し違った結果になった 「ジェンダーフルイド」 「パンセクシュアル」 「パンロマンティック」 「フィクトセクシュアル」 この4つだった 一つ目のジェンダーフルイドは日によってコロコロ性別が変わる とある日は女性、とある日は男性みたいに 二つ目のパンセクシュアルは