指定校推薦について考える
現在の受験制度と指定校推薦
現在の大学受験制度は多岐にわたる。代表的には①一般入試、② 学校推薦型選抜(指定校推薦と公募型)、③ AO入試の3つである。このほかにも飛び入学が認められている大学もあり、私立入試も含めると現在の入試スタイルは多様性に富んでいると言えるだろう。今回の記事では上記の一般入試と指定校推薦について比較しながら、SNS上で多くの議論を呼ぶ「指定校推薦」について考えていこうと思う。
なおこの記事は私の2回目の投稿であるためまだ慣れない部分がある。使い慣れることも目的としてこれを書いているので記事が見やすくなるような機能があればぜひコメントしてほしい。もちろん私の意見に関してのコメントも大歓迎である。
指定校推薦とは
多くの人が知っていると思うが指定校推薦を考えるにあたって、まずその特徴から確認していく。以下引用である。
ここで特に重要なことは「指定校推薦は、高校側と大学側との信頼関係で成立している制度」という記述である。つまり、指定校推薦においては入試において生徒が主体ではないということである。これが他の入試制度と大きく異なる部分であり、これを根拠として指定校推薦は入試が他よりも大幅に楽であるのだ。
私が指定校推薦に決めた経緯
私は指定校推薦で早慶上理のいずれかに合格した。(これをAとする)現在、大学側から与えられた課題をこなしながら、美術館に行ったりギター練習したりして、「暇な」時間を楽しんでいる。
私は大学に合格するまで、元々旧帝大のある大学(Bとする)の建築学科を目指していた。しかしいざ夏休みが終わり本格的に志望校を決める時に、指定校の枠が発表され、Aも現実的な進路として候補にあがった。というのもAは建築において特に優れた大学であり、東大と並ぶレベルであると世間的には言われている。しかし、私が元々志望していたBはそのレベルには至っていなかった。またAは都心にあるが、Bは東京から遠く離れた土地にある。新しい建築を多く見るには建物の建て替えのペースが速い都心の方が有利だ。さらに都心にいれば父親が設計の仕事をしているため、父親のアドバイスを受けながら勉強できることも大きな利点であった。ここで断っておきたいのは私は旧帝大の特定の大学に行きたかったのではなく、一定以上の大学のレベルの「建築学科」に行きたかったのだ。
私は元々Aを一般で受験するつもりはなかった。なぜならAは多くの大学と異なり受験に絵の実技試験があり、その存在を知るのにはタイミングが遅すぎた。また私の勉強の時間配分も典型的な理系国公立型であり、Aを目指すには理科や数学のさらなる先鋭化が求められた。そのため三年の初期からAは眼中になかったのだが、指定校でその大学が受験できるならば話は別である。実際、指定校の試験は面接だけでありデッサンの試験はなかった。(厳密にはデッサンの課題があったのだが、試験と課題ではその差は歴然である。)また指定校の選考で重要となる私の成績も特に問題はなかった。
そのためAを指定校推薦で出願してみることにした。しかし万が一落ちた時、Bを受けるほかないため、あくまでも棚からぼたもち程度の気持ちでいようと試みた。
当然その試みは失敗し、出願してから校内選考が終わるまで常に上の空で勉強がままならなかった。引用にもあるように校内選考では単純に成績だけが見られるわけでなく、校内模試や委員会、部活動など様々な要素が加味されて判断を行う。私の高校は担任からは選考の優先順位の最初に成績があり、その差がほぼ同じである時は校内模試が次に、そして勉強以外の活動があると伝えられた。私は元々Bを目指していたため、特に多くの時間を共通テスト対策に時間を割いていた。幸運なことに校内模試のほとんどが共通テスト模試であり、私はその多くで一桁台の順位であった。そのためBの判定も一年を通して安全圏にいた。部活や委員会には一時期、所属していたがすぐに辞めてしまっため、少し心配であったが模試の成績でカバーできると考えていた。選考結果の発表日が近づくにつれてシャープペンシルがどんどん重くなっていったのは言うまでも無い。
いざ担任から私に指定校の合格が伝えられると、私はすぐに喜ぶことができなかった。突然、ずっとしてきた勉強から解放されるとその不安の方が大きくなってしまったのだ。つまり私は勉強に一つの軸を置いていて、それが急に解体されたのだ。私は私自身に驚いた。実際私のような感覚になった人は多いんじゃないかと思う。
指定校推薦について考える。
SNSや一部受験界隈ではボロクソに書かれる指定校推薦であるが本当に「悪」なのだろうか?確かに早慶・MARCHにほぼゼロといってもいいほどの負荷で入学することもできる。つまり指定校の批判は早慶・MARCHの受験に向けた努力をしない事の指摘であると捉えられる。では「受験に向けた努力」をすることがそもそも良い事なのだろうか。
受験で何を学ぶのか
よく数学は社会で必要ないとか、古文はいらないとか実学(笑)の思想に基づく批判を耳にするだろう。私はこのような大学受験の教科に関する批判には一つ抜け落ちている視点があると考える。それは受験で何を学ぶのかという視点だ。確かに数学の相加相乗平均や古文文法を知っていいたところで社会に出た際に役に立たないかもしれない。だが、多すぎるとも言える国公立型の科目数にはある一つの目的が隠れていると考える。その目的は自分の限界、特性を知ることだ。ある程度のレベルの大学をを目指す際、凡才である私のような人々は何も考えずに勉強をして受かるはずがない。(指定校の私が書くべき言葉ではないことは分かっている。)そのため自分の限界、特性を勉強通して学び、それを最大化することで効率的に学習を進められる。
私たちの能力は遺伝子や環境に大きく左右される。今年の共通テストの倫理にも出題されたように「親ガチャ」の結果はこの受験勉強にも必ず現われると思う。親の身体的特徴が遺伝されるように、子供の脳の構造や思想が遺伝しないわけがないのだ。しかし、それがどこまで私たちの言動に影響を及ぼすかは未知であり、自分を試す事でしか知り得ない。もちろん、環境も大きくその人に影響するが、遺伝子と同様にどこまで環境が私たちを形成したか、自然に知ることなどできないのだ。そのために私たちは受験勉強をする。知性重視型の現代社会で、例えばどれだけ集中することができるのか、どんな時にミスをしやすいのか、どんな方法が暗記をする際に効果的なのかを知ることは自分の心の健康の維持にもつながるし、何より自分の特徴を最大化し、社会で活動することの一助となる。どんな教科、どんな科目、どんな単元も自分を知る為にあるのだ。
受験勉強をするのに一般入試は必要なのか?
大学入試の場合、一般入試における多くの受験生が受験勉強を始めるのは三年からである。(1)しかし指定校も視野に入れた際、受験勉強は高校一年生から始まっているのだ。もちろん指定校に限らず、難関大を目指す際には高校三年からの努力では到底中高一貫の学生と太刀打ちできるはずもなく、三年間を通しての努力が必至である。
私は高校一年の際は個人的な事情で勉強が全くできなかったが、二、三年は受験勉強をしてきた。その際自分が勉強において得意なこと、間違いをしやすいポイントなど多くの特徴を見つけ、さらなる得点アップにむけて努力をしてきた。
ここで私が述べたいのは先ほどの目的に沿った勉強において一般入試が必要であるかどうかである。世間的にはまだまだ、「一般入試信仰」は厚く、一般入試で合格してこそ正義という雰囲気があるのは事実だろう。しかし先ほども述べたように受験勉強は自分を知る為にあり、ただただ勉強をしたって意味がないと考えている。では、一般入試は必要なのだろうか?
私は必ずしも必要ないと考えている。定期テストや模試でも十分にその目的にアプローチする事ができるからだ。つまり、指定校推薦を悪とする根拠が受験勉強をしていないとするならば、その批判は不適当なものとなる。
一般入試の価値
私は指定校を取るまで、一般入試を受けることを前提に勉強をしていた。しかし、先ほども述べたように指定校も十分に「受験勉強」をする事ができるとしたとき一般入試の特徴とは何なのだろうか?これから述べることは実際には一般入試を受けていない人間の意見であり、ただの推測に過ぎない。もし実態と大きく逸れていたり、不快に感じるならばぜひこの記事を閉じてほしい。
私が考える一般入試の価値とは物事を真の意味で極める事である。指定校推薦において一般入試ほどのレベルまで極めることは難しい。小学校から12年間本気でやってきた勉強を自分を分析しながら最適化し、極限の環境でテストに臨む。この経験は指定校推薦にない一般入試だけのものであり、その価値は絶対である。
一般入試と指定校推薦のどちらが良いのか
これからは今までのことを踏まえ、一般入試と指定校推薦のどちらが良いのかを考えていこうと思う。このとき重要になる観点がある。それはあなたがやりたい事が決まっているかどうかだ。日本の受験制度は18年という短い時間の中でやりたい事を探し、将来をある程度決定させられる残酷な面がある。そのため先ほどの観点に基づいてどちらが良いのかを考える必要がある。
やりたい事が決まっている場合
やりたい事が決まっている場合、もしあなたの高校に目指している大学や学科の指定校がある時は私は指定校を取っても良いのではないかと考えている。私のようなパターンである。しかしあなたの目指す業界がどんな雰囲気であるか、大学によっての環境、就職における違いがどこまで大きいのかなど入念に調べたり、その業界に精通した人に取材をしなくてはならない。なぜならもし自分の想定と大きく違った場合、指定校は特に後戻りすることが難しいからだ。指定校推薦は生徒主体の受験制度ではないため、このことがネックになり面倒なことになるのは避けなければならない。私の場合、父親が建築業界に長くいるため、大学のレベルごとの建築を学ぶにあたっての学習環境、地理的な条件や設備などの重要性、就職における強さの違いなど多くの事を知る事ができた。そのため、一般入試ではなく指定校を取る事ができたと言うこともできる。
やりたい事が決まっていない場合
この時、私は指定校推薦をおすすめしない。なぜなら先ほども述べたように指定校推薦は良くも悪くも後戻りできない制度である。なんとなく決めた進路で後悔し、後戻りも難しいというどうしようもできない状況に陥るのは最悪である。(私は高校でこれを経験したため、このような状況に対してアレルギーがある。)そのため
あまりおすすめはできない。
最後に
これまで一般入試と指定校を比較しながら指定校推薦について考えてきた。私は指定校推薦に関しては生徒の選択肢が増え、大学準備時間が長いという点では評価をしている。しかし実際、指定校推薦は高校のレベルにその選択肢が依存していて、一般入試の人口が減ることは議論すべき点である。また生徒自身の態度も議論が必要であると私は考える。
少子化が進む中、日本のゴミカスクソ政府は大学に対する補助金を毎年減らしている。(3)研究が困難になることや大学の学費高騰など様々な問題がこれからさらに生じていくだろう。そして学費高騰などの要因でそもそも大学行ける人が減ってしまったら、受験制度はより迷走し始める可能性がある。大人は当然、私たち学生もこの事実に対して本気で考え、何かアクションを起こさなくてならない。
興味がないと言って逃げてはならない。
参考文献
(1)明光義塾 「大学受験の勉強はいつから始める?いつどんな勉強をすべき?」 https://www.meikogijuku.jp/meiko-plus/high-school/20210301.html
更新日:2021/3/01. 入手日: 2023/1/29.
(2)現代ビジネス 「私大入試の難化の一因…?指定校推薦の「語られざる問題」 https://gendai.media/articles/-/64141?imp=0
更新日:2019/4/21. 入手日: 2023/1/31.
(3)東洋経済オンライン 「大学の貧困」が「国難」につながる深い理由」
https://toyokeizai.net/articles/-/308726
更新日:2019/10/23. 入手日: 2023/1/31.