忘れられている事が嬉しいという話
私を占星術へとのめり込ませた理由の一つに、自分の人生の節目になるような出来事と、星の動きがぴったり合っていたというのがある。
私のガンと惑星の配置は2011年にみごとにリンクしていた。
そしてまた、今年その7年周期の惑星はひとつのサイクルを完了させつつあり、私が乳がんの手術をして今日で丸7年が過ぎた。
最近では、家族ですら私がガンサバイバーだという事を忘れがちである。
正直言うと、私も忘れがちであるし、↑このような単語も実は全く使わないし、周りで実際使っている人も聞いたことがない。
たまにお客様に同じ経験をされた方がその話題をされると、「あ、私も実はやったので、そうですよねわかります」となって、そういえばそうだったな…と思い出すことも多い。
しかも、わかりますって気持ちがわかりますってだけである。
当時の手術から治療中までのことも断片的にしか覚えていない上に、現在のガン治療事情などにも詳しくないので、全く治療に関してアドバイスができるワケでもなく、役に立たんのである。
なにより手術後の「生き残りたい」という気持ちが強すぎて必死だったからか、治療時の、その後の細かい事などはほぼ忘れてしまったし、記録もしていなかった。
乳がんにも色々と種類や病状があって、なんとなく多くの人がイメージしているような闘病生活を送るワケでもないのだ。
私の場合はかなりおとなしいタイプのガンだったので5日間で退院したし、後は自宅から通院する事になったので、ほぼ日中ダラダラしてショッピングモールなどで遊んでいた。
その後、放射線治療などもしたけど、全部通院で、しかも数時間で終わるので、帰りにスタバに毎回と言ってよいほど寄ってしまい、若干太ったことは覚えている。
治療大変だったでしょう…とか言われる事も多かったので「ええ…まあ」などと濁して返事をしていたのだが、実際大変だったのは療養中に体重が増えたことと、しばらくは働けなかったのに、治療費がバカ高くて(放射線はほぼ毎日通う)お金…真剣にどうしよう…と常に考えていた事だった。
そしてガン保険どころか、生命保険に何も入ってなかったので(なぜかその前の年に抜けてたの不思議)毎日数万円が飛んでいく。
残高の減りの激しさにびっくりしてこりゃ大変だ、どうしようと思っていた。
まあでも治療以外は何もしない生活をしていたので、ヒマだった。
なのでせっかく(?)乳がんになった事だし、何かしなくてはいけないのかも?なんか役に立たないといけないのかもしれない…とぼんやりと思ったりもした。
そこで、なんとなく乳がん友の会みたいなものに参加してみたり、乳がんについて詳しくなろうと思って勉強会みたいなものに参加してみた。
結果として、私にとってはなんだかつまらなかったし、よくわからなかった。
というより、あまりガンの複雑な構造や事情などにも興味をもてなかったという事なのだろう。
ガンに効く!みたいなおかしげな自然食品的なものも買ったりして、更に財政を圧迫してみたりしたけど、そっちの自然療法~とか身体についてもやっぱり興味を持てなかった。
そして、とにかく検診に行ってください!早期発見!とかも思えなかった。
私が自分で発見したという事もあるけど、なんていうか…検診に行っても行かなくてもガンが見つかる時は見つかるし、早期発見された後もタイプやその人の体質などによって全く違う状況になるからだと思っている。
実際私の友人はステージⅣでも元気に回復し、ステージⅡと診断された知人はたった1年ほどであっという間に亡くなった。
2人とも会社の検診で見つかったそうだ。
体質やその時の状態にもよってしまうのだし、こればっかりはなんとも言えない気がしている。
ガンにかかる人は年々増えているというが、生涯でがんで死亡する確率は、男性25%(4人に1人)、女性15%(7人に1人)となっている。
これはしかも全ガンの死亡率であって、部位別や年代別にするともっと下がる(当たり前だが)
某保険会社のCMでは2人に1人がガンにかかるって言っていたような気がするが…。
こちらが最新データのようなのでご参考までに。
わたしにガンが見つかったとき、同僚や知人がいきなり泣き出し、「絶対大丈夫だから」と涙ながらに言ってきたことがあるし、化学療法はしないようにと何故か説教された事もある。
その時どちらの態度にも若干ひいてしまったのだが、まあいい人なんだろうし…心配してくれてるんだから…と思ってやり過ごした。
が、が…今思い返すとどんびきする行為である。
ガンには色々ある。
受け止め方も治療法も人それぞれである。
ガンが見つかっても大騒ぎしなくても良いし、闘病中のメッセージや信念みたいなものが全然なくても良いし、啓蒙活動に全く勤しまない人もいるのだし、患った事を隠しても、発表してもどちらでも良いのだ。
ガンに罹って治療をがんばっただけでもうそれで良いのだ。
私は全然死に近い病状ではなかった。
だけど、治療中は同室の人たちの重い病状を間近でみたり、手術台や放射線の治療台では精神的な死も感じたし、死は大変近くにあった。
あの時から偶然にも生きていることに感謝ができるようになった。
あの時からやってみたいことは、すぐやってみることにした。
そして今はオマケの人生だと思って暮らしているし、オマケなのにこれ以上ないほどに満たされている。
ちなみに私の母はかなりの心配症で、毎年「今日で〇年だね」とメッセージをしてきていたのだが、ついに今年はそのメッセージがなかった。
心配に値しないからと、忘れられているのであれば嬉しい限りである。
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