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【ダスカロスの教えに学ぶ30】永遠の原子、潜在意識、オンドピイシス(「真理の言葉」第17、18章より)

ダスカロスの教える “永遠の原子” がわりと難物で、、、Noel が下手に講釈するより、ダスカロスの講義を直に読んでいただくのがよいと判断。それで、記事全体のボリュームが膨らんでしまい、「真理の言葉」19章の紹介は次回にまわすことになった (;^_^A

というわけで、「ダスカロスの教えに学ぶ」シリーズ  は全31回に……31という数字は 6次元への完全シフト を予感させるものゆえ、幸先よく感じられる (*^^)v


“死の恐怖” からの解放

肉体の死後も人間は存在し続ける……が、その事実を、「肉体」や「地球3次元の人生」には価値がないという方向に曲解してはいけない。肉体サイキカル体ノエティカル体 と共に 神聖なる法則 のもとに創られ、わたしたちの本質である「霊-魂-エゴ」を宿す神殿であり、「地球3次元の人生」はそれを生きる価値があるからこそ、こうしていまわたしたちはここで生きている。

今日は、肉体の死という現象について語りましょう。これは現実のことです。何世紀にも亘り、何億人もの人々に恐怖を与えてきた、この現実とは一体何なのでしょうか? 肉体の死とは何なのでしょうか?

私たちが述べてきたことは、肉体とは始まりのある体であるということです。帰結的に、始まりのあるものは終わりがなくてはなりません。その始まりから終わりまで、それは継続的な変化を経験していきます。聖パウロ は「私は日々死ぬ」と述べ(Noel註:コリント1 15章 31節)、について語りました。彼は継続的な変化を意味したのです。

ーーー(中略)ーーー

人の(Noel補足:一時的な)パーソナリティー としての 自己認識 は自分を肉体と考えていますが、一体どんな種類の変化を(Noel補足:肉体において)経験するのでしょうか? 先ず最初は、成長する中で、肉体分子原子細胞が継続的な変化をしていきます。私たちが理解していることは、成長していく時、神聖なる法則 である全知の法則に従って維持され、生命を保ち、変化していくということです。

また、何世紀もの間、すべての人々の肉体全なる智恵神聖なる法則の下にあることを知っています。それは存在としての循環を完了することを意味し、神聖なる法則により、賢く前もって運命付けられているものであり、ある特定の目的に仕えるために決められているものなのです。

何世紀も前から現在まで、人の誤りは、肉体を持った存在としての循環性の目的を知ろうとする関心がなかったことです。このことが死の恐怖を説明しています。

「真理の言葉」284‐285ページ、一部の太字化はNoelが実施

どんなひとでも、「なぜ生きているのか? 何のために生きているのか? 死んだらどうなるのか?」などの疑問を持つ。もちろん、わたしたちは明らかな “目的” を持って地球3次元に誕生している。平均的な意識レベル(第4段階)のひとは「霊的成長」が人生におけるメインテーマであるが、ある程度それが達成されれば、「じぶんも成長しつつ他のひとたちの成長も促す」ようになる。

現代においてもっとも人間を苦しめ、さまざまな問題を引き起こす原因となっているのは “死の恐怖” ではなかろうか?

「じぶんにはいまの肉体と人生だけしかなく、死ねばすべてが無になる」という信念エレメンタル)に縛られてしまうと、本能欲望を満たすことだけが生き甲斐になってしまうだろう、、、飢えて死にたくないので他者の食料や財産や土地を奪う、殺されたくないので殺す、じぶんさえ快適なら満足なのでゴミをポイ捨てしても平気、どうせ死んだら終わりだから後のことは考えない、、、などの エゴイズム が、7つの天国のひとつとして創られた地球3次元 を、地獄のような酷い世界にしてしまった

キリストは、“真理” を伝えなさいと弟子たちにいった。

それは、みずから創った地獄から すべての人たち” を救い出しなさいというメッセージだ。地球に生きる人たちは全員コーザル・ステート絶対無限の存在ロゴス、聖霊 の次元)がルーツ 兄弟姉妹” だから……「じぶんを救う」ことは「兄弟姉妹を救う」ことであり、「兄弟姉妹を救う」ことは「じぶんを救う」ことになる。それをキリストは、「あなたがたによくいっておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25章 40節)といって教えられた。

永遠の原子

死の恐怖” を克服するため、わたしたちの魂の器となる肉体サイキカル体ノエティカル体がどのように創られるのかを学んでみよう。

人間実現性の循環 は、コーザル・ステート(7次元)にある 聖なるモナド の一条のがノエティック・ステート(6次元)に降下し、人間のイデア を通過したときに始まる。そこで人間は「自己認識」となり、“3つの永遠の原子”(PERMANENT ATOM)を創造する。各人の “永遠の原子” は各人のエーテル・ダブルの ハートセンター にあり、分離の次元(3~5次元)における各人の経験をすべてを記録する “永遠の媒体” で、一つ一つの転生で使う3つの体の設計図としても機能している。

永遠の原子” のような存在を、わたしは他の「スピリチュアルな教え」で聞いたことがなかった(注:Noel のスピ系およびオカルト系知識はさほど多くありません ^^;)。が、“心臓” や “ハートセンター” が持つ中心性と感覚的によくマッチするので、違和感なく受け入れることができた。

人間最初に、全なる智恵全なる力全なる愛 の下で、聖なるモナドの一条のとして地上に降下した時、人は三つ永遠の原子創造しました。それらは極小でありながら、その一つひとつは人間の生命に関するすべて、および潜在意識記憶経験として刷り込まれたすべてを包含しているのです。

三つの永遠の原子について

最初永遠の原子低次のノエティカル体超素材(Noel註:マインド素材)から創られています。それはもちろん五次元に存在します。二つ目は、サイキカル体サイキカル界素材から創られています。それはもちろん四次元におけるあらゆる実現性を包含しています。三つ目永遠の原子は、物質素材から創られています。

それ(Noel註:永遠の原子)は エーテル 素材から創られた物質的原子ですが、しかし永遠であり、不滅なのです。三つ永遠の原子が揃って、いわゆる 永遠のパーソナリティー が私たちに与えられているのです。これも永遠不滅です。

人間転生のたびに新たな永遠の原子を創造するとは考えないで下さい。何十万年前のある人の最初の降下の時に、その人が物質素材(Noel註:エーテルも “物質” のひとつ)から永遠の原子創ったのです。都度の転生永遠の原子変わることはありません

それぞれの転生はその人の生命を記録した大きな本の新たな一ページとなります。彼の経験はその本の智恵となります。一つひとつの転生新たな肉体が、物質としての永遠の原子の周りに造られます。同様にして、新たなサイキカル体がサイキカル素材による永遠の原子の周りに造られます。そして、新たなノエティカル体がノエティカル素材による永遠の原子の周りに造られます。このように、三つの体は変化し機能を失い、そして分解され廃棄されます。そして、新たな体永遠の原子のあらゆる粒子の周りに準備されるのです。しかし、次のことに十分注意して下さい。

永遠の原子の周りにつくられるものは、過去に記録されたすべての産物なのです。過去永遠の原子に記録されたものにより、超素材から新たな体創造するのは、聖霊四つの基本元素(火、水、エーテル、大地)の大天使たち です。ですから、あなた自身は基本元素ではありません。基本元素とは素材であり、私たちのを造るための物質なのです。私に言えることは、三つの体が私たちの神のいます所、すなわち神殿であると言うことです。

「真理の言葉」285‐287ページ、一部の太字化はNoelが実施

3つの永遠の原子” は、3つの体 およびパーソナリティーを形づくるためのデータバンクであり、それぞれの人間のすべての転生の記録を保有している。そして、人間の永遠のパーソナリティーは “永遠の原子” の記録のすべてを、現在のパーソナリティーは “永遠の原子” の記録の一部を表現している。「永遠の原子」と「永遠のパーソナリティー」は永遠にして不滅、「3つの体」と「現在のパーソナリティー」は一時的有限という違いはあるが、「永遠の原子」、「永遠のパーソナリティー」、「3つの体」、「現在のパーソナリティー」はすべて創造されたものであることを念頭に置いておこう(「エゴ」は創造物ではない)。

では、永遠の原子、すなわち生命である自己認識としての神聖なる投影と私たちの関係はどのようなものなのでしょうか? それは私たちが経験するすべての記録です。ただし、その記録は他者の事柄や課題について行われず自分自身についてのみ行われます。そのために、私たち自身からの事柄や課題を決して消去することなく、私たちは自身の経験を確かめることになるのです。

肉体永遠の原子は、重く粗い物質から創られるのでしょうか? それとも肉体のエーテル対応体を通してエーテル素材から創られるのでしょうか? これについては既に話したように、肉体エーテルダブル視覚で捉えることのできない素材なのですが、物質なのです。この肉体永遠の原子は、創造エーテル、刷り込みエーテル、感覚エーテル、そして運動エーテル から組成されています。結果として、その本質はエーテル性なのです。肉体にある如何なる物質的な原子でも、その エーテル対応体 によって生かされています。すべての創造的作業は、エーテル対応体中心から外側に向けて進められます。

私たちの肉体の内でその動きが起きています。出産、すなわち細胞や原子の動きのような出来事の全知的刷り込みが行われているのです。これらすべては完全な秩序の下で行われています。

いつか、あなたの肉体永遠の原子について 瞑想 して欲しいと思います。なぜなら、それは物質界における、あなたの生命の総合計だからです。

肉体永遠の原子の周りに、あなたの現在のパーソナリティーが造られます。もちろん、サイキカル体永遠の原子ノエティカル体永遠の原子の助けを借りてですが。永遠の原子とは、エーテルの投影体です。一方、一つの転生における現在のパーソナリティー自己認識は、名前、そして肉体、サイキカル体、ノエティカル体の周りにつくられた創造物なのです。

「真理の言葉」290‐292ページ、一部の太字化はNoelが実施

永遠の原子” は、マインド から創られた 4種のエーテル(創造エーテル、刷り込みエーテル、感覚エーテル、運動エーテル)によって構築され、それがエーテルダブルを創り、さらにそこから3つの体を創って維持してゆく。肉体を構成するすべての器官、細胞、原子などにも、それを創る エーテル対応体 がある。そして、すべての創造的作業は、エーテル対応体の中心から外側に向け神聖なる法則 のもとで進められる

ではつぎに、肉体の死後、3つの “永遠の原子” がどうなるかをみてみよう。

さて、肉体の死が起きた時、一体何が起きているのでしょうか?

疲れた肉体捨て去られます。それは無益なもので、永遠のパーソナリティーにもはや仕えることができません。永遠の原子知っていること全て、そしてサイキカル原子(Noel註:サイキカル体の永遠の原子)とノエティカル原子(Noel註:ノエティカル体の永遠の原子)の経験の全てを既に記録しているので、それは直ちにノエティック界(Noel註:6次元)へ引き上げられます。

サイキカル原子には何が記憶されているのでしょうか? 出来事も記録されるのでしょうか? 詳細も記録されるのでしょうか? 必ずしもその必要はありません。サイキカル原子は、これらの出来事がつくり出す感情的波動を記録します。それは私たちが精神的な状態と呼んでいるものです。

出来事のより完璧な記録は、ノエティカル原子に記録されます。なぜなら、それは低次のノエティカル体思考によってなされるからです。人間の生命完全な記録は、ノエティカル体の永遠の原子に刻まれます。これらの成り行きから、他の永遠の原子と共に働いてきた肉体永遠の原子は、もはや必要がなくなります。なぜなら、提供するものが何もないからです。そのため、それはノエティック界へ引き上げられてしまいます。

「真理の言葉」289‐28ページ、一部の太字化はNoelが実施

わかりにくい説明だが、人間実現性の循環 を考えるとよい。

肉体の死(肉体のエーテル・ダブルの消滅)と同時に、 “肉体の永遠の原子” はノエティックステート(6次元)にある「自己認識-魂」に引き上げられる。その後の移行は、意識の覚醒レベル によって異なったものになる(こちらの転生パターンについて書いた記事 を参考にどうぞ)。

自己意識 に目覚めていないひとの場合、死後はまずサイキカル界(4次元)でサイキカル体を持って暮らしはじめる。そこでガイドや守護天使に助けられつつ主に感情に関連した経験を追体験し、満足できたらノエティカル体ノエティカル界(5次元)に移行し、その際 “サイキカル体の永遠の原子” が「自己認識-魂」に引き上げられる。ノエティカル界では眠ったような状態で過ごし、転生の時期が来たらノエティック体に入って、つぎの転生で使う3つの体を準備しはじめる……と推測している。

一方、自己意識あるいは “自己意識目覚めているひとの場合、サイキカル界やノエティカル界におけるリハビリや反省の期間がごく少ない、あるいはまったく必要ないので、肉体の死後ノエティカル界あるいはノエティックステートに直行し、その際に2つ、もしくは3つの “永遠の原子” が同時に「自己認識-魂」に引き上げられることになるだろう。

“潜在意識”と“現在のパーソナリティー”

永遠の原子” は、潜在意識 (過去)と現在のパーソナリティー(現在)によって構成されている。

人間潜在意識とは、最初に永遠の原子に、そして後に現在のパーソナリティーの自己認識刷り込まれた経験の総計です。そのため、人の潜在意識は、正にその永遠の原子と言えます。それはマイクロ・フィルムのようなもので、過去のすべての転生あらゆる経験完全かつ詳細な記録なのです。もちろん、私たちがこのフィルムを現像し利用できるようになれば、わたしたちの潜在意識にあるあらゆる詳細を見ることができるようになります。それらの経験とは、詳細と反応と結果を基本として、善性のため潜在意識に蓄積されたものです。

人間が転生する時、としての永遠の原子はその表面に過去のすべての転生を表しています。の周りにオーラがあり、それらはサイコノエティカルオーラとも言うべきものです。永遠の原子は、サイコノエティカル的であり、エーテル性を持ち、物質性も備えています。このオーラには経験のすべてが存在しますが、それは詳細ではなく長所とか欠点のような性質だけが現されます。

内省 をする時、詳細を知る必要はありません。それはあなた自身を知り、それにより自分の利得とするためなのです。永遠の原子の “放射” から学ぶこともでき、またあなたのすべての経験が刷り込まれている、いわゆる現在のパーソナリティーの部分を学べばよいことになります。それはあなたが改善しなくてはならない部分やものを見つけ出すことであり、またあなたが追い払わなくてはならないものを見つけ出すことです。真理の探究者が深い瞑想やサイコ-ノエティカル・エクササイズによって、自身の潜在意識に入る時、彼は現在のパーソナリティーと過去のすべての転生のあらゆる詳細のマイクロ・フィルムを利用することが可能となるでしょう。しかし、これは本来必要ないのです。

なぜなら、賢い真理の探究者は、最愛なる方(Noel註:キリスト)の言葉に従うからです。それは「鋤に手をかけてから後ろを顧みるな、前だけを見なさい」という言葉です(Noel註:ルカ福音書9章 62節)。彼の後ろには畝がすでに掘られているので、後ろを顧みる必要はなく、前方だけを見るべきことを示唆しています。探究者が霊的に成長し、そして進化する時、彼自身の、すなわち彼の転生の全ページが開かれ、簡単に見ることができ、読み学ぶことができるのです。彼の生命の書は、潜在意識に存在しています。

「真理の言葉」293‐294ページ、一部の太字化はNoelが実施

永遠の原子” はすべての過去世の詳細な記録を持っているが、3つの体パーソナリティーを創ってゆく際にリファレンスされるのは、過去の経験によって得られた人格的なエッセンスだ。それが、じぶんの魂が計画した目的を果たすための最適な環境や人間関係を周囲に構築してゆく。つまり、3つの体現在のパーソナリティーいまの人生があれば、そこからすべてを学べるということ! キリストがいうように、「後ろではなく前をみて」いればよいのだ。知るべきは過去世ではなく、じぶん自身の現在のパーソナリティー ……そこに潜在意識にアクセスするためのヒントがすべて詰まっている。

他人に訊ねる前に、じぶんに訊ねてみよう。

そうすると、じぶんがすべて知っているとわかる……気が遠くなるほどの未知神秘じぶんの中に眠っているとわかると、人生に倦み疲れたり、退屈したりするヒマはなくなってゆく。

潜在意識的にではなく、自己意識的に生きる

潜在意識(過去)へのアクセスは、パーソナリティー(現在)が受け取る印象によってコントロールされることを意識しておこう。

さて、私は二つの先端を持っています。一つは私が監視者と呼んでいる現在のパーソナリティーとしての自己であり、そしてもう一つは印象を受け取る先端です。しかし、私はどのようにして印象を受け取るのでしょうか? またどのようにして、それに反応するのでしょうか?

ここで、「どのように反応するか?」は、潜在意識の部分によります。ジョージやメアリーという現在のパーソナリティーの自己は経験や印象、あるいは五官、すなわち怒りや不快感や喜びという、いわゆる感性を通してやってくるすべてに、どのように反応するのでしょうか? 私たちの周りで起きる出来事に対して、私たちはどうして同じように反応しないのでしょうか? もし、十人が同じ出来事に遭遇すると、それに対して十通りの異なった反応があることでしょう。それらは喜びから、不快感から、そして痛みまでに分散されます。これは大切な問題点です。なぜでしょうか? これにより私たちは一つの結論に到達することができます。

その原因は外部的なことでもなく、大切な五官からでもありません。それは五官を通しての印象の受け取り方であり、具体的に言えば、それは現在のパーソナリティーとしての自己認識による反応であって、これは記録されている印象や経験の記憶や回想に誘発されて飛び出てくるものなのです。

私たちが現在のパーソナリティー、そしていわゆる潜在意識を学ぶ時、それらが一つで同じものと考えるべきでしょうか? 私たちは時間の意味を考慮に入れなくてはなりません。潜在意識過去からの記憶や条件付けを引き出し、それらを現在に持ち出します。しかし一方で、現在のパーソナリティーとしての自己は、現時点の生命現象五官を通して対応する印象感受するのです。

真理の探究者は、これら二つの状況両者の関係を学ぶことになります。これらの状況を学ぶであろう探究者とは一体誰なのでしょうか? その探究者とは、これら二つの状況のどちらか一人でしょうか? それとも、どちらでもないのでしょうか? これら二つの状況が、二つの枝分かれを持った一つの状態と考えることは可能でしょうか? それが答えです。

「真理の言葉」295‐296ページ、一部の太字化はNoelが実施

同じ状況でも、それに対する反応十人十色だ。

それは、それぞれの人間の潜在意識……つまり、「過去世の記憶」が創り上げた現在のパーソナリティー異なっているから。そんな現在のパーソナリティーは “過去のじぶん” といえるが、さまざまな体験の印象を受けとる いまのじぶん” も同時にそこに存在する。受け取っている印象(いま)と、そこから引き出される反応(過去)……“過去のじぶん” と いまのじぶん” がせめぎ合うなかで “未来のじぶん” が創られてゆく。それが自覚できると、潜在意識的(過去)に生きることに終止符を打ち、「時間-空間-場所」の窮屈な檻から意識を解放できる。

潜在意識における時間場所と、サイキカル界における記憶の世界の時間場所との間には違いがあります。さて、私たちは潜在意識を、いつか自分自身を発見するであろうサイキカル界関係付けることになるでしょう。考えてみましょう。私たちがサイキカル界について話してきたように、そこには七つのプレーンがあり、それらが更に七つのサブプレーンに分かれ、全部で49の領域を持っていることを知っています。

さてここで問題に向かい合いましょう。潜在意識とはサイキカル界にあるのでしょうか? これについて注意深く考えて下さい。私たちの肉体は、三次元である物質界の基本元素(エレメント)から組成されていますが、それは物質界でしょうか? いいえ、違います。それは物質界から素材を得ていますが、物質界の一部としか言えません。同様な考え方から、現在のパーソナリティーのいわゆる潜在意識は、サイコ-ノエティカル界からサイコノエティカル素材を得ているのです。サイコノエティカル界のプレーンやサブ・プレーン間の関係はどのようなものでしょうか? これについて考えて下さい。特定の人の純粋さ、清潔さ、完全さに従い、彼あるいは彼女はサイキカル界自己に相応しいプレーン、あるいはサブ・プレーンに自分自身がいることに気付くことになります。サイキカル界では、誰も強制的に配置されることはありません自分の価値に見合った場所に自分自身を発見することになります。

私たちが肉体を離れる時私たちがいたことのない天国や地獄に自分自身を発見することは決してありません。なぜなら、私たちの潜在意識の状態は魔法によって変わることなどないからです。

すでに話したように、潜在意識サイコノエティカルで、エーテル性永遠の原子であり、その周りに現在のパーソナリティーが存在しています。現在のパーソナリティーとしての自己は、肉体とそのエーテル・ダブル、サイキカル体とそのエーテル・ダブル、そしてノエティカル体とそのエーテル・ダブルから構成されています。そして、これら三つの体の全体が、現在のパーソナリティー構成しています。

「真理の言葉」297‐299ページ、一部の太字化はNoelが実施

永遠の原子” が、潜在意識の “” であり、同時に潜在意識の “すべて” を記録している。しかし、“永遠の原子” に記録されているのは、あくまで “個人データ” なのだ。サイキカル界ノエティカル界は、膨大な “個人データ” を収納する巨大データ・センターのようなもので、ひとりの人間が使用できる範囲は、そのひとが持っているデータの “” と “” によって決まる……つまり、各人の意識の “振動周波数” が、シフト可能なサイキカル界およびノエティカル界のプレーンを決めるということ。

霊的な成長が進み、それによって得られる恩恵が大きくなれば、そのぶん課せられる役目責任も大きくなる。が、それは神と共に働く喜びに満ちたものゆえ、献身奉仕が苦痛になることはない。

次に、潜在意識組成について考えます。不思議に響くかもしれませんが、全なる智恵、全なる愛、全なる力 は銀河の中心太陽の中心、また惑星の中心完全な形で存在しています。そして、丁度同じように、全なる智恵と愛と力は肉体一つひとつの原子にも存在しています。潜在意識もまた、彼らのそれぞれのとそれらの対応体の中のあらゆる肉体の原子、エーテル対応体の原子、サイキカル体の原子、そしてノエティカル体の原子に完全な形で存在しています。完全な記憶一つひとつの原子の中に存在し、それは数えきれない数の記録でも、何も失われることがありません。

これら全部を誰が記録するのでしょうか? 私たちです。変化はどうなのでしょうか? あらゆる変化は忠実に一つひとつの原子潜在意識に登録されるのです。後に、私たちの内にある天の国潜在意識関係を知ることができます。

潜在意識三つの扉を通して私たちを導いてくれます。一つの扉は最も恐ろしい地獄へ私たちを連れて行きます。二つ目の扉は最も美しい天国へ、そしてもう一つの扉は至福へ導いてくれます。決断して、選びなさい。

「真理の言葉」298‐299ページ、一部の太字化はNoelが実施

一つ目の扉はエゴイズム、二つ目の扉は「天使」、三つ目の扉は テオーシス だ。

オンドピイシスという目的、果てしない成長

人間は 分離の次元 で、数えきれないほどの転生を繰り返す。そこで得られる経験智恵はやがて膨大な量に達し、アセンデッドマスターを超えて惑星ロゴス銀河ロゴスのレベルにまで育ってゆくことができる。

さて、これらの永遠の原子私たちとの関係は何なのでしょうか?

さらに、それらと私たちの関係を、自己認識(Noel註:“自己”意識)、超意識(Noel註:“超自己”意識)、意識的(Noel註:自己意識)、そして潜在意識的自己認識 の立場から理解する必要があるのではないでしょうか?

時間の経過と共に、完璧で完全な永遠のパーソナリティーとしてのこれら永遠の原子は、「自己認識としての自己のレベルに到達するでしょう。そして、「自己認識」へ “オンドピイシス”(※)を与えることでしょう。

オンドピイシス」は目的なのです。それが目的である以上、たった一回の転生で見出されるものではありません。教育や学びの目的は幼稚園や小学校、あるいは高等学校や大学に一日通ったからといって達成されるものではありません。もしあなたが一日だけレッスンを受けても、教育の目的を理解するのは困難でしょう。

さて、私たちは真理の探究者としての目的が、絶対存在の中における 聖なるモナドとしての自己 の「オンドピイシス」であることを知っています。そして、これが神聖なる恩恵なのです。なぜなら、天なる父である絶対存在彼の子供に自分が完璧であるのと同じように完璧になってほしいのです。もし、聖なるモナドがすべてのイデアや宇宙のあらゆる知識をマスターし、またマインドによる宇宙の神聖なる表現をマスターできなければ、聖なるモナドとして完璧にはなれないでしょう。結論的に、絶対存在の中十分に準備のできた聖なるモナドが経験するワークは、神聖なる計画 支援するためであり、お返しに義務を果たすためのものです。

永遠のパーソナリティー自己認識は、何世紀にも亘り肉体の中で生きてきているため、重く粗い物質、サイキカル物質素材、ノエティカル素材、そして超素材のマスターとなっているために、その体(形態や概念、ノエティカル・イメージや思考を持った)にある智恵の表現でもあり、もはや “マスターを超えた存在ではないでしょうか? それはおそらくロゴス惑星レベルのロゴス、あるいはそれ以上の存在かもしれません。

【原注】オンドピイシス:この言葉「オンドピイシス」(Ontopeisis)を翻訳することはできません。ギリシャ語で “on” は “being”(永遠の存在)を意味し、“peisis” は “to become”(~になる)を意味する言葉です。「オンドピイシス」はテオーシスと緊密に関係した言葉です。テオーシスは「エゴ」と、その人の啓示や一体化を人間の観点から見た表現で、一方「オンドピイシス」は「エゴの観点から見た表現です。すなわち、後者は人間のイデアを通して投影されたことにより「エゴ」が修得したものであり、テオーシスに至るまでの地上でのその生命のことです。 私たちがテオーシスを通して “故郷に帰る” 時、私たちの兄弟であり、善だけを知る大天使たちよりさらに完全に近く満たされた存在として戻ってくるのです。

「真理の言葉」287‐288ページ、一部の太字化はNoelが実施

わたしたちが生きる目的は、目が眩むほどの巨大な神の光を顕す、個性あふれる “人間天使” になることなのだ。