観察力
人間と大天使の本質としての「霊-エゴ」は、“観察力” なのだそうだ。
神聖なる本質の一部である “観察力” とは、「完全な集中力」であると同時に「完全に知ること」……で、その “観察力” によって大天使たちは 全なる智恵 を発揮するのだという。一方、人間が “観察力” を発揮するには内なる真実の本質……つまり、聖なるモナド の投影である 自己認識-魂 としての自己 に目覚め、それを統治することが必要になってくる。
内省や瞑想によって、意識を “自己”意識(現在のパーソナリティー が 永遠のパーソナリティー とつながった状態)にまで引き上げると、大天使 のエレメンタルである天使や自然霊とコミュニケーションしたり、エレメンタル を “見る” ことができるようになる……とのことであるが、この “見る” は視覚だけでなく、直感、雰囲気、皮膚感覚などによる知覚も含まれると思う。誰かと話していると、相手の意図が太陽神経叢やハートセンターに触れてきたり、ハートと言葉が食い違っていると不快感を覚えたりするのも、エレメンタルを見ているといえる。
大天使のエレメンタルである天使と自然霊は、さまざまな生命現象の背後で マインド を用いて 全なる智恵 を、「植物界」では感受性、「動物界」では感覚能力と本能として表現する……とダスカロスは説明する。
そして、人間も本能を持っている。
肉体は「本能」の支配下にあり、人間の意識は「本能」を支配する側にある。感覚と本能を制し、無自覚な惰性の眠りから目覚め、“自己“意識 という宝物庫を啓いて、本質的な智恵を引き出せるようになりたい。
エレメンタル
大天使のつくるエレメンタルは 神聖なる法則 に則り、決して間違いを犯すことはない。が、人間のつくるエレメンタルには2つのタイプがある。
それぞれのエレメンタルの性質について、わかりやすく書いてあるハラランボス氏の著書から引用しよう。
さいきんは夢……つまり、潜在意識的な 体外離脱 ではなく、覚醒意識で自発的に体外離脱することのほうに関心がシフトしているので、就寝前の内省 と、波動の高い対象への アチューンメント を心がけている。
聖霊とロゴス
聖霊 と ロゴス という言葉は「ダスカロスの教え」においてしばしば使われるが、「真理の言葉」にはそれらに関する詳細な説明がほとんどない。なので、スペースを割いて補足しておこう。
ダスカロスは人間の本質(霊-魂-存在)を、両手でつくる三角形のシンボルで説明する。
イエスの3角形シンボルは、三位一体である絶対存在、聖霊、キリスト・ロゴスを視覚的に理解するのにひじょうに役立つ。
聖霊とキリスト・ロゴスについて、ダスカロスの説明を聞いてみよう。
超絶シンプルに要約すると、キリスト・ロゴスは「全なる愛を伴う全なる知恵」、聖霊は「全なる愛を伴う全なる力」……ということになるが、それだけでは言葉足らずなので、もう少し詳しい説明を。
↑ このレベルの理解に、今生では到達できそうにない、、、が、「真理の探究」が最優先事項ゆえ、地道に弛まず進みます (๑•̀ㅂ•́)و✧