「ダスカロスの教え」と「東洋医学」を融合させる試み(2)
太極=絶対無限の永遠の存在 /「東洋医学」は“心”が“神”
「東洋医学」では “太極” から “太初”(気)が生じ、“万物”が生まれたとされています。
“太極” を「ダスカロスの教え」における “絶対無限の永遠の存在”(神)としても差し支えないですが、「東洋医学」における “神”(しん)は「ダスカロスの教え」の “神”(かみ)と同じではありません。
「東洋医学」の “神” は、“気” と “精” の協同作用で顕れる活動全般を示す概念で、「広義の神」と「狭義の神」に区別されています。
「広義の神」の表現が “五神” であり、“五神” は “五臓” と関連しています。
そして “五臓” は、“五志”(怒・喜・思・憂・恐の 五種の情志=感情)と呼応するのです(「悲・驚」の2つを加えたものが “七情”)。
「東洋医学」における “神” は “心”(しん)に宿ります。
一方、「ダスカロスの教え」における “神” の座は、頭部にある “聖なる三角形”(センター1)です。
ここから、「東洋医学」の “神”= “ノエティカル体”(思考体)レベルにあるもの、 「ダスカロスの教え」の “神”= コーザル・ステート(7次元)にあるもの……と区別できます。
五行思想
“陰陽”の他にも、「東洋医学」を特徴づける重要な要素に “五行” があります。
すべての事象が “5つの元素”(木・火・土・金・水)の運行変化によって成り立つとする「東洋医学」は、“5” =“五芒星” をシンボルとする思想体系といって差し支えないと思います。
「ダスカロスの教え」における “5” は 人間のイデア であるセンター5であり、 “五芒星” はセンター9(サイキカル体)のシンボルで、人間の 現在のパーソナリティー を示します。
“5” を倍数化するとセンター10(肉体)ですから……このへんからも、「東洋医学」が 肉体とサイキカル体 とそれらの エーテル・ダブル へのアプローチに特化していることが伺えます。
ちなみに、センター6のシンボルは “六芒星” です。
これは “天”(永遠のパーソナリティー)と “地”(現在のパーソナリティー)の融合のシンボルで、“六芒星” の中にある “十字架” はバランスのとれた4元素性を示します。センター6を「東洋医学」における人間の理想像としての “天人合一”……と解釈してもいいのではないでしょうか?
陰と陽 ≒ 聖霊とロゴス(?)/ 陰陽=元素の比率
「東洋医学」では、人体の左を “陽”、右を “陰” に仕分けています。
逆では?……と思いますが、これが存外「ダスカロスの教え」の区分にマッチするのです。どのようにかというと、“陽”(聖霊性)を “気”(普遍性)、“陰”(ロゴス性)を “物質性”(個別性)といふうにですが……いかがでしょうか?
そして、あらゆるものが 固有の “陰陽の比率”(=五行の比率)を持つとする概念については、「ダスカロスの教え」の “4つの基本元素の比率”として捉えています。
「活動的な火」、「穏やかな火」、「濁った水」、「澄んだ水」、「渇いた土」、「湿った土」、「熱い空気」、「冷たい空気」などのように、“4つの基本元素” は単独ではなく、さまざまな “比率” で存在しています。
“陰陽” は “正邪” ではない
「東洋医学」の “陰陽” を、「ダスカロスの教え」の「人-悪魔」(欲望-思考型エレメンタル)や、「人-天使」(思考-欲望型エレメンタル)の概念に適用することはできません。“陰陽” は “善悪の概念” ではないのです。
「人-悪魔」(エゴイズム)を「東洋医学」的に解釈すれば、“陰陽” のどちらかに偏り過ぎた思考・感情・欲望……ということになります。そして、もう一方の「人-天使」は “陰陽” のバランスがとれた思考・感情・欲望ということになります。
この件については、「東洋医学」の “正気” と “邪気” に当てはめるのが妥当と思われます。
“正気” が “邪気” よりも強ければ健康、2つの力が拮抗して争うと症状が出て、“邪気” が “正気” よりも強くなると病気になるのです。
つづく