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世界の作られ方


今日、鴨川沿いの道を運転していて
赤信号になって川を眺めていたら、

おじいちゃんが自転車に乗っていたんだけど、
自転車のカゴに犬が乗ってて、
でもその犬は足がプルプル震えていて
どうやら老犬のようだった。

おじいちゃんもよっこいしょと
おもむろにゆっくり自転車をおりるんだけど、
なんか倒れそうで、気になった。

このおじいちゃんもきっと、
自転車に乗れるくらいは元気だけど、
やっぱり身体は若い人に比べれば
年老いていて、疲れやすいだろうに、
一生懸命老犬の世話をして、
倒れそうになりながらも散歩に連れてきたんだなぁと眺めながら思った。


一瞬 「なんでそんな大変なことするんだろうなぁ人間は、」と頭をよぎったけど、
おじいちゃんにとってはこの老犬は
「大変」なのではなくて、
むしろ「支え」のような、
大切な存在なんだろうなとも
すぐに思った。


本当はどうなのかはわからないけど、
私はその光景を見たときに
その感情と感想と思考がよぎったのだから、
それは私の世界の話である。


それを見て更に思ったことは、
このおじいさんは、
愛犬を大事にして愛することのできる人物である。ということだった。


何かを愛することができる。
自分以外の何かに、
見返りを求めず、尽くすけど、
尽くしてる自分に気づくこともなく、
ただ大事にできる。

そんで、
自分以外の対象にむけてようがなんだろうが
実はその「矛先」は関係ない気がした。


おじいさんの世界には
「大事にする」「おもいやる」というエネルギーがある。 

犬が世話をしてもらっているのではなくて、

そのおじいさんの世界には愛が存在する。
というのが事実なんだろうと


なんかふと、赤信号を待っている1分ほどの間に、
いろんな気持ちが頭をめぐったのでした。



まとめ
今日教えてもらったことは、
対象物が何かよりも、
動詞(エネルギー)が世界をつくっている。
ということでした。(世界とはその人固有のもの)

発展
私の世界にある動詞を探してみよう。
誰かにしたこと、
誰かに思うことは
【していること、思っていること】である。
(対象物は関係なく、
私の世界をつくっている力)
自分にしたこと、
自分に思うことも同じく
【ただただ、対象物関係なく、
していること、思っていること】である。
つまり、人にもしている。

と考えたときに、
わたしの動詞は
わたしの好みの世界に
繋がっているのかなぁと
確認してみる作業をしたらいいのだなと、
思ったのでした。

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