スケーターの震災 3月11日

8年前の3月11日僕は何してたか。
講習会だった。
地震が起きたとき、講師の方が
『この地震なにかおかしいね…みんな外にでようか』っと言われみんな慌てて外に出る。
出た瞬間振動計7強の地震に合う。
フラットな駐車場なのに
僕の車は縦に揺れていた。そして立っていられない状況の地震にただしゃがむしかなかった。まっさきに当時付き合っていた彼女へメールした。『大丈夫?』返信は無かった。
回線パンクして電話もメールも出来ない状況がすぐに来たのを覚えている。
講師から講習会は中止という連絡をうけて帰る事に、
当時僕は寮に住んでいた。
寮は崩壊していなかった。玄関付近は配管が割れて水びたしになっていた。
ありょーこれやばいね。
って思った。とりあえず自分の部屋に戻る。
部屋の鍵を開けドアを押す、、、
開かない、、、あれ、、20mmくらいしか開かない。なんとか箒の棒でつっつき
部屋に入れた。
12畳ある部屋。
すべて中心に物が倒れていた。
ありりー。当時買ったばっかりのパソコンも倒れていた。すぐパソコン救出。電源確認。
電源ついた。おっしゃー壊れてない。ラッキーと思った。テレビも倒れていたがそこも大丈夫だった。ただ部屋の中心に向かって物が倒れている状況だった。
そし彼女から連絡あり無事を確認。
家族も大丈夫だと確認。
部屋の片付けを16時くらいから開始する。
22時やっと半分くらい片付け完了した時、
トントンとノックの音。
ドアを開けると後輩が会社の服装で
『明日出勤できますか?』と、、、
この状況で?
『いや出来るけどまじ?』
後輩『まじです』
ということで出勤なので寝ることに
次の日
会社へ行く。
ちょうあと50mで職場に着くとき
キュイーーーーーーーンという音が、、

3ー5秒後

どっかー~~~~~ん

という爆発音。
さすがに時間止まった
やべ死ぬって思った。

設備が爆発した音だった。
うわー会社行きたくね。と心底思ったが来てしまったので働く事に…
鬼の設備点検である。震災2日目だよ?
今思うと出勤しなくて良かったと思う
3人くらいしきてなかった。
そこから緊急補修チームを作り
まさかの20日連続出勤です。

ガソリンすら入れられない。
出勤できない人もいました。いいなそれ。と思ったのもあった。
水も止まっていた。
最悪な状況だったな。

道路は液状化。悲惨な事になっていたが
会社内で亡くなった方はいないらしく。
すごいな。みんな運がいい。と思った。

寮に帰宅

寮でも水が出なく
僕は余ったペットボトル2リットルで大浴場の風呂の水をもらう作戦にした。
水の確保や。
大浴場では後輩が何人かいた。
水を汲み終わって後輩に
『すいませんおしっこしちゃいました』って言われたのを今でも覚えている。

まー飲むわけではないので良いとした。
(笑)

あの震災後に学んだ事は
・水の確保
・食料の確保
・安否確認
・出勤は無理にしないこと
・頑丈な家に住むこと
・丈夫な土地に住むこと
・液状化ひどい
・車壊れなく良かった
・パソコンも無事
・20日連続出勤して何やったかも覚えていないほど忙しかった

そんな感じ
生きていれば何から何まで体験しなければいけないがきっと良いこともある。そんな経験だったな。今になって思い出します。

最後
3月11日亡くなった方
ご冥福お祈りします。

以上 hoshiwimps

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