くうねるふとる/染野太朗
このnoteの初回には、今大阪で組んでいるバンドについて書こうと思っていた。でも実際に書きはじめたら、自分が中学のときに初めて組んだバンドの話になってしまった。でも、これを書かなければバンドの話であれバンドとはかかわりのない話であれなにも始まらないのだ、という気分が今の僕にはある。
バンドを組んだのは中3の2学期だった。都内の私立中高一貫校に通っていた。1992年10月1日が結成記念日だ。ベースのオオノによれば、僕が「バンドやろうよ」としつこく周囲に声をかけたことが発端らしいのだが、僕にはその記憶がまったくない。14歳だった。
最初にコピーしたのはザ・ブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」だった。はじめて練習スタジオに入った日、その1曲だけを4時間練習した。僕はボーカルだったから、4時間ただひたすら「TRAIN-TRAIN」を歌ったのだった。代々木にあるノアというスタジオだった。高校を卒業するまでそのスタジオがバンドの拠点となった。
バンド名は「くうねるふとる」だった。たしかギターのコブちゃんが考えたバンド名だ。かっこうつけたかった僕はその名前が気に入らなかったが、メンバーたちは半分ふざけながらいいねいいねと笑い合い、あっというまにこれに決まった。みんなが賛成するならしょうがないと思った。でもきっとこの名前でよかった。くうねるふとるはその後、校外にも知られるちょっとした有名バンドになり、このバンド名は「くーねる」などと略され、皆に愛された。
ザ・ブルーハーツの曲は「TRAIN-TRAIN」しかやらなかった。その他にはチェッカーズやTM NETWORK、Bon JoviやMR.BIGをコピーした。キーボードのたくちゃんは絶対音感の持ち主で、ピアノがやたらと巧く、小室哲哉がプロデュースしたEOSというシンセサイザーを使いこなした。だからTM NETWORKの曲も問題なくコピーできた。
オオノもコブちゃんも、ドラムのいなっつぁんも、それぞれの楽器が巧かった。スタジオに入って練習するたび、メンバー全員が前回とは見違えるように巧くなっていた。いつ練習しているんだろう、どうしてこんなにあっというまに巧くなるんだろう、と僕は毎回驚いた。いや、驚いたというより、あれは焦りに近かった。
バンドで僕は歌を歌うだけだったが、バンドを始めたのとほぼ同時期にギターも始めていた。でもギター自体が好きだったわけでもギターが巧くなりたかったわけでもなかった。ただ、自分ひとりでも歌えるようになりたかった。そのためにギターを持った。本屋で歌本を買い、そこに載っている新旧のヒット曲を片っ端から弾いて歌った。歌本には歌詞の1行1行にコード進行が記されている。歌いたい曲に出てくるコードの押さえ方を必死で覚えた。あとは簡単なストロークができれば十分だった。毎日何時間でも歌っていた。
高1になると、バンドはオリジナル曲を作るようになった。いなっつぁん以外の全員が曲を作った。作詞はすべて僕がやった。誰も書きたいと言わなかったし、僕自身、書くことは好きだったから。短歌を作り始めたのもちょうどその頃だ。
歌本に載っている曲を毎日毎日弾いていると、よく使われるコード進行のパターンがだんだん見えてくる。G→C→D→Gでなんとなくまとまる。ほどよいタイミングでEmやB7を挟むとニュアンスがつく。まもなく僕は曲も作るようになった。はじめて作った曲は「despair」という曲だった。絶望。15歳だった。はじめて作った曲が絶望って暗すぎるよ、なんだよそれ、とメンバーは笑った。笑いながら、でも真剣に編曲し、演奏してくれた。僕にはその曲が暗いとは思えず、われながらただただかっこいい曲だったのだが、それでもあんなマイナー調で「いつか朝が来ることも忘れ闇にさまよう」とかなんとかいう歌詞は、振り返って考えればやはり暗い。今、その曲のメロディは覚えているのだが、歌詞については「闇にさまよう」云々以外すっかり忘れてしまっている。当時の手書きの歌詞やコード進行のメモも残っていない。
高校生活が終わるまでに、バンドのオリジナル曲は15曲くらいあったろうか。ライブは文化祭を中心に、ライブハウスでもよくやったし、コンテストにも出場した。1995年、高2の終わりだったか、YAMAHA主催のTEEN'S MUSIC FESTIVALという大会に出場した。予選を勝ち、日本青年館のステージに立った。緊張した。緊張してテンポを保てず走ってしまい、メンバーに迷惑をかけた。全国大会には行けなかった。実は今でも申し訳なく思うくらい、このときのことを覚えている。悔しかった。そのときにやったのは「噓」と「a leaf」という2曲だった。作曲がたくちゃん、作詞が僕だった。キャッチーなのに妙に複雑な曲だった。たくちゃんのこだわりが詰まっていた。どちらも高音のきつい曲だった。
最後のライブは1997年だったと思う。浪人組全員の大学進学が決まって、ワンマンライブをやったのだった。昨年、カセットテープに残っていたそのライブ音源がバンドのLINEグループで共有された。四半世紀前の音源だ。おそるおそる聞いた。ノイズの多い音源だったが、メンバーの演奏の巧さは十分に伝わった。曲の合間にメンバー同士で楽しそうに話していた。19歳の僕の歌声は若く、音程は正確で、伸びもよかった。この音源を聞いて僕は、あの頃に戻りたい、と強く思った。他のどんなことでも、過去に戻りたいと思うことなど、ふだんはまったくないのに。
そのライブ以降、メンバーそれぞれが別の大学に進んだということもあって、お互いにほとんど連絡を取らなくなった。しかし2021年12月、アメリカにいるオオノが突然、全員の連絡先を探し出し、LINEグループを作った。そして2022年10月1日、バンド結成30周年をオンラインで祝った。何の活動もしていなくても、メンバー同士が連絡を取り合っていなくても、たしかに、解散しているわけではないのだった。
画面越しの僕を見ていなっつぁんが、そめちゃんがいちばん変わんないなあ、と言った。