マイルドセブン/染野太朗

バンドの練習が終わって、メンバーが二人スタジオの喫煙室にいるのを見つけたとき、腹の底から怒りが湧いた。久しぶりの突き上げるような怒りだった。その場を離れ、深呼吸をし、水を飲んだ。少し冷静になり、会計しよう、と喫煙室の外から声をかけた。声に苛立ちが含まれていたかもしれない。苛立ちが伝わっていたらどうしよう、とそのあとしばらく不安だった。そのような類いの不安を感じるのも久しぶりだった。すぐに会計をするとわかっているはずなのになぜ自分を待たせるんだ、と思った。けれども、そんなことはこの怒りの理由ではない、もっともらしいが本質ではない、とわかっていた。待つだけなら大したことではない。練習後に片付けが長引く、トイレに行く、何かを食べる、といったことでメンバーを待つことはこれまでにいくらでもあった。べつに会計に限らず、その他の場合でも、仕方のない理由であるとかないとかに関係なく、待つことを何とも思わなかった。けれどもこのときは怒りが湧いたのだった。喫煙室でその二人が煙草を吸うのを見たのは、それが初めてだった。煙草を燻らせ笑いながら話をする二人を見て反射的に、私は見下されている、と思った。

父は50代半ばで煙草をやめた。それまでは1日に最低でも2箱、多いときには5箱、つまり100本を吸っていたという。つい先日、父が懐かしそうに話していた。20~30年前、あるいは40年前の話だ。

小学校高学年まで私はさいたま市のアパートに住んでいた。当時はまだ大宮市と言った。その頃、父が帰宅するのはだいたい日を跨いだ深夜だった。父と夕食をともにすることはほとんどなかった。朝、私が起きると、寝るときにはいなかった父がそれでもすでに起きており、不機嫌そうな顔で身支度をしていた。父がネクタイを結ぶのを見るのが好きだった。鏡も見ず、誤ることなく、なぜ1本の布きれを素早くあのように結べるのか、どれだけ注意深く見ていてもわからなかった。時折、父は朝から母と喧嘩をした。何を言い争っているのか、私にはわからなかった。朝に限らず二人はよく言い争った。ものがどちらかに投げつけられることもあった。記憶のなかの私は泣きながら二人を見上げる。二人の喧嘩がいつ始まるのか、なぜ始まるのか、私にはわからない。だから父が家にいるとき、特に週末は気持ちが落ち着かなかった。

煙草を吸うとき父は台所の換気扇の下にいた。換気扇の下で吸うのだから、家族に気を使っていたのだと思う。けれども私の記憶の父はいつも不機嫌で、自分の仕事や遊びを優先する。

5箱を吸うのは会社の同僚と麻雀を打つときだったという。深夜まで打ち、そのあとはタクシーで会社のある新宿から大宮の自宅まで帰る。運賃はどれほどだったか。ただ、そのような時代でもあった。そして数時間だけ眠り、また会社へ向かう。週に何度もそれをする。

当時父はチェイサーという車に乗っていた。サイドミラーはまだ前方のフェンダー上にあった。色はワインレッドだった。父は運転が得意だったが、同時にそれは荒っぽかった。隙があれば突然車線を変更してスピードを上げ、前の車を追い抜く。「走りのチェイサー」と言うんだ、と私や弟によく語っていた。左手でハンドルを捌き、右手の指に煙草を挟み、右肘を窓にかける。父の真後ろに座っていると当然煙を浴びる。記憶には、もう煙草を吸わないでほしいと運転席の父に何度も訴えかける自分がいる。これが実際の記憶なのかどうかはわからない。

小学校低学年の頃だったと思う。私はひとりで、アパートから徒歩2分ほどのところにある自販機に煙草を買いに行った。煙草を買ってくる、と呟いた父に私は、僕が行く、と言ったのだった。父は母に何かを話した。しばらく間があり、硬貨4枚、220円を渡された。当時はだれでも自販機で煙草が買えた。そのとき父が吸っていたのはマイルドセブンで、買いに行く私に父はその名称を何度か言って聞かせた。私は父の煙草がマイルドセブンだとすでに知っていた。それまでにも父は何度もその名称を口にしていたから。私は意気揚々と出かけていった。玄関を出て内階段を降り、アパートの前の道を右に進む。秋のよく晴れた日、15時頃だった。空気は乾き、埃っぽい。なぜ私はそのようなことまで覚えているのだろう。自販機に着き、1枚ずつ硬貨を挿し込み、腕を伸ばしてボタンを押し、ソフトパックが落ちる軽い音を聞き、厚いプラスチックのカバーを押し上げて取り出す。急いで帰った。父に渡した。しかし父の表情は期待していたものと違った。「これはマイルドセブンじゃなくて、セブンスターだ」 改めてよく見ると、たしかにそれは父のいつもの煙草ではなかった。SEVENの綴りは当時の私も知っていた。台所や居間に置きっぱなしのマイルドセブンを何度も見ていたから。えっ、と言ったまま私は黙った。言い訳はすぐに思い浮かんだが、言葉にならなかった。

マイルドセブンはセブンスターを軽くした煙草。発売は1977年、私の生年だ。

20歳の頃、私は煙草を吸っていた。しかし家族や知り合いのいる前では決して吸わなかった。人に言ったこともない。大学からの帰りによく、自宅の最寄り駅から自宅までのあいだを歩きながら吸った。吸い終わればそれを側溝に落とす。私の周囲にはこれまでもつねに喫煙する人が多かった。ちょっと煙草、と言って、あるいは何も言わずに皆その場を離れる。離れた先で煙を吐き出しながらスマホを見ている。何かを話している。何かに笑っている。戻ってきた人に私はその銘柄を尋ねる。マイルドセブンはメビウスに改称され、セブンスターを喫む人には会ったことがない。おそらく私は近いうちにまた煙草を吸い始める。怒りとはつねに過去の残滓であり、また、予感あるいは予兆でしかない。私はたぶん、煙草を吸うすべての人を見下している。


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