Tagebuch in Münster 2
8月10日 地元を感じる
さて、9月末までの滞在先での生活が本格的に始まった。
朝と夜の食事はほとんど自炊にする方針になったので、昼だけはと思い外食を試みる。昨日食べたCurry Wurst が美味しかったので、違うお店を探して食べてみた。
味は全然違う。こちらは濃い。ソースが。なかなかに塩分過多になりそうである。ほどほどに控えよう。
腹ごしらえを終えて、予々気になっていた博物館に足を踏み入れてみた。
Stadtmuseum Münster
公共の建物だからか、無料で見られる。
ここではMünsterという街の歴史を古代から追うことができる。
竪穴式住居のようなもので暮らしていた時代があり、そこから中世・近世・そして近現代へと続いていく。
言語がほとんどわからないため、展示しているものと数字と、英語のガイドを参考に理解を進めていく。
コインの発生時期が日本とほとんど同じであった。また争いが中心になるような時代になるのも、ほとんど一緒のタイミングであった。(日本の鎌倉・室町に相当する時代)
(世界史は横文字を覚えるのが苦手だったのできちんと履修していなかったのを、ここで悔やんでおきたい。日本史も大事だけど、世界史も大事。)
たくさんの肖像画が飾られていた。戦争の時期というのはどうも暗く描かれがちな気がする。黒が基調。日本とは大きく違う。
歴史を遡ってみてみると、色味の使い方が日本とは大きく違う。多彩なのである。日本の色彩感覚とは違うのを改めて感じた。日本だと白黒写真の現像で色を付け直してみた、ということが一時期流行っていたが、西洋だと、その役割を絵がすでに担っていた。もちろん写実的なのがいい、というわけではないが、日本が追いつけ追い越せをしていることに、果たして意味があるのか、と考えなくもない。
さて、時代は第一次世界大戦と第二次世界大戦へと繋がっていく。
ここをもっと見るためにもまた来ようと思うので、簡単に。
特に第二次世界大戦で何があったのか。Münsterの都市を表すパノラマが時代ごとに作られて展示されている。このときのパノラマは瓦礫だらけ。つまり都市は一度壊されている。まるで広島や長崎のように。
またヒトラーについても書かれていたが、ちゃんとは読めていない。
その戦争から現在までにどのようなものが誕生したのか。
驚いたのは企業、というよりは文化・芸術の復興(ホールや美術館、劇場の設立)が大きく取り上げられていた。
生活の一部に文化・芸術がある。大衆芸能も含めて。
午後は図書館に行ってみる。
道沿いにある小さな公立図書館。子供たちのために開かれている場所だった。僕は幼児向けの本を読みにきた。対象年齢は2歳から4歳。しかし、それすら満足に読めない。悔しい。周りにはどんどん親子連れがやってくる。小学生たちもやってくる。図書館で、みんなが遊んでいる。本を読んだり、ボードゲームをしたり、会話も全然している。親同士の情報交換の場でもあるのだろう。子供たちの交流の場所にもなっている。素敵な空間だ。そんななか、日本人が携帯片手に必死に幼児向けの本を読んでいる。しかし、だれも気にしていない。変な視線も感じない。一緒にいていいのかな、と安心する。日本の方がこういう時に居づらさを感じた。もちろん言語がわかれば、居づらさを感じるようになるのかもしれないが、今はまだ、そこまでに至っていない。とにかく、僕はこの場所が気に入った。なるべく通うようにしよう。受付の方々も優しかった。もっとどういう取り組みをしているのかを聞いてみたい。定期的に読み聞かせもやっているみたいだ。それにSwitchもやれるらしい。すごい。
日本は、なぜいつでもどこでも静かにしていなくてはいけないのか。
図書館で子供がギャン泣きしても暖かい空間を作れるこの街は何を了解しあっているのだろうか。これもリサーチの対象になるだろうか。
8月11日 川でバカンス
この日は暑かった。気温が30度近くまで上がった。
滞在先の室内はとても涼しい。直射日光が入らなければエアコンも扇風機もいらない。なんて穏やかなんだろう。
ところが外に出ると日差しが強いことに気が付く。
照りつける熱さは、日本よりすごい。紫外線に狂気すら感じる。
というわけで、近くの川辺へとバカンスに行く。
というのも、この川の近くに、街の人たちがたくさん集まっているのだ。
学生の街とも言われるミュンスターには、学校がなく、学生たちが余暇を過ごしている。また、仕事を早く終えた人たちや、リタイアした人たちもたくさんいる。全員がまるでビーチに来ているかのような格好をしている。
中には川で泳いでいる人もいる。ボートを楽しむ人も。芝生の上で、見慣れないスポーツをする人もいる。本を読む人も、クラブミュージックをかける人たちもいる
とてもいい。
その中で我々はビールとつまみを持って参戦。流石にこの川で泳ぐ勇気はないため、とりあえずは様子見をしている。
鴨もいる。人間から餌をもらえると思ってなのか、我々の近くによくくる。
犬の散歩をする人たちもいる。彼らからは活気を感じる。
人がたくさんいるけれども、嫌ではない。
まだ10日も経っていないけれども、束の間の休暇をもらえて幸せを噛み締めている。
1日の終わり。日本でやり残した仕事が届く。少しずつそのあたりを終わらせなくてはな。
8月12日 観劇その1「Sag jetzt nicht」(Boulevard-Münster-Theater)
この日は朝からミュンスターを堪能した。
まずはMarktplatzに行き、新鮮な野菜や果物、服飾や植物、露店などを堪能した。教会の前で開催され、水曜日と土曜日の二日間やっているとのこと。
ここで、生肉をパンにのせた、Mettwurstを食す。うまい。調べると本当の生肉というよりは燻製などで保存処理を済ましたものらしい。甘味があり、いくらでも食べれてしまう。さらにはポテトケーキ、Kartoffelpufferを食す。こちらはApfelmus(アップルソース)をつけて食べる。これまた美味しい。ただ、油で揚げていたため、お腹には残ってしまう。三つ頼んでしまったが、二つで十分だった。美味。
Marktplatzを後にして、隣街までバスで移動。JYSKという家具屋へ生活物品を買いに行く。隣にはホームセンターもあり、どちらも練り歩く。
日本と違いテープの種類は少ない。電気の部品も少ない。これは悩まなくてすみそうだ。絨毯やカーテンなどの布ものはたくさんあった。電気工具類は見当たらず。DIY精神が強いのか、ペンキは種類が豊富だった。これは悩む。材は見当たらなかった。材はまた別に店があるのかもしれない。
さてさてJYSKはIKEAの少し小さい版のような印象だった。品物はお安い。
手頃の値段。両方の施設で1・2時間は過ごせてしまいそう。困ったらここにこようということになる。とくに冬場の対策を考えなくては。
さて、お目当てのものも購入でき、いざ劇場へ。
バスに揺られて、劇場近くのバス停で降りる。
チケットを先に買いに劇場のフロントへ。
今日のチケットを欲しいというのを頑張ってドイツ語でやりとりをする。
フロントの人は、それをすぐに理解したのか、丁寧なドイツ語で、時折ドイツ語の指導も入りながら、やりとりをしてくれた。なんて優しい人なんだ。
席は前から列ごとに値段が変わっていくシステム。舞台に近い席ほど高く、遠くなる程に安くなる。なるほど。また、年齢によっても値段が変わってくる。木曜日はどの席も同じ値段になる。など、いろんな配慮がされている。
僕は二番目に安い席を取った。
ここでバスに酔ったのか、広場に集う人の多さに酔ったのか、体調が悪化。
広場のベンチで休み、水と食料を補給。迷惑をかけてしまった。少し休んだら、復活。風もでてきて、ちょうどいい具合だった。
この日は朝から雨が降っていた。それで疲れてしまったというのもある。まだまだ体力不足が否めない。
そんなことを気にしながら、劇場へ。
開場と同時に入っていく。
劇場は120席ほど小劇場。プロセニアム型。なので小ホールの方がイメージに近い。タッパは3mもない。間口は四間から五間ほど。客席前方の下手側にはバーラウンジ。バースタッフがいる。ビールやワイン、コーラなどを販売している。なお、飲み物はグラスでも飲める。
客層は50年代〜上が多い。2,30代は数人。日本人は我々2人だけ。ミュンスターに存在する劇団関係者っぽい集団が僕らの前の一列に座る。通路近くにこの作品のディレクター(Regie)はRoland Heitz。舞台美術(Bühnenbild )にElke Ober。キャストはJanina KornとUlrich Schallerの二人芝居。脚本は、Stephan Eckel。
内容については以下の通り(原文)
コメディを見たのは昨年見た知り合いの宇宙人の話以来かもしれない。それぐらいにコメディは見ていない。好きなんだけど、見ていない。
というのもコメディはやはり成立させるのが難しい。適切な間合いや行為、コミュニケーションの取り方を俳優もディレクターも職人のようになって探求することで成立するものだと思っている。だから成立させている芝居をみると、すごいな、と思う。僕にはできない。
それでもちろんだが、この2人の中堅俳優はそれを成立させている。言語がわからなくても構造が理解できる。ということはやはり演出もすごいのだと思う。
舞台はしっかりと立て込まれている。まるで映画のセットのように。客席から見える上から下までしっかりと立て込まれている。奥行きはたぶん三間ほどしかないだろう。背景の舞台美術。大きな窓が下手と中央に一つずつ。上手と下手には袖に続くドアが二つ。中央には会議用テーブルと椅子。下手にウォーターサーバー。
窓の奥に見えるのはビル群。上手にはアメリカ国旗とトランプ元大統領の人形に本棚。
話については確かなことが言えないので、割愛させていただく。また見にいくつもりなので、頑張って理解していきたい。できるかな。不安だな。何度も見ます。
どちらが会話において優位になっているか、それがシーソーゲームのように、変わっていく。相手の抜け目を突いて、自分が優位になるように。登場人物たちにとってはそれが人生を変える大事なことなのだが、見ているこちらからすると、とても滑稽に見える。途中で自撮りを繰り返す女性キャスト(スターらしい)の行為など、大事な局面でやる行為ではない。そのチグハグさもまた面白い。ひとりの人間の中にも矛盾は存在する。それを絵に描いてくれている。
最近のツイッターとかを見ていると、滑稽でしかないと思うことが多々ある。その人たちに取っては本気なのだけれども、いろいろと見てみると、どこまで本気なのか、それはパフォーマンスなのか、気晴らしなのか、または八つ当たりなのか、わからないことがある。
肩書きは人を狂わせていく。そう感じる。
この作品もなんだかその部分が影響しているような感じがする。そうじゃなきゃ、アメリカ国旗も元大統領の人形もセットに置かないだろう。
客席の反応を見ていると、女性だけが笑うシーン、男性だけが笑うシーン、劇団関係者が笑うシーンと、いろいろに分かれていた。多分内容がそうさせている。劇団関係者が笑っているシーンは、なんとなく僕も笑えたから構造とかそういう点から笑っているのだろうな、とも思う。
さて、この日はまだ終わらない。盛りだくさん。
ラーメン屋があるということで、行ってみることに。味は・・・。
高かったなー。節約生活が始まる。
8月13日〜14日 友人が遊びにくる
日本からフランスに交換留学をしに来ている友人がミュンスターまで来てくれて、ただひたすらに遊んだ。
Kölnに行き、大聖堂を見たり、展示を見に行ったり、麦茶を大麦をいるところから作ってみたり。
Müsterの川を眺めながらビールをのみ、滞在先の家主と食卓を囲み、盛り上がり(僕は聞く専だったが)、怒涛のような二日間が過ぎ去った。
ここはちょっと割愛させていただく。楽しかった。それが一番。
ただし、携帯は破損。iPhoneXRのカメラが使えなくなる。写真に困る。
前途多難。旅先でよく携帯を壊すのは治らないのか。
8月15日 終戦記念日 in Deutschu
原爆投下の日をドイツで過ごし、終戦記念日もドイツで過ごす。
何もしなかった。
ただただぼーっとしていた。
遊び疲れたのもあり、家でゆったりと過ごす。
友人からもらったチーズは格別に美味しかった。
銀行口座の準備を始める。
またもや壁にぶつかる。早めに処理をしなくては。